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冬の紳士
定年前に会社を辞めて、仕事を探したり、面影を探したり、中途半端な老人です。 でも今が一番充実しているような気がします。日々の発見を上手に皆さんに提供できたら嬉しいなと考えています。
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2016年05月26日
第2回 歴史第2部 4
第3章 大乾燥地帯(農業革命と牧畜の発明)と都市国家

【オリエント世界の動向・20,000年前以降】
20,000年前頃から、氷河の後退と海面上昇が始まり、やがて世界的な気温上昇(ヒプシサーマル)ともに、定住と農耕に向けて生活スタイルが変わってきます。このころからナイル流域や近東各地に小麦が自生し始めます。ケニアではマサイ族の前身が家畜利用を始めました。10,000前位には、黒海周辺のレヴァント地方に種をまく原始農業が始まり、麦栽培も定着します。イランでは羊の家畜化も見られました。日本でも縄文土器が作られました。土器は、収穫物を入れたり、煮炊きをしたり、水などを貯めたりする重要な道具でしたが、財産としても一族の威信を示しました。農耕はヨーロッパ、インド、中国、アフリカ、アメリカ大陸、アジアモンスーン地帯などでも独立に発生したようです。まだ侵略や民族移動は始まっていなかったようです。天候や河川の氾濫など環境との闘いにとどまっていました。

紀元前6000年頃から、西アジアの肥沃な三日月地帯に大麦・小麦と羊の牧畜を基盤にした農耕文化体系が生まれました。又アナトリア(トルコ共和国のアジア領に位置する半島。小アジアともよばれる)に、小麦・エンドウ・大麦の農耕、羊と山羊を飼育。大集落も作られた。(中国でも華北の粟(あわ)・江南の米と言われるように農耕が始まっています。)

【農耕による変化】〜分裂気質者と執着性格者
もともと人類は、長く狩猟生活を送っていました。自然の環境任せだった人類は、あちこちと移動して隠れながら食物を探し回らなければならなかったが、やがて小麦と大麦を栽培し、羊と山羊を家畜とし、移動せずに食料を調達できる社会を始める。二三回繰り返したら土地が痩せてくるので、木を焼き灰をまき又作物を作るが、数年すると雑草が作物を圧倒すようになり、放棄地として別の森を切り開く(焼き畑耕法)か、雑草と戦うかしかない。他に代替地のない日本の農民が、長年にわたって雑草と戦い、結果といて世界一手ごわい雑草を育ててしまったのは、それだけ勤勉だったあかしかもしれませんが、最初に農耕が発生したのは中東のシュメルの地(ペルシャ湾に接する、ティグリス・ユーフラテス下流の沖積平野・メソポタミア南部)で、紀元前37,00年頃だった。そこに定住生活が始まります。シュメル人はどこから移住してきたかは不明で、謎も多い。塗りつぶしの大きい目の、奇妙な像から宇宙人ではという噂もあるくらいです。
シュメル人.jpg

人類最初で最大の敵・乾燥は、赤道で蒸発する大量の水蒸気が積乱雲となって大量の雨を降らせたあと、カラカラに乾燥した空気となってアフリカ北部から西アジアに毎年下降してくる地球規模の大気循環の仕業です。乾燥に強い麦類を食料にすることを覚えた人類は、畑を開き、収穫まで待つわけです。また野生動物にとり畑は餌場となり、しぜんと集まってきます。彼らの習性を利用して飼い「馴らして」幼児化することで家畜とし、たんぱく源も確保します。やがてウシや馬、ラクダなどを群れのまま飼育する「牧畜」も考えられ、食用ばかりでなく農耕用にも使われました。
(後に18世紀に森林が伐採され、広々とした平地が広がり牧畜が広がるまでヨーロッパで飼われていた豚は、食物を反芻できない為、牧畜民には飼われず、農耕社会で飼われました。豚は今でもイスラムやユダヤ教でも食することが禁じられているのは、農耕民の家畜だからでしょうか。ここもかなり大事なところです。地中海を除くヨーロッパは、森の神々を持つ森林の民だったんです。ユダヤ教やキリスト教の生まれるような、乾燥して枯れた大地、砂漠の民ではなかったんです。キリスト教というのは、後からローマ帝国に押し付けられた宗教だったわけです。ここは押さえておいてください。)

