高橋克彦さんの小説を読んで、この地を訪れようと思いました。
天下に異議を申立てて散った北の猛将の居城です。
<九戸城跡>くのへじょう
小説『天を衝く - 秀吉に喧嘩を売った男』は、南部氏庶流だった九戸政実を主人公とした長編歴史小説。マイナー武将?結構話題になりましたが、今でもそうなのですかね?確かに南部や津軽と比較する、全国的にはあまり知られていないかもしれませんね。私もこの小説と出会うまで、九戸政実(くのへまさざね)の名は知りませんでした。ただ、だからこそ感動したような気がします。
関東の覇者・北条氏の小田原城が落ちて、豊臣秀吉が天下統一を果たしたかのような話になっていますが、それより後に、五千人もの兵が城に立て籠もった事実があった。じゃ何を定義に統一したと言ってるんですかね…そんな思いです。もっと平たく言えば「なに無視してんだよ」という思いがしました。その衝動から、北へ旅立つことになりました。
■ 現地訪問 ■
<二戸駅>にのへ
初めてです。目的地の九戸城は、九戸村ではなく二戸市にあります。
<城の西側を流れる馬淵川>まべちがわ
九戸城は三方を川に囲まれた天然の要害。山城です。駅から城跡に行く手前で、早くも足が止まりました。凄い景色です。天下軍もここまで来たのですね。
つまり、まだ天下統一なんて成されてなかったのでしょう。
<外堀跡>
城の内部へ近づきつつあります。現在はただの畑ですが、もともとは九戸城の外堀だったことが分かります。画像が悪くすみません。
<城内へ>
思っていた以上に広い。後で調べたら、東京ドームの10個分のようです。
<山城>
典型的な山城ですね。
<空堀>
雰囲気的に水堀?かとも思いましたが、空堀です。水はけがよく、雨が降っても水が溜まるものではなかったようです。部分的に石垣が残っています。
ここまで整備されたのは、九戸政実より後の時代と思われます。この城は、政実の死後に蒲生氏郷によって改修され、南部宗家の城となり、福岡城と改められました。しかし、九戸城と呼ぶのが一般的です。それってどうしてですかね?
それは
地元の皆さんがそう呼びたいから!
です。いいですね。
<本丸付近の構造>
この案内を見ながら周りを見回すと「なるほど」と実感できます。単純に城跡としても興味深い。この城跡には、もともとの中世の城の特徴と西日本の城の特色があると言われています。九戸政実の城のなごりと、改修された福岡城のなごりということになりますね。
<本丸跡>
本丸は福岡城のなごりです。
■ 九戸城の戦い ■
九戸勢はもともと南部一族の精鋭。南部氏は単独で身内の争いを制圧することができませんでした。天下人に助けを求めた結果、蒲生氏郷ほかの九戸討伐軍6万が九戸城を取り囲むことに。これに対し、籠城する九戸勢は5千でした。
九戸政実の行為は「南部家当主の南部信直および奥州仕置を行う豊臣政権に対して起こした反乱」と定義されます。そもそも反乱?ってなんですかね。何を正義とするかで、その扱いは変わるものです。
天下軍を相手に、立て籠もる九戸勢は激しく抵抗。「開城すれば助命」の条件で、九戸政実は降伏します。しかし約束は反故にされ、政実は斬首、城内の者は女こどもを含め斬られた上に、二の丸に押し込まれて焼かれました。炎は三日三晩夜空を焦がしたと言い伝えられています。
これでも天下軍に正義があったと言えますかね?
どんな大義があっても、そう思えません。
■ 悲劇の城 ■
「荒城の月」のモデルとなった城については諸説ありますが、九戸城も有力候補の一つです。林檎狩りに訪れた晩翠が、九戸城の悲劇を聞き「荒城の月」書き残したと考えられています。その歴史を知った上で、この景色の空に月を見上げるとしてら、やはりこの城こそが「荒城の月」のモデルとして相応しいと思うことでしょう。
<本丸堀>
またいつか訪れたいと思っています。
■訪問:九戸城
[岩手県二戸市福岡城ノ内]
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タグ:岩手
拙ブログにとって最高のエールです。ありがとうございます。「天を衝く」を読まれたのでしたら、なおさら九戸城を訪問して欲しいですね。