東京大学を象徴する存在ですね。そしてこの敷地が、もともとは前田家の屋敷跡ということも比較的有名なお話。今回はその辺りをもうちょっとだけ詳しくご紹介したいと思います。
■大名の屋敷■
前田家の場合、上屋敷がここ本郷、中屋敷は本駒込、そして下屋敷は板橋に設けられました。屋敷の上中下ですが、位置的に江戸城に近い順で上屋敷・中屋敷・下屋敷と思って良いです(大筋)。大名にも大小ありますので、どの家でも必ず上中下の屋敷があった訳ではありません。今回主役の前田家は、加賀百万石ですからね。これに仕える家臣も沢山いました。一番郊外にある板橋の屋敷は、なんと約21万7千坪もありました。
■赤門■
この門の誕生は江戸時代後期。11代将軍の徳川家斉(いえなり)の娘である溶姫(ようひめ)が、前田家当主の斉泰に輿入れするに際し朱色の門が造設されました。
これは大名が将軍家から嫁を迎える際のしきたり、つまり基本ルールだったようです。そのお住まいは御守殿(ごしゅでん)と呼ばれ、出入り口には朱塗りの門が設けられ、御守殿門と呼ばれたそうです。
そういうことなら、他にも赤門がたくさん残っていそうな気もしますよね?
しかし現存するのがここ東京大学の赤門だけのようです。もともとは現在の位置より15メートルほど奥に建っていましたが、1903年(明治36)に大学建設のためいまの位置に移されたそうです。
<御守殿門>ごしゅでんもん
当時15歳だった溶姫が、17歳の加賀藩主に嫁いだ時の門です。かつての大名屋敷の貴重な遺構であり、国の重要文化財に指定されています。あくまで東京大学の門ですので、訪問される方は学生の皆さんの迷惑にならないよう見学して下さい。
■訪問:
東京大学赤門(御守殿門)
[東京都文京区本郷] 7丁目
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