既にこの頃(紀元前34,00年)シュメル人は、隕石から鉄を作ったり、動物の引く車や櫂でこぐ船を流通させ、ペルシャ湾・インダス下流を結ぶ交易をおこなっていたようです。しかし当時はまだ、鉄器は硬度の高い鋼にする技術が未熟で、盛んだったのは銅と錫の合金・青銅器でした。紀元前1500年頃からようやく、侵入してきたヒッタイト人に使われるようになり、更に500年ほどかけて普及するのです。
やがて、「犂(すき)」が発明され、焼き畑農民の処女地よりは収穫率は劣るものの、はるかに広い耕作面積を持ち、耕しておくだけで穀物を植えない休耕地(雑草地より早い回復)を併用することで永久に生活できることを発見します。絶えず移動しなくて済んだ人間たちは、収穫した穀物や道具を蓄える壺や籠などを作れるようになるのです。共同体に棲む農耕民は畑で規則正しく、骨惜しみせずに働かねばならず、植え付けの季節の見極めに時を図る必要を持つ。仲間を食べさせていくためには、収穫にはどれだけの量が必要かを計算できなければならない。それにはきちんと直線で仕切られた畑(自然に任せたら「でたらめ=エントロピー」がのさばり、収穫量の計算もできない形になってしまう)が必要になる。これらのきちんと計算された形(長方形とは限らないが、きちんとした整った形が必要だった)を維持する欲求は人間に、「強迫観念」を植え付ける。川の水を畑に導き「灌漑」を行って初めて収穫も可能となる。労働する者たちの厳しい規律と統制が必要となった。
「勇気とか力に訴える習慣は、狩猟民になくてはならぬ習慣だが、農耕民にはさして必要ではなくなった。
自然環境から略奪するだけの存在でなくなったとき、人間の数は飛躍的に増した(1 )」んですね。お陰で常に目先の危険に目ざとく、捕食者や獲物の兆候を読み取り、気の散り易い「分裂気質者(2)」よりも、きちんと集中し、計算高く、少しのミスも招き入れない完璧主義者で、強迫観念が強く、責任感の強い「執着性格者(2)」が必要視されるようになる。

ここに至って「人間は初めて自然の一部から、自然に対立する者となった(3 )」。ここは大事です。ここからが人間の「宗教」や「心(意識)」の発生の萌芽なんです。

こうなると「分裂親和者の逃げ道は、「上」(神や天体)にしか開かれていない。王、雨司、呪医、数学者、科学者、官僚 (3 )」や神官、芸能者、詩人、語り部、隔離された病人、そして中世から近代に狂気の餌食となった土着の異教徒「魔女」などですね。神官は、太陽や月の運航を観察・計算して暦を作る(聖(ひじり)は「日知り」でもあった)などの占いや予祝能力が求められた。

先に進み過ぎたので遡りますが、シュメル人は川辺の粘土を乾燥させた粘土板に楔形文字を刻み、所有権や主体を示す、神を刻んだ円筒印章を転がして、契約文書(経済・交易文書)を作った。一日24時間、1年12カ月、1ダース12本、演習360度などの60進法の発明や月の満ち欠けによる太陰暦、壺などをつくるロクロ、車輪を発明した。ウルク都市国家群も形成されました(紀元前34,00年頃)。情報の整理や勘定や名簿作りに、世界最古の文字、ウルク原文字が出現し、何と「簿記書板(表に商品と人名・裏に商品総額が記入)」が発見されている。ウルク都市群で大事なのは、ここに「宗教」を囲い込んだ「国家」の始まりがみられることです。



