今回はあの「井伊直政」が築城したと伝わる城を訪ねました。直政といえば「井伊の赤鬼」と称され、主にいくさ働きで名を馳せた武将というイメージですが、それだけではありません。外交手腕、そして築城から街づくりまで、幅広く役割をこなす多彩な人物でした。
■高崎城跡■
ここは群馬県高崎市。人口でも商業規模でも群馬県1の都市です。新幹線の駅があるのも高崎。県庁所在地である前橋との関係ってどうなんでしょう?なんとなくですが、埼玉県における大宮と浦和の関係に似ているような気がします(私は埼玉県民)。
<現地到着>
堀跡をきれいに整備したのでしょうね。土塁とセットで見ると雰囲気はあります。
<説明板>
平城ですね。それはここまで歩いてくる間に実感していましたが、なるほど、こんな縄張りだったわけですね。高崎城は、市内を流れる烏川沿いに築かれました。左側の図をみる限り、烏川に面した部分はかなり複雑な構造となっています。守備を固めるために意識してそうしたのか、もともとの地形をそのまま活かしたのかは分りません。ただ、結果としては攻め手を城内から狙いやすい構造になっています。他は定石通り。本丸を二の丸など他の曲輪(くるわ)で囲むように配置する『輪郭式』の縄張りです。
<水堀>
いい雰囲気。ここだけ見れば・・・
<本丸跡>
はい。見上げるとかなり存在感のある高層ビル。こちらは高崎市役所です。近くには立派な音楽ホール。かつての城跡には公共施設が集められ、高崎市の中心地となっています。そういう意味では、城があった時と同じですね。
<城のなごり>
現在も街の中心ということで、遺構の大半は失われています。かつて本丸にあったとされる御三階櫓(実質は天守)などは無理としても、もうちょっと「やんわりと」開発して欲しかったですね(城跡好きとしてのたわごとです)。ただ、細長い高崎城址公園内に残された延々と続く土塁は見応えがあります。
<土塁>
延々と・・・
いいですね〜画像は全てかつての三の丸を囲む土塁です。輪郭式の一番外側の堀に沿っているので、結構な長さになります。
<土塁>
街を背景に眺めると、これがまたいい。感謝したくなります。
■復元■
<東門>
復元された門。もともとあった門を、ここへ移設したそうです。よってこれも貴重な城のなごり。市の重要文化財となっています。
<乾櫓>いぬいやぐら
こちらは民間に払い下げられていたものを復活させたものです。ちなみに、乾櫓の「いぬい」は戌亥のことで、方角(西北)を意味しています。西北に設けられたやぐら。この櫓は、もともとは高崎城本丸の北西にありました。群馬県重要文化財です。私は土塁にばかり目を奪われますが、高崎城址の象徴はこちらなのかもしれませんね。
<乾櫓説明板>
■井伊直政と高崎城■
この地にはもともと地元豪族の和田氏の城がありました(和田城)。小田原北条氏の配下であったことから、秀吉の北条征伐の時に前田利家や上杉景勝らを擁する北国勢(豊臣軍の別動隊)に攻められ落城。まもなく廃城となりました。その後、関東へ入部した徳川家康の命により、井伊直政がこの地に新たな城を築いたとされています。
井伊直政。言わずと知れた徳川四天王の一人。酒井忠次・本多忠勝・榊原康政とともに、徳川幕府樹立に貢献した人物です。この4人、2017年の大河ドラマ「おんな城主 直虎」でもそろって登場していましたね。ひとりだけ若造でしたが(実際にかなり年下。本多忠勝と榊原康政が同い年で、それより13歳下になります。逆に酒井忠次はかなり上です)。そのドラマでは、やはり家康の側近として活躍した石川数正も目立っていましたが、後に出奔してしまうので・・・(石川数正の行動はいまだに謎が深いですが、今回はここまで)。
話を戻すと、今回訪問の高崎城は、そんな家康側近が築いた城です。直政は当時の上州において重要拠点だった箕輪城の城主となっていましたが、のちに交通の要所であるこの地に城を築き、拠点を移しました。もともと和田と呼ばれていた地名を『高崎』と改めたのも直政です。やがて初代高崎藩主となる井伊直政。城下には街が形成されてゆき、高崎の地は栄えました。
<土塀>
土塀と石垣は再現したものですが、あまり過剰にやり過ぎないところが良いですね。
■高崎を去った井伊直政■
井伊家と言えば彦根城ですね。高崎城主となり街造りにも着手した直政ですが、関ヶ原の戦いの後、近江国佐和山城に移ることになりました。佐和山城、つまり石田三成の居城ですね。ただし諸事情から、直政は佐和山の近くに別の城を築くことを決意。完成したのが彦根城です。
■江戸を通して存続■
井伊直政の後、高崎城主は諏訪・酒井・松平・安藤・・・とめまぐるしく入れ替わります。直政以降、城の本格的な工事はしばらく中断していましたが、安藤重信が再開。これ以降も改修工事が継続されたことで、近世城郭としての完成に至ったと伝わります。城は統治の拠点として江戸時代を通して存続し、廃城となるのは明治になってからです。
■つわものどもが夢の跡■
高崎城の築城途上で近江へ移った井伊直政。彦根城築城を計画しますが、完成前にこの世を去っています(1602年)。関ヶ原での傷が原因と考えられています。残念ですね。戦国の世を全力で駆け抜けた直政は、譜代大名の筆頭格という井伊家の地位、そして街として繁栄を続ける高崎と彦根の礎を築きました。
-------■高崎城■-------
●和田城
築城者:和田義信
築城年:1428年頃
城 主:和田氏
廃 城:1590年頃
●高崎城
築城者:井伊直政
築城年:1598年
改修者:安藤重信 他
城 主:井伊氏
諏訪氏 松平氏 他
廃 城:1871年
[群馬県高崎市高松町]
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