今回は東北の雄・伊達家の上屋敷跡を訪ねました。場所は汐留の日本テレビです。
<現地>
■伊達家の上屋敷■
仙台の伊達家といえば加賀の前田家、薩摩の島津家につぐ外様大名。上屋敷もさぞ立派だったのでしょうね。仙台藩の初代藩主はご存じ伊達政宗ですね。政宗の時代の上屋敷は、現在の日比谷公園にあったとされています。
<日比谷公園>
こちらは日比谷公園内の上屋敷跡です。
以前投稿させて頂いておりますので、良かったら覗いてみて下さい。
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他に愛宕下(現在の新橋5・6丁目)にも江戸屋敷を構えていましたが、1641年(既に政宗亡きあと)、今回訪問の場所に屋敷を設け、のちに上屋敷として使用したようです。
<今回の訪問の説明板>
こんな雰囲気だったようです
発掘調査の結果、屋敷には庭園、付近には汐留川に接する舟入場なども確認されたそうです。
<日テレタワーの下>
昔の面影はありませんが、この手前の道は、どうやら昔からあった道のようです。
■とある事件■
『寛永18年(1641)に設けた屋敷は、当初下屋敷として用いられたが、延宝4年(1676)には上屋敷となり、以後幕末まで仙台藩の江戸における拠点となった。
元禄15年(1702)12月15日、本所吉良邸において、主君浅野内匠頭長矩の仇討ちを成し遂げ、その墓所高輪泉岳寺へ向かう赤穂浪士は、この場所で粥のもてなしを受けたと言われる。あたかもレトルト食品のように瞬く間に作られた粥は、仙台名産の仙台糒(ほしい:うるち米を蒸して乾燥させた保存食)であった。』
[説明文を転記]
説明文の最後は仙台市と日本テレビの連名となってますから、信用できますね。
糒は干し飯とも書きます。読み方は同じ「ほしい」。一度煮た米を天日に干したもので、要するに非常食ですね。戦の時の携帯食でもありました。これに急ぎ手を加え、赤穂浪士たちに振舞ったわけですね。
極寒の冬。本懐を遂げた武士たち。伊達家、粋な計らいですね。大石内蔵助は、のちに取調べを受けますが、この件には触れませんでした。仙台伊達藩に迷惑がかかることを避けたかったのですね。戦国時代に遡れば、奥州の覇者を目指した伊達家と、豊臣秀吉に徴用された浅野家とは不仲。美談として脚色があったとしても、いい話ですね。
つわものどもが夢の跡
<日テレタワー>
赤穂浪士たちはこの付近を通って主君の墓所へ向ったわけですね。
■訪問:日本テレビ
(仙台藩芝口上屋敷跡)
[東京都港区東新橋]
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