旧赤穂藩士47名が,江戸本所松坂町の吉良邸へ討ち入りました。今回の訪問は、主君の仇討ちを果たした赤穂浪士のうち、9人が預けられた大名屋敷の跡地です。
■水野監物邸跡■ みずのけんもつ
<屋敷跡地>
ここは三河岡崎藩水野家芝三田屋敷跡。とっても、路地の奥の狭いスペースに、屋敷の庭を模したような空間があるだけ。石灯籠と説明板が目印です。
<説明板>
本懐を遂げた赤穂浪士たちは、肥後熊本藩細川家・三河岡崎藩水野家・伊予松山藩松平家・長門長府藩毛利家に分かれて 幕府の沙汰を待ちました。大石内蔵助は細川家。ここ水野家には以下の9人が預けられました。
間光興・奥田行高・矢頭教兼
村松高直・間瀬正辰・茅野常成
横川宗利・三村包常・神崎則休
この時の藩主は第4代の水野忠之(監物)。将軍吉宗の享保の改革を老中として支えた人物であり、後に天保の改革で名を馳せる水野忠邦は忠之の子孫。名門の譜代大名家ということですね。
赤穂事件の時、水野忠之はまだ三十代前半(老中となるのはもっと後の話です)。細川家を手本に、浪士たちを手厚くもてなしたと伝わります。
<石灯籠>
そして2月4日
幕命により、浪士たちは屋敷内で切腹となります。庭先ながら畳二枚が敷かれ、格式を重んじた形で刑に処されました。
<慶応仲通り商店街>
場所はJR田町駅から徒歩数分。ここを潜って更に進んだ小径の奥が屋敷跡です。当ブログがきっかけで、足を止めてくれる方がいたら嬉しいです。
■訪問:水野監物邸跡
[東京都港区芝] 5-20-20
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