今回はむかしむかし征夷大将軍が陣を張った丘を訪ねました。場所は東京都北区です。
<赤羽台>
台地を貫通するJRのトンネル。左手奥の丘の上の鳥居、見えますでしょうか。神社の敷地の下を電車が通るという構造になっています。珍しいですね。
<丘の下の鳥居>
冒頭の坂道を登っても良いのですが、探索も兼て別ルートから登ることにしました。画像は丘の下にある鳥居。この先に境内へ続く階段があります。
<階段>
ここですね。高低差、伝わりますでしょうか。赤羽は武蔵野台地の北端に位置し、ちょうど台地が途切れる場所です。北には荒川が流れ、川に向かって低地が広がります。まぁこれはおおまかな話で、具体的な地形はかなり複雑。現地を訪問すると、丘と低地があちらこちらで入りくんでいることを実感します。
<赤羽八幡神社>
階段を登りきるとこんな感じ。赤羽八幡神社です。坂上田村麻呂が東征の際にこの丘に陣を敷き、祭神を勧請したことに始まるらしいのですが、いろいろ情報があるので、由緒についてはウィキペディアさんの説明をそのまま転用させて頂きます。
『784年(延暦3)に坂上田村麻呂が当地に陣を張り、3柱を勧請したことにより創建された。その後源頼光、源頼政、太田道灌と太田一族により再興された。明治初期まで郷社(赤羽総鎮守)の扱いを受けていたが、明治5年に村社(赤羽村鎮守)に格下げされた。』
[出典元:Wikipedia 2018/10/15]
<境内>
本殿には勝負事の神様が祀られています。他に境内神社として北野天満宮や稲荷神社、大黒主神社なども。ご利益の多い場所ですね。
坂上田村麻呂といえば征夷大将軍の二代目。初代の大伴弟麻呂(おおとものおとまろ)が高齢であったことから、これを補佐する立場だった田村麻呂は早くから実質的な役割を担っていました。北区赤羽は、荒川を渡れば埼玉県戸田市。これからもっともっと北へ向かう軍勢が、この丘に布陣して態勢を整えたというわけですね。
ちょっと話がそれますが、大伴弟麻呂も坂上田村麻呂も源氏ではありません。いつから「征夷大将軍は源氏じゃなきゃダメ!」のような雰囲気になったのですかね?
ウィキペディアさんの説明にもある通り、ここ赤羽八幡神社は清和源氏の3代目の源頼光や扇谷上杉家の家宰・太田道灌とも縁のある神社です。数々のご利益も魅力的ですが、武人ゆかりの地として訪ねてみるのもいいですね。
■訪問:赤羽八幡神社
[東京都北区赤羽台]4丁目
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ここは鉄道マニアの方にも人気です。更に、関ジャニ∞の聖地とのこと。どうもお守りに理由があるようです(∞という記号が関ジャニの∞と類似しているため)。ということで、境内には結構訪問者が多いですよ。
この神社は毎朝車窓から見えるにも関わらず一度も参拝したことがありません。おっしゃる通り、神社のある山腹を埼京線が貫いております。バチが当たらないのか余計な心配をしてしまいます。
赤羽はときたまアルコールを補給しに下車することがあります。次回はこちらの神社でご利益を補給させていただきたいと考えます。