注1) ウイリアム・マクニール「世界史・上」中公文庫P54
注2) 分裂気質(分裂親和者)と執着性格者(第2部の2で説明するのを飛ばしてしまいましたが、ここで説明させてください。すみません。)
≪分裂気質schizothymia≫ 
クレッチマーによる性格類型の一つ。彼は,精神分裂病から分裂病質schizoidと分裂気質への移行系列を提起したが,このうち正常な範囲のものを分裂気質と呼んだ。感受性には過敏(敏感)と鈍感(冷淡)の両極があり,人と交わる態度は自閉的である。精神的テンポはしばしば飛躍性と固着不変性との間を往来し,精神運動機能はしばしば刺激に不相応で,抑圧,麻痺,阻止,硬直などを示す。体型はやせ型と親和性を示す。具体的な人間像の代表としては,上品で感覚の繊細な人,孤独な理想家,冷たい支配者と利己的な人,無味乾燥または鈍感な人の四つのタイプをあげている。(コトバンクより)
≪執着性格者immodithymia≫
1930年ころに下田光造が「躁鬱病」の病前性格として執着性格を提唱した。執着性格の基礎には一度起こった感情が長く持続し,かつ増強するという感情の経過の異常があることに着目し,この異常にもとづく性格特徴として仕事熱心,凝り性,徹底的,正直,几帳面,強い正義感,ごまかしやずぼらができないなどをあげている。(コトバンクより)

⇒人類の創成期に、分裂気質と執着性格者をピックアップしたのは、直立二足歩行を始め、自らを家畜化した人類が、未だ定住を覚え社会化に至らぬ前の狩猟期の気質が、「分裂気質」に近く、農耕期・都市型の集団生活の中で、(対獲物よりも)対人関係の方に強みを持つに至った連中が、「執着性格者の性向を持つと思われる為です。どちらも人類の持つ共通の気質であり、ある条件と環境の風の吹き違いで、「病気」と呼ばれる型に進んでしまうことがあって、戻りにくくなってしまう。
統合失調症をとても一言で定義などできるものではないが、基礎的な気質としては次のことが言えるのではないだろうか。「分裂病(統合失調症)とは、極度にシャイな個体であり、極度に敏感で、自分の感情がすぐ傷つくという不思議な特技を有し、自分と自分以外の人々との親密な接触との間に途方もなく大きな防衛機構をかなり自然に樹立してしまった人であると思っている」。そうなったのには、当時生きていた社会的な場において、重要で困難性を持つ位置に立たされ、特異性のある見事なテクニックを使う対処をしていたが、やがて「自己評価に非常に厳しくマイナスの作用をする場に遭遇して、自己肯定が排斥された後に」、対処麻痺に陥った後、「幼児期以来我々が共通に人間として相続した遺産である、宇宙への統一整合性、神の善意などに対する、あの信頼感の大部分を喪失し、それ以来、人生が決定的に不確かであるという感覚をもって生きていく(*)」ことになってしまったことが大きく作用している。つまり、誰にでもある人間的な特質であり、社会化の過程で大きく傷ついた我々の仲間だということです。そして、素人の私の食い散らかしの知識では、この対極にあるのではと思うのが「躁うつ病」ですが、「統合失調症のキーワードが「先案じ」としての「不安」であるとすれば、躁うつ病のキーワードは「後悔」である。うつ状態のときは「取り返しがつかない」と悔やみ、躁状態のときは「何とか取り返し、埋め合わせ、つぐないをつけよう」と頑張る。統合失調症の人は、済んだことにはわりとあっさりしている。目は結局「将来」に向かっており、それが「不安」の根拠づけのことが多い(**)」わけで、躁鬱病に至らない、軽い段階での「執着性格者」の目も「過去」にむいているわけです。木村敏さんは、人間の心理的時間感覚を、「祭りの前(アンテ・フェストゥム)」「祭りの後(ポスト・フェストゥム)」「祭りの最中(イントラ・フェストゥム)」の3つに分類しています。統合失調的、躁うつ病的、てんかん的の3つになります。
してみると、てんかん親和者は、「現在」を向いているわけですね。
「誰でも条件さえ整えば発作を起こせる(一定以上の電圧通電、幼児の高熱、けいれん誘発剤服用など)。てんかんを病む人は、そうでない人に比べて、けいれんに対する閾値が低いだけである。」「現在人は、深く現在を味わうことができる。壮大な夕焼けの美も、一輪の花の清楚も、めくるめくスリルも、深く戦慄的なまでに体験できるのは、てんかん親和的な人の特権と言ってよい。・・人々を感動させる芸術はてんかん親和的な人が作り上げたものである。モーツアルト、ベートーベン、ドストエフスキー、ゴッホ、皆そうである。・・・のめり込むような勤勉と持続力と、職人的な細部への関心は、てんかんの人の特徴である。これが(両方)ないと、芸術を「味わう」人にはなれても、「産み出す」芸術家にはなれない。享受と精進は、てんかん親和者の表裏2面である。だから第1級の学者、スポーツ選手、芸能界のスターはどこかてんかん親和的なところを隠し持っているはずである。てんかん親和的な人は大胆に矛盾を生きる人である。・・矛盾を生きるとは、刺激を避けた静かな生活に憧れるとともに刺激を求め、のめり込んでいくという二面性である(***)。」

