赤山街道がさいたま市内を流れる鴻沼川を渡り、更に東へ向かう道のりを歩いてみました。
<赤山街道>
[中央区本町東4丁目]
赤山街道とは、徳川幕府から関東の開発を任された伊奈忠治が、自らの拠点である赤山陣屋と現場との往来を円滑にするために設けた道のことです。今回の訪問地は、現在のさいたま市西区と川口市赤山をつなぐ「大宮道」と呼ばれる区間の一部で、さいたま市中央区(旧与野市)付近です。赤山橋を渡り、そのまままっすぐ進んで与野中央通りを通過すると、JR埼京線の高架下に到着します。
<埼京線高架下>
[中央区上落合2丁目]
北与野駅はもうちょっと北になりますが、ほぼ駅に着いたようなものです。
<与野の歴史>
与野の歴史に関する説明板が設置されていました。一部ご紹介します。
正和3年(1314)に作られた融通念佛縁起絵巻という絵巻に与野郷とあることから、当時既に与野の名は遠い京都にまで知られていたとあります。そして、与野の『「本町通り」は甲州街道から中山道、日光街道に抜ける要路として旅人や物資の輸送に重要な役割を果たし繁栄しました』とのこと(『』内は転記です)。古くからの賑わいが伝わってきますね。途中省略しますが、かつてあった鴻沼が八代将軍吉宗の新田開発政策により新田が開かれ、鴻沼用水路(鴻沼川)が与野の水田を潤したことも記されています。勉強になりました。
更に東へ向かいます
[中央区下落合4丁目]
[中央区下落合4丁目]
現在の中山道と赤山街道が交差する地点まできました。更に東へ進みます
中山道を横断しながら南(巣鴨・戸田)方面を撮影
[中央区下落合3丁目]
道幅が急に狭くなりました。古道らしい雰囲気が漂う道です
[中央区下落合3丁目]
(左手は上落合1丁目)
[浦和区上木崎1丁目]
上木崎まできました。旧与野市を通過して旧浦和市に入りました
赤山街道はこの先で京浜東北線を越える橋を渡り切ったところで旧中山道と合流します。
ということで
赤山街道大宮道のうち、中央区(旧与野市)付近を歩いてみた時の記録でした。
■訪問:赤山街道大宮道
[ 埼玉県さいたま市中央区 ]
本町東4丁目〜下落合3丁目
お城巡りランキング
2021年12月13日
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