■白旗塚史跡公園■
<公園入口>
竹ノ塚駅から歩いて10分程度です。
<公園内>
古墳時代の雰囲気を醸し出すレプリカです。
<人形埴輪>
ちょっと寂しげに感じるのは私だけでしょうか?
さてさて
この公園のメインは本物の古墳です。
<白旗塚古墳>
直径12m高さ2.5mの円墳。
古墳時代初頭の6世紀前半頃のものと考えられています。かつては8基の古墳が並んでいたそうですが、現存するのはこの1基のみとなっています。
東京都指定史跡です。保護のためもあるのでしょう。堀が復元されています。
<古墳の正面>
橋が架かっていますが立ち入りは禁止
ということで、説明が控えめで申し訳ございません。なにせ古墳の知識がほとんどありません。そろそろ本題に移ります。
■源氏の白旗■
<説明板>
東京都教育委員会さんの説明文です。
最後の部分だけ抜粋すると
『白旗塚という名の由来は、源頼義、義家父子が、奥州安倍氏の反乱(前九年の役)の鎮圧にむかう途上に、この地に白旗をたてたためと言われています』
とのこと。つまりこの地を通ったということですね。
源頼義は武勇の誉れ高い河内源氏2代目棟梁です。
そして有名な源義家。源氏を武家棟梁にまで押し上げた武将ですね。義家の評価については諸説あるものの、八幡太郎の名で語り継がれる英雄であることは間違いありません。
で、先ほどの説明だと「この地に白旗をたてた」とのこと。そうですか。実は「義家がこの地で白旗をたてて戦った」と聞き及んで訪問しました。奥州はまだまだ先。地元の野武士集団に襲われながら、これを苦戦の末に退けたのだと。しかしそんな説明はありませんでした。
ただまぁ白旗は戦における源氏の旗印。源平合戦では、源氏が白旗を掲げ、平家は赤旗を掲げました。日本人に浸透している「紅白」での対抗という構図はここからきているわけですね。その白旗をたてたということは、戦闘に至ったと拡大解釈しても・・・良いとはいいませんが、素人の私はそんなふうに受けとめました。
ここに限らず、足立区には奥州征伐に向かう源義家ゆかりの地が複数あります。のちの時代に街道として整備される以前から、この地は北へ向かうための通り道だったのでしょう。そのうちの一つに触れた。そんな小さな満足感で現地を後にしました。
<白旗塚>
■訪問:白旗塚史跡公園
[東京都足立区東伊興]3丁目
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