<高幡城跡>
通路となっていますが堀切の跡と思われます
<高幡不動尊>
高幡不動尊は通称で、正式には金剛寺
<土方歳三>
新選組副長の土方歳三の菩提寺で、境内には土方歳三の像があります。新撰組ファンの人もたくさん訪れるようです。鳩もやってきます (歳三さんの頭の上)。
<おまんじゅう屋さん>
かなり力が入っています。ここ日野市は新撰組ゆかりの地。土方歳三、井上源三郎、近藤勇、沖田総司らのつわものどもが集い、武術に 励み、やがて幕末の歴史にその名を残します。
さて
これでも城址ブログのつもりなので城跡の話を
城跡は寺院背後の山です。事前の調べでは、高幡城は比高50m程度の独立峰を利用した山城。築城は室町時代以前と推定され、尾根に沿って複数の曲輪が連続するシンプルな構造のようです。
<城内>
山へ入りました。石垣そのものは城とは無関係(念のため)。
登りやすいように遊歩道が整備されていますが、山の斜面に施された平らで細長い区画は、かつての腰曲輪の跡のような気もしました。
私は意識していませんでしたが、山道は八十八箇所廻りのコースとなっていて、あちらこちらで仏像と出逢います。これはこれで有難く興味深いですが、このコース通りに登っても、決定的な遺構と出会うことはありませんでした(見落としもあったかもしれませんが…)。
<それらしい場所>
山頂付近を平らに造成した跡ですね。道というより、山の形に合わせた細長い曲輪と受けとめました。山の中腹にも言えることですが、土塁や堀といった明確な遺構はいまはなく、配置した曲輪のなごりが山道になっているという感じです。
ここ高幡城に関する記録は見つかっておらず、詳細は不明のようです。ただ室町時代後記、
関東公方と関東管領が近くの分倍河原付近で激突した際に、関東管領方の先陣を務めた上杉憲秋が敗走してこの地に逃れ、自殺したと伝わります(高幡不動内に墓所があります)。その当時から、少なくとも戦の時の砦のような役割を果たしていたのかも知れませんね。のちの戦国期には小田原北条氏の配下だったという話もあるため、漂う城のなごりがいつのものかは分かりません。
ただ
ここに城があったんだなぁ…
そう感じられたので、満足な訪問となりました。
■訪問:高幡城
(高幡不動尊)
[東京都日野市高幡町]
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