精神疾患の中で、自我の崩壊を伴わない方を「神経症」とし、今挙げた、分裂気質や執着気質の強い人もここに分類(失礼かもしれないが)されるのでしょう。その他性倒錯や性格異常なども含まれる。「精神病」は自我に異常をきたし、社会生活に差しさわりが出る人を区別してよんでいるようですが、そう簡単でもない。個々の事例すべてが入り組んでいるのが実態で、それは精神疾患に限ったことではない。生きて動いている人間の状況なのだから、当然のことだろう。神経症と精神病の境界にあるとされる「境界例」という症状も認められているようです。
(*)H.Sサリヴァン「分裂病は人間的過程である」みすず書房P303〜306)
(**)中井久夫・山口直彦「看護のための精神医学」医学書院P154
(***)中井久夫・山口直彦「看護のための精神医学」医学書院P252

注3) 中井久夫「分裂病と人類」東京大学出版会P25

2016年05月26日
第2回 歴史第2部 4
(続き)

【農耕による変化】〜分裂気質者と執着性格者
宗教の始まりは、恐らく狩猟民族の、自らの移動(狩り)に対する対象(獲物)の出現の不確実性を埋めるための呪術に頼る、シャーマ二ズムによる政教一致に始まるだろう。
それは自然のリズムと宇宙の呼吸に合わせた、対立意識のない人間の全体性を保つものだったろう。その意味で呪術とは、レヴィ・ストロースの言うように「人間行動の自然化(野生思考)」であると思います。
やがて農耕民族は、その収穫の安定化に伴い、呪術への依存度は低下する。徐々に自然との並立を意識するに従い、逆に「自然法則の人間化・擬人化(4 )」である宗教に向かう。それは「信仰」という形をとって、耕し傷つけた大地に両手を合わせ、こうべを垂れさせる。作物を奪い取るために、傷つけた大地の穀物神の怒りを収めるための、「浄め(お祓い)の儀式が必要となる。浄化は強迫症の代表である(8)」わけで、執着性格者の持つ特性の大きな部分です。
また以前(野生思考時)は、全体性の中で部分として果たすべき役割が備わっていたものが、自然から独立(と言っても部分独立に過ぎないが)して食物を生産できるようになった今、役割(生きる意味)がなくなり、むなしさが始まり、それを探し出すようになる。それで自然と「来し方」を見て、頭を垂れて、想い起そうとするわけです。そこで得たひらめきを教義として、他の人に押し付ける(布教)。こうして宗教は広まるわけですね。

(宗教という観念の助けを借りないにしても、既に自然から独立してしまった人間は、本能的な世界の外に出てしまった、つまりそれから離れて「意識」するようになり、「見る」ようになり(今までは本能に従っていれば何の不安もなく、自然との一体感を生きることができていたのが)、全ての行動から動機から道具まで、作り直さなければならず、その為の行為の主体たる自我を持たねばならなくなった。岸田秀さんは、このことを「人間は本能が壊れた動物」と言う。その通りだと思います。行動している自分を見る目を持ってしまったんですね。その目は時間差を理解するので(今の自分(=常に過去となっていく自分)とそれを見る自分(=永遠の現在)の両方を比較できるので)、本能に従って生きるものに対し行動上のアドバンテージを持つ。
半面で生きることの一体感・現実感は消え去った。たとえ戦いに勝とうが、食物連鎖の頂点に立とうが、この喪失感は残ったままとなる。その隙間を埋めたいと考えた方法の一つに信仰がある。これは、最終回にも話しますが、人間の心の誕生のきっかけですね。)

