<コンクリ渓谷>
このコンクリで固められた石神井川の崖の上、つまり桜で隠れているところが金剛寺です。
前の訪問記はこちらです
→豊島一族の城跡(滝野川城)
前回は真冬でした。今回は3月下旬。春の日差しを浴びながらの再訪です。
■地の利の再確認■
<石神井川の桜>
人がいない一瞬をとらえて撮影。見事な桜のおかげで、前回は遠く感じたのに、あっという間に滝野川城跡へ到着しまた。
<無音もみじ緑地>
これこれ。この緑地の地形が重要な意味を持ちます。
<滝野川城跡>
左が現在の石神井川の流路。右側は無音もみじ緑地。斜面を登った所に金剛寺があります。
今回の画像の方が「地の利」がはっきりします。桜や人の大きさと比較して、水面までいかに高低差があるか一目瞭然ですね。繰り返しになりますが、ここはむかしは渓谷でした。
<同じ画像を加工>
かつての石神井川はもっと好き勝手に蛇行していました。この付近だと赤い線がかつての流路。高台の城跡がどのような場所に築かれたのか、ご理解頂けるのではないでしょうか。単に川沿いというのではなく、舌状台地の上にありました。つまり三方の大半が川に面していたということですね。更にカーブだけではなく、地形ももっと複雑だったはずです。そもそも「滝野川」とは、具体的には石神井川のことを指していました。「滝のような川」というのが名の由来、そして地名の由来と考えられています。水量も今とは比較にならないほど多かったようです。
川と高低差による地の利。かつては『天然の要害』の要件を満たす場所だっと推定できますね。というか、遺構はないので、この状況証拠と伝わる話を信じ切って眺めるしかありません。
■金剛寺■城跡のいま
さて、折角立ち寄ったので・・・あまりお寺さんに詳しくないのに恐縮です。
<下から撮影>
まず石神井川沿いの歩道から見上げた金剛寺(と桜)
<金剛寺の山門>
上に登ってみました。ここが真言宗豊山派寺院の金剛寺です。左の石碑には紅葉寺と刻まれています。周辺には桜が咲き誇っていますが、かつては紅葉の名所で、寺の別名として紅葉寺(もみじでら)とも呼ばれています。
<説明板>
前回と重複しますが、ここは源頼朝ゆかりの地でもあります。源頼朝の布陣伝承地。「石橋山の戦いに破れた頼朝が、鎌倉に向かう途中に布陣した場所」とのことです。豊島氏や滝野川氏に関する説明はありません。ただ、敗れた頼朝が再び挙兵し、やがて関東を平定するさいに、豊島氏が従軍していることは史実として明らかになっています。源頼朝と豊島氏、まったく無関係ということではありません。
<弘法大師像>
弘法大師が創建したと伝わります。
<金剛寺本堂>
本堂の右手が石神井川になります。つまりかつての渓谷ですね。
<弁天堂>
<境内にて>
一番左は毘沙門天ですね。おじゃましました。前回は地形に満足して早々に立ち去りましたが、今回はゆっくり拝見させて頂きました。
■つわものどもが夢の跡■
かつて石神井川沿いに次々と拠点を設け、栄華を誇った豊島氏一族。1477年、太田道灌との戦いに敗れ、滝野川氏は本家の豊島氏とともに滅亡しました。石神井城や練馬城と同様、この地にあったとされる城もその後まもなく廃城となりました。
-------■滝野川城■-------
別 名:豊島城
築城年:不明(15世紀後半)
築城者:滝野川氏
城 主:滝野川氏
廃 城:1477年頃
現 状:金剛寺
[東京都北区滝野川]3丁目
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