<天守閣>
復元された天守閣も立派ですが、城郭ファンの間で有名なのが土台の石垣です。自然の石を加工せずにそのまま積み上げています。
■野面積み■のづらづみ
この言葉は石垣に用いる石の加工具合を基準に分類した時の呼び名です。石を加工せず、そのまま積み上げる方法を野面積みと呼びます。この分類だと他に「打込ハギ」とか「切込ハギ」などがありますが、今回は説明を省略します。別途投稿していますので、ご興味のある方は覗いてみて下さい
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今回は画像を中心に、浜松城の見事な野面積みを共有させて頂ければと思います。
どれも自然の石。これを適所に選んでは積み上げるわけですから、その道のならではの勘と経験が必要とされますよね。
不規則な石の大きな面は外側に向け、小さい面は内側に向け、隙間に小石を埋めて石を固定します。野面の「ツラ」とは、自然の石の表面のことを意味しています。
現地に説明板がありました。小石と言わせてもらいましたが、役割によってちゃんと呼び名があるようです(長くなるのでこれはまた別の機会にご紹介します)。
江戸城などと比べて「原始的?」と思われるかもしれませんが、野面積みならではのメリットもあります。石垣は表面を覆っているだけで、内部はあくまで土の塁です。雨水などの排水が上手くなされないと内部が膨張するなどして、塁が崩れる原因にもなります。野面積みは石と石の間に隙間があり、水が適度に排出され、塁の劣化を防げるという長所があります。実際、これらの石垣は4百年の風雪に耐えて今日に至っています。
塁の隅ギリギリに建造物が築けられています。土塁だとこういう訳にはいきません。建物が飛び出ているのは石落としなどの仕掛けを設けるためです。
徳川家康は約17年間ここ浜松城を居城としましたが、その頃は石垣のない土の城でした。
家康が去った後も、浜松城はこのエリアの重要拠点であり続けたましたので、改修される過程で石垣の城となったわけですね。
ということで
野面積みの代表作といって良い浜松城の石垣のご紹介でした。野積みは中世の石垣でよく見かけますが、石の加工技術が普及する江戸時代においても、野面積みそのものがなくなった訳ではありません。文中にある通り、野積みならではのメリットもあるのです。
■訪問:浜松城
[静岡県浜松市中区元城町]
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