つわものどもが夢の跡
豊島一族の志村氏の城跡を訪問しました。
<志村城山公園>
城跡の一部は公園として整備されています。都営地下鉄の三田線・志村三丁目駅を降りてすぐ。アクセスで不自由することはありません。ただまぁ公園の名の通り山ですので、坂はある程度覚悟して下さい。
<登り坂>
こんな感じです。今日はここから登りますが、登り口はここだけではありません。
<熊野神社>
熊野権現の勧請を積極的に行った豊島氏。この地には一族の志村氏により、熊野神社が設けられました。神霊は無限に分けることができ、分霊もまた本社の神霊と同じ働きをすると聞きます。紀伊国まではなかなか行けませんので、ここ志村の地で有難くお参りさせて頂きました。
城の遺構としては、この鳥居をくぐってまっすく進んだところにある社殿周辺に、空堀が確認できます。また、ここまで来るのに急な坂を上りますので、地の利があったことは容易に想像できます。自然の川、具体的には荒川と出井川にも守られており、攻めにくい山城といえます。ここ熊野神社はむかしの二の丸。近くの小学校が本丸だったと考えられています。
<城内>
川沿いの低地と台地の高低差を地の利とする城は多いですが、志村城もそのタイプですね。
荒川は当然いまでも健在。もう一つ、出井川(でいがわ)ですが、暗渠化(地下に埋設)されてしまってその姿は見えません。ただ緑道を訪ねることで、そのなごりを感じることはできます(できなくもないというレベルで)。この川のなごりも、いわば城のなごり。私にはそう思えます。
<説明板>
志村氏に関する説明はありませんね…のちの時代に志村城を拠点とした千葉氏が紹介されています。
私は豊島一族の城跡を意識して訪問しましたが、こちらの板橋区教育委員会さんの説明にもある通りで、志村城は千葉氏の城跡でもあります。板橋区で千葉氏?名族・千葉氏は内紛で分裂し、下総とは別に武蔵へ逃れた千葉氏が存在します。ここでいう千葉氏は後者の方ですね。
志村城は『守に易く攻めるに難し』でしたが『北条氏綱に攻められて落城した』と記されています。これが1524年の出来事。城はその後小田原北条氏の配下だったことから、廃城となるのは秀吉の小田原征伐(1590年)の後と思われます。
<街の中の城跡>
歴史的にも、そして志村で暮らす人たちの憩いの場としても、とても重要な場所です。いいですね。
<石碑>
既に何度も来てますが、また訪問するような気がします。
東京、しかも23区内でありながら、中世の山城のなごりを肌で感じられる場所でした。
■訪問:志村城
[東京都板橋区志村]
※文中の出井川について別途追記させて頂きます
お城巡りランキング
2017年03月02日
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この投稿では城山公園を中心にご紹介させて頂きましたが、お隣の小学校付近が、かつての志村城の本丸と思われます。何でもない街の景色も、歴史を知れば違った景色に映ったりしますね。板橋区は歴史の深いところ。お住まいなら、とても羨ましいです。
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