その信仰が対象とする「聖なる場所」が、そこに聖性が発見された場所(例えば、アッティカ街道沿いに古代ローマよりも古い先住民のエトルリア人の崇めていた神殿跡がある。これは彼らの町に持ち込んだ神殿ではなく、火山岩の生成過程でできる「柱状節理」に神の力を感じて、そこを神聖な場所として祀った)や、聖なる農耕の場でなく、都市に(人間の都合のいい場所に)持ってこられるのは時間の問題だった。「聖堂や神殿」の建設です。こうなると、宗教が世俗化し、政治が宗教化する(神がかりになる)わけですね。ここに「宗教と国家の起源が同一視される歴史的根拠が出現(5 )」しました。招いた「神々との契約(5 )」が起こったのです。つまり、神への服従と見返り・報酬の関係です。権力装置の発生ですね。
もともと宗教と政治は相似形で相性がいいんです。というより両者は一体だった。それを人間の都市の方にひきよせたわけですね(擬人化から始まって、神殿となり、祭壇となり、持ち運べる書物(聖典)となり、終いにはタブレットの中のアイコンになるわけです。現代の子どもたちの神殿は、スマホの中にあるわけです)。

ウルク都市群には、日干し煉瓦を積み上げたジッグラト(聖塔)と呼ばれる、神が降臨する人工の山が作られ、最上部に神殿が設けられました。バベルの塔は、バビロンにあったジッグラトが伝説化されたものだろうといわれます。
ウルク原文字は最初は絵文字(表意文字)で、徐々に変化し楔形文字となり、紀元前1700年バビロン王朝のころには横書きに変化し簡略化されていった。後にシュメル文字は、セム語化され、メソポタミア全体の公用文字となります。「不思議なことにセム語系の文字は子音文字ばかりで、母音を表す文字がない。ということは、読む者が母音を補って読んでいたと推測されています。これに対し、後のフェニキア語やアルファベットは母音を文字システムで表すことにした。つまり完全に音声を表記してしまうようにした。デリック・ド・カークホーブという学者は、そのせいで左脳が刺激され神経生理学的にも抽象的で分析的な思考がしやすくなったと推理している(6)」そうです。
採るものがあれば必ず捨てるものもあります。そこで得たものが抽象思考なら、フェニキアやギリシャ人たちが、母音も含めた、「全てを見せてしまう」方を選択したことで失ったものは何なんでしょうか。それは今の西欧諸国に限らず我々の失っている何物かかもしれませんね。アナログがある日突然デジタル化された時の喪失感のような何かですね。レコードがCDに代わった時の何か大きな支えを失ったときのような。耳には聞こえないが、全体を包んでいた圧倒的な幸福感のような何か。
そうはいっても、アルファベットが俗人や一般人に開放された功績は認めなければなりません。象形文字や楔形文字は複雑で子供たちに覚えさせるのは無理だった。その教育が放置されてあった。宗教上の目的には使われたが、日常の事柄には、発祥地シリアからすぐに広がり、学問の大衆化を実現した。鉄(犂(すき)の発明)とアルファベットは文明の基盤を、参加者を格段に大きく広げたわけです。

話を戻しますが、神官だけではありませんが、秀でた能力を持つものは、尊敬されるとともに、恐れられ一つ間違えれば賤民扱いされる。いじめにあうのは、ちょっと変わった能力の持ち主で、優しくて、心はアナザーワールドを向いていそうな子が多いですね (7)。
神が死んだ現代では、分裂気質者には「世に隠れて棲む」ことが多いのです。しかし時代は変わる。新たな脅威はいつの世にも現れる。彼らの出番はいずれまたやってくるでしょう。こうして「土地に執着する農耕文化」がしばらく幅を利かせます。

