■総大将がいる場所■
戦場において総大将がいる場所。これが一般的な本陣です。
<菅沢山本陣>説明板のみ
こちらは直江兼続が長谷堂城攻めの時に本陣を置いた所とされる菅沢山にて撮影しました。
<菅沢山から見た長谷堂城>
この時の兼続は約2万の大軍を率いる総大将。独立峰に築かれた長谷堂城を包囲し、自らは戦況を見守れる菅沢山の中腹に陣を敷きました。総大将の陣。つまり本陣です。
■大名などの宿泊場所■
江戸時代における宿場で、大名や公家といった身分の人たちが宿泊した旅宿も『本陣』と呼ばれます。まぁ旗本やある程度の身分の役人なども含みます。武士たちの移動を行軍と考えれば、宿泊場所は陣営であり、一番偉い人のいる宿が本陣と名付けられるのは分かる気がしますね。
宿といっても、一般人がお世話になる旅籠屋とは全く異なります。地元の名主の家をイメージした方がいいかもしれません(大筋の話として)。かつての宿場町を訪ねて、本陣跡などと標記されていたら、それなりの身分の人たちが宿泊、あるいは休息するための公認の家と思って間違いありません。
公認と敢えていわせてもらったのは、これは参勤交代が始まった時にしっかりと制度化されたものだからです。『本陣役』に指定される。これは名誉なことです。ただし、それなりの代金は受け取れるものの、現実的にはそれ以上の『おもてなし』が必要なため、ある程度の経済力が伴っていないと務まらない役割でした。
<蕨宿本陣跡>観光用
蕨宿は中山道の宿場として栄えました。説明板によれば『公家大名などが宿泊』とのこと。蕨宿では加兵衛家と五郎兵衛家の2家が代々『本陣役』の大役を勤めました。加兵衛本陣には、あの老中水野忠邦なども宿泊したそうです。
ということで
戦での本陣と宿場での本陣の説明でした。
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そうでしたが。私は逆で、本陣は合戦場が当たり前で、宿場で『本陣?』と聞いてもなんだか分りませんでした。
拙ブログに訪問頂きありがとうございました。
戦での本陣の意味は知りませんでした。知識が増えました。