<石垣石>
こちらです
<プラザ神明>
場所は浜松町1丁目のプラザ神明。敷地の南側の路地沿いに、この地で出土した石が並んでいます。
<説明板>
石だけだと素通りしてしまいそうですが、ちゃんと説明板が設置され、港区教育委員会さんによる詳細説明が記されています。
少し抜粋させて頂きます
『プラザ神明のあるこの地は江戸時代、播磨国(現・兵庫県)赤穂藩森家の上屋敷でした。
北隣には旗本屋敷が構えられていましたが、赤穂藩はこの隣地との堺に構築した境堀の護岸として石垣を設けました。また、江戸湾側にも石垣を組み、護岸としました。』
ここは赤穂藩主の屋敷だったわけですね。赤穂藩といえば、思い浮かぶのは浅野家。ただ、赤穂をもっとも長く治めたのは森家なのです。浅野家が当主の刃傷事件で改易となったあと、赤穂は幕領を経たのち永井家が藩主として入り、続いて森家が治めることとなりました。
森家は遡れば織田信長家臣の森可成(蘭丸のお父さんですね)にたどりつく家柄です。18万石を領した時期もありました。一度改易となっており、赤穂藩での石高は2万石だったそうです。約165年間、明治の廃藩置県まで、赤穂藩主は森家代々が務めています。
そのなごりということですね。説明文からまた抜粋させて頂くと『石垣に用いられた石材の大半は安山岩で、積み直しが確認された所もありましたが、江戸時代前半の構築当初の姿をよく留めています。ここに用いられている石垣石は、主に堺堀に使われていたものです。』とのこと。
<説明板の地図>
赤字で赤穂藩森家上屋敷跡と記されいます。古地図の文字だと森山城守。官位からして12代藩主の森忠興ですかね(?)。北側が旗本屋敷で、その境に堀が設けられ、護岸として石垣が組まれた。分かりやすい説明板で助かります。
<プラザ神明の北側>
地図から推定するとここが旗本屋敷との境でしょうか?堀が埋められ暗渠となった?
自転車置場や車止めの雰囲気がいかにも暗渠らしいのですが、ちょっと違うようです。
ということで
赤穂藩森家上屋敷跡を訪ねて、出土した石垣石を見たというシンプルな訪問記でした。拙ブログにお付き合い頂き、ありがとうございます。
<石垣石>
展示物ではなくいまも現役の石垣石です
■訪問
赤穂藩森家上屋敷跡
(出土の石垣石)
[東京都港区浜松町]1丁目
■参考及び抜粋
・Wikipedia:2022/3/16
・現地説明板
(港区教育委員会)
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職場から比較的近いので訪問してみました。なかなか遠くに行けないので、生活圏内で楽しめそうなことを深掘りしていますw
拙ブログに訪問頂きありがとうございました。
なかなかTokyoに行けないので
写真つきのご紹介嬉しくありがたく感じています。