これは先の話ですが、次に来るのが、土地に執着しない流動的な文化・商業の文化ですね。血の繋がらない者たちの「都市の文化」です。宗教もお人好しの血族で成り立ち、文字も不要な「多神教」から、被害民の、被差別民の現状打破の方法としての戦争の神、厳格且つ非寛容な「一神教」の登場です。そうです、流浪の民「ユダヤ教」の文化です。都市は地元を追い出された人間たちの集まりです。宗教が、血縁を越えて、シンボル化してくるわけです。ディアスポーラ(離散)した、遠くの民にも伝わる「文字の宗教」になってきます。持ち運び自由な信仰にもなるわけです。「初めに言葉ありき」ですね。
外部からの侵略・収奪が一段落し、社会が安定すると、自己主張・権勢誇示の一方的な贈与が始まり、もらった方も負い目を感じお返しをせずには、世間から外される。そういった経済行為が始まります。
「見える化」の象徴、時計の「時間」・「商人の時間」も登場します。持ち運べる、価値のシンボルである貨幣も広まってきます。経済行為は、血族や知人への「贈与」「交換」から、貨幣を使った、赤の他人への「見せびらかし」の購買(自己主張)や食料調達に変化していきます。先走りはこのくらいで。

この時代、日本が眠りから覚めるのが遅かった(競争となると不利なだけで、ちっとも悪いわけじゃないんですが)原因は、恐らくこの1万5千年に及ぶ長い、厳しい乾燥から解放された、恵みの雨のある湿潤気候と、侵略のない島国という環境が関係していたのだと思います。


注4)自然法則の擬人化
 自然法則の擬人化とは、自然の現象に何か見えない法則のようなものを感じ、それを何か意志を持ったも のが動かしていると考えることだろうが、私に言わせれば、その考えは後の自然科学の考え方そのものだろう。「神」と呼ぶか「法則」と呼ぶかの違いに過ぎない。それは現象には必ず原因と結果があり自然も人工の世界もこの原則に貫かれているという考えです。
だが、それが人間的な発想であり、それを絶対と考えることが傲慢ではないのか。しつこいようですが、我々は部分しか考えられないのであって、絶対を・普遍を考えられるわけがない。だから、わからないものは必ずあるとしてそれを神と呼ぶならまだわかるが、法則というコントロールできるもの(都合のいいもの)に置き換えてしまって、「原因と結果」などと自然現象を「擬人化」して都合よいところだけ見て、他は無いものとして目をつぶって世界観を作り上げて、我が物顔にふるまってはいけないでしょう。「原因と結果がある」のではなく、ただ「繋がっている」んです。

注5) 松岡正剛「情報の歴史を読む」P120
 私たち日本人も、無宗教と言われながら、神や神々とは別に、先祖を対象とした墓や、それを携帯できる位牌や仏壇を持っている。それを家の中に持ち込んで、自分の都合に合わせて先祖との繋がり(共生関係)を確認している。戦国武将は僧を連れ仏壇を持ち歩いた。これは先ほどのアイコンと同じことで、そこをクリックすれば、たちどころに、アナザーワールド・ご先祖との「共生の世界」が出現するわけです。このアイデンティティの確認作業は農耕の出現とともに、境界で「土地を区切り所有する」(空いている時でも他のものに使わせない)という構造を作り出した。それは先祖から未来に渡った時間的所有概念も伴った。墓はその執着の象徴だった(狩猟民や遊牧民は墓を持たない部族が多い。分裂気質者は墓にあまりこだわらない)。
神棚は、先祖とは別の、ワンランク広い、民族の「共同体的共生」を出現させるアイコン(簡易模型)なわけです。私たちは神様のような共同体的・民族的共生の確認を持ち出すほど、世界からひどい目にあってこなかったのでしょう、文字を使って、空想を働かせ、共同の幻想の力を借りて戦うまでの、民族の悲願達成を鼓舞しなければならないような、被侵略の体験も少なかったからでしょう。従ってそれはやがて、個人の家に神棚を置くという小さな意識形態に、更には非戦闘的で携帯可能な「お守り」に収縮していったのでしょう。「神との契約」などという強烈な自我までは持たなかった。
(それでもここ二千年の歴史で、日本も何度かそのような経験をしていますね。ペリー来航による屈辱などです。唯他の国々のように、負けることが判っていても、自らのアイデンティティの方を大切にして、占領を受け止めるような屈辱のしかたではなく、開国して表面だけ従い、内面では「この野郎」という「和魂洋才」の、分裂した精神状態で物理的実害を避けた。こうして抱え込んだアメリカ人に対するコンプレックスを解消しようとしたのが、「尊王攘夷」であり「富国強兵策」であり「真珠湾攻撃」だったのでしょう。ここは精神分析学者の岸田秀さんの受け売りですが、理にかなった説明だと思います。コンプレックスだから、敵対心とともに憧れもあったし、今もあるのは判りますよね。

