<展示されている橋>
■深谷の田園地帯にて■
深谷市へは城跡探索で訪問しました。てくてくと田園を歩くうちに、何となく不自然な道と出会うことに
<不自然な道>
なんか変わった道だな
延々と続く盛り土されたような道。最初は地下に埋設された水路(暗渠)か?と思いました。高さを維持するため、周囲より高くなっている用水路はいくらでもありますので。しかしこの道を歩いた先で、その答えは見つかりました。
<レンガと線路>
あれは.?橋を展示しているのか
公園の一角にレンガ造りの立派な橋を見つけました。橋のなごり?これはもう足を止めずにはいられません。
<説明板>
福川鉄橋というのか
線路が川を通るために架設された橋。私が事情も分からないまま歩いてきた道は線路の跡だったようです。福川は深谷市を流れる利根川水系の川。説明を前半だけ抜粋すると
『日本煉瓦製造株式会社専用線の福川に架設された鉄橋で、福川に架けられていたプレート・ガーダー橋と、その北側の水田の中に造られていた5連のボックス・ガーダー橋からなっていました。プレート・ガーダー橋は、全長10.1mで、明治28年(1895)の建設当初の姿をほとんどそのままに伝えており、現存する日本最古のポーナル型プレート・ガーダー橋です。』※以下省略しています。
日本煉瓦製造・・
<日本最古>
レンガ運搬のための線路。そしてこの橋はその道のりの一部だったわけですね。そしてポーナル型プレート・ガーダー橋(初めて聞く名称でよくわかりませんが)としては現存する日本最古の橋なのですね。
<表示板>
なるほど。ここはかつてのレンガ工場と深谷駅の間なんだ
ここ深谷には、渋沢栄一らによって設立されたレンガ工場がありました。日本初の機械式レンガ工場です。社名は日本煉瓦製造株式会社。1887年から操業を開始して、東京駅や日本銀行など、東京にお勤めの方なら「ああ、あのレンガ造りか」とすぐにわかるような名だたる近代建築物に、実は深谷のレンガが使用されているのです。
今回出会った線路跡は、そのレンガ工場と深谷駅を結ぶ物流のための専用線路でした。当初は利根川を経由して運ばれていましたが、駅から工場までの約4.2kmにわたり鉄道が敷かれることに。その貨物専用路線のなごりが、田園地帯にやや不自然に残る道ということです。道は「あかね通り」と呼ばれていいます。
<現地説明板>
なるほど
<福川とあかね橋>
いまはこの橋で福川を渡ることができます
<あかね通りにて撮影>
あかね橋を渡ってすぐのヘンチでちょっと休憩。靴ひもを結び直そうとしたおかげで気付きました。レールの断面をイメージしてるわけですね(勝手な想像です)。
<線路のなごり>
事情が分かれば素敵な道。廃線後の敷地の有効活用というだけでなく、歴史を今に伝える貴重な産業遺構といえます。
やがてレンガの需要は減少し、安い輸入品の影響もあって、工場は閉鎖されました。しかしそのなごりを感じることはできました。初めての深谷訪問で非効率に歩き回っていましたが、そのおかげでちょっと得をした気分になりました。
<深谷駅>
近代産業の発展に大きく貢献した街です。その一部を感じる機会となりました。
<渋沢栄一像>
渋沢栄一生誕の地でもあります。
■訪問:旧福川橋梁
[埼玉県深谷市原郷]
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