つわものどもが夢の跡
今回は城跡でも古戦場でもありません。ただ、かつて多くの武士たちの思いが通り過ぎて行ったところです。
■ 板橋区舟渡 ■ふなど
3月としては暖かい日曜日。JR埼京線の浮間舟渡駅で下車して、荒川に掛かる戸田橋の方へ向かいました。荒川の土手が見えたら、もう目的地はすぐそばです。
<石碑>
これです。戸田の渡し跡。やや窮屈なところにありますが立派な石碑です。戸田橋から100mくらいですかね。土手の中腹にあります。
今回訪問の場所は、中山道の宿場で言えば蕨宿と板橋宿の間。街道を進むためには、ここで荒川(当時の呼び名だと戸田川)を渡る必要があります。
<説明板>
まぁこんな感じですかね
■橋は無いのか?■
それにしても、中山道と言えば五街道の一つ。そんなメジャーな街道なのに橋は無かったのですかね?
<現在の戸田橋>
現在の様子。戸田橋です。
実は幕府の命により、荒川に橋を架けることは禁止されていました。さすが徳川家。用心深いですね。そう安々とは江戸に入れないということですね。
<川と堤防と橋>
かつてはこんな堤防もありません。荒川に面したこの地には、長さ70間・幅8間の「渡し場」が設けられていたそうです(江戸後期の話として)。1間は6尺で約182pですので、かなり大掛かりな施設ですね。
まぁ普通の旅人から大名行列まで、身分やスケールと関係なくここを通過した訳ですから、それなりの施設が必要になりますね。あの加賀百万石・前田家の参勤交代も、ここを通過。前田家は金沢から北国街道を抜け、中山道で江戸を目指しました。同じ板橋区内に前田家の下屋敷跡がありますが、わかる気がします。それにしても、もうその日の『戸田の渡し』は前田家の貸し切り状態だったことでしょう。相手は大名の中の大名。一般人は待つしかありませんね。
■ つわものどもが夢の跡 ■
前田家に限らず、諸国の大名行列が通った中山道。『戸田の渡し』はその道中の要所、そして江戸の入口でした。希望に満ち溢れた人。憂鬱な気分の人。いろんな思いが一旦ここに集まり、向こうの岸を目指したわけですね。
■訪問:戸田の渡し石碑
[東京都板橋区舟渡]2
※土手の途中です
2018年03月15日
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