府中市の古戦場を訪問した際に、こんな坂道と出会いました。
<光明院坂>こうみょういんざか
ごく普通の坂道です。しかし現地に設置されている標識に足が止まりました。
<光明院坂標識>
なにか書いてあるな
小さいながらしっかりとした標識です。これが無ければ、素通りしていたと思います。以下に抜粋させて頂きます。
『この坂道は,普通分梅道あるいは鎌倉街道と呼ばれる古街道です。
沿道には浅間神社,八雲神社,光明院といった由緒ある古社寺が点在しています。坂の名も真言宗光明院に由来します。別名を「根っ子坂」ともいわれますが,これは以前道が荒れていたころ,道の両側に木の根がわだかまっていたことによると言われます。
この坂下に広がる平地一帯は,元弘三年(一三三三)五月に新田義貞と北条泰家が合戦した分倍河原の古戦場として有名です。
昭和六十年三月 府中市』
その古戦場へ向かう途中だったので、ちょっと感動しました。よく読み返せば、どこにも『新田義貞が通った坂』とは書いてありません。しかし、新田義貞が北の方から鎌倉街道沿いに進軍してきたことを意識した上で訪問しているので、ここを『通過しないわけない』と勝手に思い込み、ひとりで満足してしまいました。
<光明院山門>
坂の名はこちらの寺院に由来するわけですね。鎌倉時代に北条家の家臣が建立した祈願所に始まる寺院とのこと。本堂は近代的な建物となっていますが、風格のあるこの山門が遠くからも目をひきます。
<梅花山光明院>
梅花山と号する真言宗豊山派寺院です
今回出会った道は『陣街道』として江戸名所図会に描かれています。その呼び名は、中世に軍勢が陣立てして通ったことに由来するとのこと。鎌倉街道は主要な街道であるため、名だたる武将が軍を率いて通っても何ら不思議ではありませんが、新田義貞もそのひとりと受け止めることにしました。
ちなみに
鎌倉街道には上道(かみつみち)・中道(なかつみち)・下道(しもつみち)とそれぞれ呼ばれる3本の道筋があります。今回訪問の分倍河原付近の鎌倉街道は、3本の中では一番西側の上道となります。もともと鎌倉幕府の御家人が、いざという時に鎌倉へ駆けつけるための道。新田義貞も御家人のひとりですが、攻め込むために利用することとなりました。
<台地と低地の境>
武蔵野台地と多摩川の氾濫低地の境目に位置する坂道です
ということで
歴史認識に間違い等あるかもしれませんが、現地を訪ね歩いては、勝手に想像している会社員ブログということでご容赦下さい。拙ブログに最後までお付き合い頂き、ありがとうございました。
■訪問:光明院坂
( 根っ子坂 )
[東京都府中市分梅町]1丁目
■参考
現地標識説明文(府中市)
Wikipedia:2022/5/26
猫の足あと
・梅花山光明院
https://tesshow.jp/tama/fuchukunitachi/temple_vbai_komyo.html
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2022年05月26日
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