浜松町のこんな光景に足が止まりました。
立派なプレートだなぁ
芝神明町町屋跡遺跡?
心惹かれたのは古地図の方でしたが、説明文をよく読むと、プレートの周辺に積まれている石が、この付近で発掘されたものだと分かりました。
昨日今日の建築材ではなく、昭和末期の再開発の時に行われた発掘調査で出土した石です。長らく地中に埋まっていた間知石が、ここに集められ積まれているようです。
間知石(けんちいし)とは石積みに使用される四角すいの石材のこと。こういう積み方が正しいのかわかりませんが、歴史をいまに伝える貴重な石材です。
低層の乱積みですかね
さて
ここは浜松町1丁目です。そもそも芝神明町とはどのエリアを指すのでしょうか
こちらの説明文によればこの付近、つまり浜松町1丁目は、かつて旧東海道を挟んだ向こう側の芝大門1丁目とともに「神明町」と呼ばれる町人の居留地だったとのこと。いわゆる町屋ですね。
この地図でタテに通っている幅広の道がかつての東海道。現在の第一京浜です。
古地図を拡大。神明町の名が見えます。左手(西側)奥に記されている飯倉神明宮が、地名の由来のようです。飯倉神明宮は現在の芝大神宮です。
こちらは第一京浜。かつての東海道です。道路の左手が先ほどの説明板のあった浜松町、右手が芝大門。むかしは道沿いの両側とも神明町と呼ばれていたわけですね。せっかくですので芝大門側に渡ってみますかね
芝大門側にある商店街の入り口。アーケードに神明の名が記されています。いまの住所表記とは異なる土地の呼び名、いいですね。
ということで
たまたま通りかかっただけですが、とても参考になり、ちょっとした街探索をさせてもらった気分です。プレートを設置してくれた住友不動産さん、ありがとうございます。
最後に
港区教育委員会さんの説明文の終わりの部分をそのまま引用させて頂きます。
『都市はある種の生物といえ、常に成長と変化を繰り返していますが、こうしたモニュメントが、この成長と変化が正しく記録されている証として、永く人々の脳裏の一隅に留められれば大きな喜びといえましょう。』
■訪問:住友浜松町ビル
(芝神明町町屋跡遺跡)
[東京都港区浜松町]1丁目18-16
■参考及び出典
・Wikipedia:2022/3/20
・住友不動産説明板
(文:港区教育委員会)
お城巡りランキング
2022年03月20日
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