今回の訪問は旧浦和市内の中山道沿い。関元屋さんの井戸の話です。
<関元屋商店>せきもとやしょうてん
関元屋はお米屋さんです。かつて中山道の宿場町として栄えた浦和には、街道沿いに多くの老舗が軒を連ねていました。関元屋さんもそのひとつで、古き良き中山道沿いのなごりをいまに留めています。屋敷は中山道側より奥に向かって長細い造りになっていて、いかにも街道沿いの商家らしい構造。左手奥に空が見えていますが、実は2011年の震災前には敷地内に同様の建物がありました。関元屋さんの倉庫と思われます。
現地の説明文によると、関元屋さんは元々は材木商だったようです。この建物自体は大正時代の建築らしいので、そうとう古いですね。
さて
ご紹介するのはその関元屋さんにいまも形を残すこの井戸です
<井戸>
古い建屋に昔の井戸。それだけでいい雰囲気ですが、説明板に心惹かれるものがありました。
<説明板>
浦和文化の小径として紹介されています。説明の後半部分だけ抜粋させて頂きます。
『店先の井戸は「お助け井戸」と呼ばれ、関東大震災や東京大空襲で逃げ延びた人々の喉を潤しました』
お助け井戸とはそういうことだったのですね。中山道の宿場でいうと、浦和は板橋・蕨に続いて3番目。東京から遠すぎるということはありません。関東大震災が広範囲に被害をもたらしたことは言うまでもありませんが、東京よりは被害が少ない埼玉へ、中山道や奥州街道などを経由して避難民が移動した話は耳にしたことがあります。大惨事から逃れた人たちが、中山道沿いのこの店で喉を潤したことがあったのですね。
浦和というと平らな土地をイメージする方も多いかもしれませんが、実際には低地と台地が複雑に入り組んでいて、あちらこちらに坂があります。関元屋さんの付近は高台となっており、東京方面からくる場合は、ちょっとした坂道(焼米坂)を上らなければなりません。つまり低地から台地の上へ登る必要があります。長い道のりを歩き、更に坂を上ったところでようやく飲む井戸の水。さぞ喜ばれたことでしょう。
むかしむかし、傷ついたり疲れ切った人たちを癒したであろう井戸。それがいまでも形として残っていることが嬉しかったですね。
■訪問:
関元屋の井戸( お助け井戸 )
[埼玉県さいたま市浦和区岸町]
-----------(追 記)-----------
この日は地元のお仲間と浦和区を中心に街探索。以下は同じ日に撮影したものです。本日ご紹介の関元屋さんを通過して、中山道を更に北へ向かうと、地元では有名な調神社が見えてきます。
<調神社>つきじんじゃ
狛犬ならぬ狛ウサギが出迎えてくれます。
神社の詳細は省略しますが、関元屋さんと同じく台地上です。この付近は大宮台地が南に突き出た部分。浦和の宿場は、低地から高台に上ったところに設けられたわけですね。そんなことを肌で感じるための探索でした。
<低地>
逆に低地の小川や暗渠を訪ねたり
<古道>
街道とは一味違う魅力の古道(らしき道)を訪ねたり
<湧き水>
造成地から水が湧き出ていることに感動したり
ざっとそんな感じの探索でした。
2020年は日本中が遠出を自粛する雰囲気にあります。
我々も地元から出ない方法で休日を楽しみました。
同じくさいたま市在住の方の参考になれば嬉しいです。
2020年07月17日
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コメントありがとうございます。中山道と関元屋さんのご紹介のつもりですが、画像は補足の方が多くなってしまいました。とても充実した地元散歩でしたね。またご一緒させて頂く日を楽しみにしております。
この日は結構暑かったですが、思わぬ発見(湧水)もあったりしてとても楽しかったです。ご挨拶が遅れですみませんでした。またこのような地元を歩く会をやりましょう!