今回訪問した駿府城の城下でも、職人や商人を職業ごとに分けて住まわせたなごりを感じることができました。呉服町、両替町などなど。そんななか「え?あぁそういうことだったのか」と思った名がありましたので、ご紹介させて頂きます。
■上石町■ かみごくちょう
<上石町>
まず直感的に「かみいし」と読みました。城下町で石、ならば石材の職人集まった町だったのかな?
漠然と石工を想像しながら脇の説明を読んだら、由来はまったく別のものでした。
<説明>
かみごくちょう?
説明によれば、ここは『本石町』とも呼ばれていたようです。『石』は『穀』の意味といわれており、実際にこの付近には豪商の米座があったとのこと。米座(こめざ)とは、まぁお米商人連合組合のようなものです。
駿府城跡で石垣を見たばっかりだったので、普通に石を想像しましたが、穀物の穀だったとは。米の単位を石で現わす場合がありますが、これと関連付けて受けとめてよいのかもしれません。いわゆる何万石といった時に使う『石』です。ちなみに、1石は大人ひとりの1年分の米の量にほぼ一致すると言われています。
説明の続きによれば、徳川家康の駿府在城時に、穀物販売を上石町と下石町に限定したことにより、穀物商人が集まったようです。
なるほど
駿府の場合、上は北で下は南。ここ上石町の南側が下石町だったわけですね。
これは面白いと思い、帰宅してから調べ直したところ、上石町も下石町も区画整理によりその名は無くなったそうです。歴史の裏付けがある素敵な名と思えたので、ちょっと残念。ただまぁ、だからこそ石碑に記したのですね。
<駿府城公園の家康像>
江戸の町を築いたことで知られる家康さん。ここ駿府においても城下の町づくりに注力していたわけですね。。
ということで
駿府城公園からの帰り道のちょっとした気付きでした。小さなことでも、新たな発見は嬉しいものです。
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