<石神井川の桜>
咲き誇る桜を眺めながらの石神井川散歩。板橋から王子まで歩くコースのスタート地点として、この場所を選びました。住所は板橋区加賀。加賀?そうです、あの加賀百万石の加賀です。このあたり一帯は加賀藩前田家の下屋敷があった場所です。
<加賀公園>
この公園が目印。屋敷内にあった築山とその周辺が公園となっています。
<公園内>
全体を撮影したかったのですが、この日は花見の人達で一杯。地味に傾斜だけ撮影しました。
<別の日に撮影した画像>
これは桜が咲く前に撮影した石神井川と加賀公園。まぁこんな感じです。この川が屋敷の天然堀の役割を果たしていたのだろう。初めはそう思いましたが、ちょっと違うようです。
<説明板>
現地で撮影。これが下屋敷の全体図です。なんと、敷地の中に石神井川が流れています。
<コンクリ渓谷>
すみません。こちらも桜が咲く前に撮影したものです。ご覧の通り、現在の石神井川はしっかりとコンクリで固められています。かなり深い谷だとうこと、伝わりますでしょうか。
この付近、川が激しく蛇行する渓谷でした。その天然川を内包する屋敷とは、どれだけ大きかったのでしょうね。約21万7千坪とのこと。加賀百万石はスケールが違いますね。
前田家の場合、上屋敷は本郷、中屋敷は本駒込、そして下屋敷がここ板橋に設けられました。そもそも上中下ってなに?まぁ位置的には、江戸城に近い順で上屋敷・中屋敷・下屋敷と思って間違いありません。ただ、どこの家でも必ず3つあるというわけではありません。
そもそも江戸の屋敷は、石高に応じて場所や広さが考慮され、幕府から与えられるものです(あげるのではなく貸すだけ)。あてがわれた屋敷で事が足りる場合は、屋敷は一か所だけです。まずこれが基本。実際にそういうケースもあります。ただ、大きな所帯だとなかなかそれでは納まりきらず、別宅として郊外に大きめの屋敷を構えたりします。これが下屋敷。そして、これに加えて更に中屋敷を設ける場合もありますので、ようするに家の事情によってまちまちです。
前田家といえば外様屈指の大大名。今回訪問の下屋敷跡は、前田家にとって、江戸におけるいわば別荘のようなところ。それなりに広く、贅沢で当然かもしれませんね。ちなみに、前田家の上屋敷跡は東京大学になっています。あの有名な赤門は、もともと前田家の屋敷の門でした。
<軍事利用>
ここが前田家の屋敷跡ということに間違いはありませんが、のちの時代、明治から終戦まで、火薬の製造所(東京第二陸軍造兵廠板橋製造所)として使われていたようです。
城跡でも時々あることですが、まとまった敷地があることから、軍やそれに関連する組織に利用されたということですね。それぞれの時代で事情があることですから特にコメントしませんが、もしかしたらその時の造成により、屋敷らしいなごりは一掃されてしまったのかもしれませんね。
<石碑>
ただまぁこうして石碑もあるし。遺構うんぬんより、歴史がはっきりしているだけで満足です。
<屋敷跡付近の桜>
ということで、なんとなく納得の訪問となりました。
この付近の桜は見事です。また来年来ますかね
[東京都板橋区加賀]
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-------おまけ画像-------
ちょっと蛇足かも知れませんが・・・
<新板橋駅>
最寄駅の都営三田線・新板橋です。
ホームの壁面、なんとなく武家屋敷を象っているようにも見えますね。これは調べてないので確証はありません。前田家の屋敷をイメージしているのだろう。個人的にはそう思っています。
2018年03月28日
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