半日仕事を終えて東京タワー方面へ。といっても展望台へ登るわけではなく、お目当てはすぐお隣りの古い寺院。こちらに大名家の大規模墓所がそのまま残ると聞き及び、足を運びました。
<金地院>こんちいん
東京タワーに隣接する金地院です。こちらには盛岡南部家、八戸南部家、七戸南部家の墓所があります。南部ゆかりの地なのです。
<墓所>
重厚です
お墓そのものの撮影は苦手なので下段を。雰囲気は伝わると思います。
部分的に朽ちてしまっていますが、苔と相まって長い歴史を感じさせます
ちょと墓碑が映ってしまいますが、全体はこんな感じです。地方にある大名家の墓所なら分りますが、ここは東京都港区。とても貴重です。
■名門南部家■
南部家は武田家と同じく甲斐源氏の一族です。甲斐国に土着した清和源氏の河内源氏系一門、もうちょっと具体的に言うと八幡太郎義家の弟・源義光から始まる一族です。南部家というと、南部鉄ではないですが、まず東北をイメージしますよね。それで正解なのですが、もともとは甲斐国の南部郷(現在の山梨県南部町)から始まり、源頼朝に従軍(1189年)して陸奥国糠部五郡の土地を与えられ、家臣とともに移住(1191年頃)した一族なのです。
その後枝分かれして勢力を拡大。鎌倉時代の名族が、戦国時代に姿を消す例は多いですが、南部家は江戸時代を通して存続。そしてそのなごりが、今回訪問の金地院にいまも残されているのです。
訪問時にはどなたの墓碑かわかりませんでしたが、あとで調べてみたところ、藩主本人のお墓はここにはなく、江戸で暮らすことを運命づけられた藩主の正室や側室などの墓碑が並んでいるそうです。亡くなった場合は、そのまま江戸で埋葬されたということですね。
<向鶴>むかいづる
南部家の家紋です
■以心崇伝創建の寺■ いしんすうでん
今回訪問の金地院についてもちょっとだけご紹介させて頂きます。こちらは勝林山と号する臨済宗南禅寺派寺院です。徳川家康の国造りに深く関わった以心崇伝和尚により江戸城内創建され、1639年(寛永16年)にこの地へ移転しました。以心崇伝は南禅寺などの住職を務めた高僧で、京都南禅寺金地院と江戸の金地院を兼務していました。
<金地院の入り口>
左の石標には『臨済宗 金地禅院』と刻まれています。右には『江戸三十三観音札所二十八番』の文字。墓所には昔のなごりが漂う一方で、奥に見えている本堂は近代的な鉄筋造りです。
<境内>
<三葉葵>
家康に重用された臨済宗の高僧が創建した寺です。冒頭で東京タワーのすぐそばとご紹介しましたが、徳川将軍家菩提寺・増上寺のすぐそばとご紹介すると、何となく雰囲気が伝わりますかね。
ということで
徳川将軍家とも関わりの深いお寺ですが、江戸時代も存続した南部家のなごりを感じに足を運んだというお話でした。拙ブログにお付き合い頂き、ありがとうございます。
■訪問:金地院
[東京都港区芝公園]3-5-4
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-----------(追 記)-----------
当ブログではお墓の撮影を極力避ける方針でここまでやってきましたが、友人から『史跡は良いのではないか』と助言され、何となくそう思えるようになりました。今後も一般の方のお墓は避けるようにしますが、名だたる武将や歴史に名を残す偉人については、ご本人を批判するような場合を除き、投稿させて頂きたいと思います。
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