今回は土佐藩ゆかりの地を探索した時の記録です。坂本龍馬ゆかりの地でもあります。
<ゆかりの地>
■品川区探索■
高い場所と低い場所が入り組んでいる品川区東大井。丘の上をいろいろと探索した後、低地へ降り立ちました。
<国道>
真っ平です。この道沿いで新たな発見がありました。
<説明板>
中学校の敷地に立てられた説明板。どうやらここ一帯は、かつて土佐国高知藩下屋敷だったようです。
説明板のみで、周辺にそれらしい雰囲気はありません。ただ、城跡や屋敷跡はまとまった敷地が確保されていることから、後に役所や学校に転用されるケースは多いですよね。遺構は何もないのに、説明書きだけで納得してしまいました。あとで分かったのですが、明治初期にはビールの工場だったこともあるようです。現在は浜川中学校、他は宅地化されています。
<地図>
中学校とその周辺が屋敷跡。西側には立会川。なるぼと。それにしても広いな・・・
幕府から公給される屋敷の他に、自費で調達した分も含めると1万6,891坪だったとのこと。これはかなり広大ですね。ちょっと庶民的な計算をすると、土地30坪の家で563軒分!(かえって分かりにくいですかね)。更に立会川の河口付近には、荷揚げ場として別途屋敷を構えたというのですから、もうこの辺り一帯が土佐藩ゆかりの地と思って良いですね。
当てもなく歩いてきましたが、ここで立ち止ってネット検索。土佐藩を意識した探索に切り替えました。土佐藩主・山内土佐守豊信は24万2千石もの家禄があったとのこと。凄いですね。荷揚げ場として活用した鮫洲抱屋敷(さめずかかえやしき)跡付近には、ペリー来航時に設置された砲台の復元もあるとのこと。なるほど。ではその砲台へ行ってみますかね。
のんびり散歩が、ここからまた早足の探索となりました。
<立会川>たちあいがわ
上流では暗渠だった立会川。この付近では開渠になっています。もうすぐ海ですからね。
<北浜川児童公園>
立会川駅近くの児童公園で、坂本龍馬の銅像と出会いました。
<説明板>
黒船4隻の説明とともに、ペリー来航の折は坂本龍馬も砲台の警護にあたったと記されています。先ほどの銅像は、龍馬が沿岸警備にあたった20歳頃の姿をイメーシしているようです。
<銅像近くの道標>
砲台はすぐ近くのようです。行ってみますかね。
<新浜川公園>
到着です。こちらは新浜川公園。この付近に土佐藩鮫洲抱屋敷がありました。ペリー来航に伴い、幕命を受けた土佐藩では、大砲8門を準備したそうです。
<大砲の復元>ホーイッスル砲
8門の大砲のうちの1つを原寸大で復元したものです。比較的新しいですね。あとで調べたところによると、坂本龍馬生誕180年にあたる2015年に完成したそうです。どうりで綺麗なわけです。砲台の目の前は、いまでこそ運河になっていますが、沖合を埋め立てる前は海でした。
砲台の警備兵は、土佐藩の下屋敷に寝泊まりしていたとのこと。その中に、若き日の坂本龍馬もいたのですね。後に多くの志士たちに影響を与える坂本龍馬。この頃は、何を胸に抱いていたのでしょうか。
■訪問
土佐高知藩山内家下屋敷跡
[東京都品川区東大井] 3-18
北浜川児童公園
[東京都品川区東大井] 2-25-22
浜川砲台
[東京都品川区東大井] 2-26-18
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