<志村城石碑>
志村城跡については、前の投稿でふれさせて頂きました。周囲が宅地化されているにも関わらず、いまだに残る城のなごり。有り難い場所です。
今回は記事の文中にあった「暗渠化された出井川」を追記させて頂きます。
その前に
暗渠ってなに?
はい。この見慣れない字は「あんきょ」と読みます。いろんな定義がありますが「地下に埋設された川」という意味に受け取って下さい。
もうちょっと人情味のある言い方をすると
「もうなくなっちゃったけど、もともと川があったところ」
別な見方をすると
「人の都合で本来の姿でなくなった川」
私の偏りのある見方は悪影響があるかも知れませんので、暗渠の入門者に優しく説明してくれている記事を紹介しておきます。自称・中級暗渠ハンターの方の記事です。
『水のない水辺から』↓
http://mizbering.jp/archives/10477
で、志村三丁目の話に戻します。
中世の城と川は密接な関係です。志村城と出井川もそうでした。
<出井川>でいがわ
現在の出井川です。
これ道だろ?
と言われたら「まぁそうとも言います」としか答えられません。
中世の城と川。志村城は何とか城のなごりを留めていましたが、出井川はちょっと厳しい状況ですね。
暗渠も川なんだよ
自然にそう思える人には、この悲惨な状況もまんざら悪くないと思えるのではないでしょうか?人の手で蓋がされた川ですが、この緩やかなカーブ。これは川のなごりです。そして地下には水が流れています。そう、ちょっとだけ見方を変えれば、これは今も川なんです。
<痕跡>
こちらは志村三丁目駅の近くの駐輪場です。ここも出井川の暗渠です。で、せっかくですので、良く見て頂けますでしょうか。苔に覆われた部分。これは川の護岸の跡です。川は地下に移されましたが、痕跡が地表に残されています。
だから?
はい。そう言われたら終わってしまうお話でした。
ただ、こういう川の痕跡に気付くことは、草が生い茂る雑木林で城の痕跡に気付くことと似ているような気がします。取り残された護岸跡、見向きもされない土塁跡。どうしても情緒的に重なってしまいます。
城跡好きになり、最近はやや暗渠マニアにもなりつつある私にとって、ここ志村三丁目はその両方が楽しめる街。行きたい場所が定まらないと、ふらっと訪問してしまう街の一つです。赤羽の次ぐらいの頻度ですかね…
こんな拙ブログでどこまで伝わるのか分りませんが、現地で似たような満足感を得られる方が増えてくれると嬉しいです。
城跡も暗渠も、入場料はありません。気軽な訪問をお勧めします。
以上です。
■訪問:出井川の暗渠
[東京都板橋区志村]
次回からまた城跡訪問記を。豊島一族の城跡・滝野川城へつづきます
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タグ:暗渠と城跡