今回は清瀬市の道切りのお話です。
<清瀬市の道切り>
ここはかつての村の入り口です
■道切り■みちきり
はやり病や悪霊などが入ってこないように、村の出入り口に縄を張ったり、札を掲げたりする『道切り』という習慣。いまはあまり見かけませんが、かつては日本各地で行われていました。呼び方は場所によって異なり『辻切り』という呼び名もよく耳にします。
■清瀬市下宿のふせぎ■
今回訪問した場所では『ふせぎ』と呼ばれていました。
<ふせぎ>
ここは清瀬市下宿。二本の大木の間に藁細工の大蛇が掛けられています。
<設置場所>
この地点がかつての村の内と外の堺ということです。そして、はやり病や悪い霊が侵入せぬよう地元の皆さんが祈願する場所。『ふせぎ』は防ぐからきた呼び名と受け止めました。
<大蛇>
かなり重厚な藁細工です。丈夫そうな木に掛けてありますが、かなりの重労働と思われます。男手が集まって縄を掛けるのでしょう。
<青面金剛>しょうめんこんごう
大蛇の注連縄が掛けられている木の横には青面金剛像と思われる塔がひっそりと。庚申塔も災いが入らぬよう村境に建てられていることが多いですね。
<庚申塔と道切り>
二つ揃うといかにも村境という光景です
<説明板>
説明板には東京都指定無形民俗文化財(風俗慣習)と記されています。江戸時代の終わり頃からいまに受け継がれているようです。あと地名の下宿ですが、私は『しもじゅく』と読みましたが『したじゅく』と読むようです。
以下は清瀬市のホームページの説明です。一部をそのまま転記させて頂きます
『毎年5月3日午後1時から行われる下宿「ふせぎ」は、清瀬に古くから伝わる伝統行事です。この日、円通寺へ通ずる観音坂にある二本の大木の間に、村に悪い虫や病が入ってくるのを「ふせぐ」ために全長20mほどもある大きなわらの大蛇がかけられます。わらの大蛇は、地域の人々により円通寺の長屋門の下で毎年新しく作り替えられます。』
とのこと。保存会の皆様の尽力で、いまも伝統行事として受け継がれていることも記されていました。私の住む場所では見られない光景。ありがたいです。
ホームページの画像を見ると、木にかけられたばかりの大蛇は、もう少し顔がはっきりしています。風雪にさらされ、ちょっと形は崩れかけていますが、逆にここでずっと災いを防ぎ続けてきた雄姿に見えなくもありません。このスケールの大蛇はここ一カ所のみですが、かつての村(清戸下宿村)の出入り口14カ所に小さな蛇が取り付けられているそうです。大小関係なく、役割は同じですね。
<円通寺>
かつての村の入り口から中へ進むと、説明にあった円通寺が見えてきます。清瀬で最も古いお寺です。
<山門>
南北朝時代に開かれたと伝わる真言宗豊山派の古刹
<鐘楼>
<本堂>
新田義貞の弟(脇屋義助)が鎌倉から持ち帰った観音像所蔵の寺院
<長屋門>
藁の大蛇はこちらで毎年新しくものに作り替えられます。本尊だけではなく、この立派な長屋門も清瀬市の文化財に指定されています。
<旧清戸下宿村>
のどかな道でありながら、人の暮らしが醸し出す文化が漂います
<柳瀬川>
こちらは北を流れる柳瀬川です。下宿は水の恩恵を受けることで、古くから人の営みがあった場所です。長い長い歴史のなかで、いつしか『ふせぎ』という文化が村に根付いたわけですね。そして、それがいまでも継承されている。素晴らしいことですね。
ということで
清瀬市の道切りのお話でした。
<観音坂>
よそ者がお邪魔しました。
■訪問:清瀬市の道切り
(下宿のフセギ)
[東京都清瀬市下宿]
■参考及び出典元
・清瀬市ホームページ
2021年01月11日
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