<殿山の坂>
地図で見つけた東京都北区の殿山の坂。殿山?その名は台地上の旧字(あざ)に由来します。地形と名前。それだけで今回の訪問を決めました。
殿山の坂は目印にした袋小学校のすぐ近く。この付近は現在の住所表示だと赤羽北になりますが、かつては「袋」と呼ばれていました(袋村)。池袋や沼袋がそうであるように、袋という文字は低湿地の地名でよく使われます。水に縁のある場所だったのでしょう。訪問した場所は、そんな低地に突き出た台地です。
<地形>
地形好き・高低差好きにはたまらない地形です。ここは荒川南岸、武蔵野台地の端っこの崖です。コンクリで覆われても、地形は残ります。いいですね。
<台地上からの眺め>
赤羽の低地を一望できます。高度に都市化されていますが、かつては湿地が広がっていました。
<丘の上の団地>
坂を登った先は落ち着いた雰囲気の団地。都営赤羽北三丁目アパートです。私も団地で育ったので、何となく懐かしい感じがします。
<丘の上の公園付近>
団地を通り過ぎると左手に公園。袋町公園です。団地に住んで公園で友達と遊ぶ。やっぱり懐かしい空間です。
<公園付近の階段>
ここからも下へ降りられるようですね。でも、もうちょっと進んでみます。
<下り坂>
また坂が現れました。台地の上もある程度味わったので、ここから降りますかね。
<念仏坂>
下から撮影。坂の名の由来ははっきりしませんが、丘の上の墓地が関係しているのかも知れません。
<下から見た台地>
城を築くのに適した条件が揃っています。念のためですが、石垣は城とは無関係です。先ほどの「念仏坂」を下りた地点から、再びもといた「殿山の坂」の方へ。方角でいうと北東へ向かっています。
<公園入口>
先ほどの袋町公園へ繋がる階段です。
このあと「殿山の坂」を通り過ぎて、更に台地に沿ってすすみました。すると・・・
<台地の隅>
台地の先端に立派な建物が見えました。右手の道がいま歩いてきた低地です。
<諏訪神社>
袋諏訪神社です。
<社殿>
旧袋村の鎮守。室町時代に、別当寺の真頂院の秀善和尚が信州の諏訪大社から勧請して創建したと伝えられています。
<諏訪神社周辺>
殿山そのものが城を築くのに相応しい環境ですが、その中でもここが最適なのではないでしょうか。
<複雑な地形>
境内から外を撮影。通りを挟んだ向こう側も高くなっています。
<台地に切り目>
あの道は堀切の跡なのではないか?などと想像してしまいますが、なにぶんにも証拠がありません。
ということで
城跡だと言われれば信じてしまうような丘のご紹介でした。遺構もなく、専門の方が認める歴史的根拠もありません。ただ「殿山」と呼ばれたこの丘が、同じく北区で、太田道灌築城と伝わる稲付城跡に比較的近いことが興味深いですね。稲付城が街道上の主要地点であったのと同じく、この地も街道に目を配るための砦が築かれ、これにより「殿山」と呼ばれるようになった。そんな思い込みに酔いしれたのち、神前で手を合わせてから駅へ向かいました。
最寄駅はJR埼京線の北赤羽駅です。
以上です。
拙ブログに訪問頂き、ありがとうございました。
■訪問
殿山の坂
[東京都北区赤羽北]2丁目
諏訪神社
[東京都北区赤羽北]3丁目
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コメントありがとうございます。文中にも書きましたが、妄想に近い思い込みで勝手に楽しんできたという内容です。赤羽が故郷とは羨ましい。私は数年だけ暮らしたことがあり、今でも好きな街なので時々立ち寄ります。