注6) 松岡正剛「情報の歴史を読む」P100

注7)いじめ
 いじめはほっとけば起きるものなんです。異なるものをつぶし、群れを維持しようとする当然の人間の心理なんです。それをやめさせたかったら、普通にほっといたらダメなんです。日常以上の注意力と手をかけなければ、「通常でない世界(高度なバランス)」を維持できるわけがないでしょう。愛と同じです。手をかけなければ死に向かうんです。それを先生にお任せで、何かあれば、学校の責任と当然のように主張する。先生にだって、そんな能力はありません。だって、採用に当たって教育(役に立たないこと=心のコントロール)に力を注ぐことを喜ぶ人間なんか、めったに選ばれていませんから。そういう「分裂気質者」はふるい落とされて、現実的な、責任感の強い、統制を好むコーチする人たち(役に立つことを教える人)「執着性格者」が多く選ばれているわけですから。何とかしろといわれても無理です。じゃー、どうすれば解決するの?と聞いてくること事体がマニュアル世代の発想で、最初から間違ってるんです。解決する答えがあるということは、それを見ている神のような存在(設計者)がなければおかしい。その神にみんながなってしまっているんです。そんな「参加しないで済む」正解なんてない。ないから、自分が飛び込んで部分になるんです。「手入れ」に参加するしかないんです。「見る人」が考えるように、環境とやらをいくら整えたって駄目なんです。手入れし続けなければいけないんです。「頭をひねって作った内容で、実行しやすい」解決策(マニュアル)をいくら見せても、絵に描いた餅です。そうではなく、「簡単なことで、実行・続けることが難しい(時間を必要とする)」手入れしかないんです。見る人になっちゃいけません。テレビの弊害は異様にはびこっていますね。なにしろ最近のスマホやタブレットに至るまで、自分を部外者に仕立てる装置はいっこうに衰えを知りませんからね。(マニュアルが通用するのは、相手がロボットのときだけで、それであしらわれるということは、その部外者の目に、馬鹿にされている・操られているということだということに、もういい加減気付いてますよね。)



2016年05月10日
第2回 歴史第2部 3
第2章 独特な進化史

【ネオテニー】
 ネオテニーとは「幼形成熟」と訳し、人が幼い形のまま成長する過程を称します。どういうことかというと、オランダの生物学者ルイス・ボルクは、「他の動物においては生まれた時の、平面的な顔・少ない体毛・大きな脳容量・手足の構造・骨盤の構造など多くの身体的特徴が成長とともに変化するのに、ヒトの場合は、成人にまでそのまま持ち越される(13)」としました。これだけならヒトという種の中だけの話ですが、それが種を超えて継承されることがあるということなんです。つまりヒトはサルのネオテニーだ(ヒトという種は、サルの子どものまま成長を極端に遅らせた種だ)というわけです。参考にチンパンジーの子どもと大人の図を見ていただければ、いかにヒトが大人になっても、チンパンジーの子どものほうに似ているかお分かりだと思います。
ネオテニー1.jpg

しかもこれは身体的特性だけでなく、精神的な形質にも表れるという。身も心も幼い形質を持ったまま成熟するんです。ボルグは、あえて成長を「遅滞」するといった。これは生まれる前の胎児の段階から始まっているので、長い妊娠期間や難産をもたらしたことは既に述べましたが、更に生まれた後もこれを続け、他の動物のようにそれぞれの種の特殊化を完成させて成長は終わり、という形をとらないのです。常に可能性の上にある。なぜか成長を急がない。これを誤解して「アダルトチルドレン」だの「ピーターパン現象」だのに当てはめる向きがあるが、それは違うと思うんです。これじゃ在る種の特殊化の完成に閉じこもる停滞です。そうでなく成長を遅くして成熟し続けるんです。なんでも一直線になんていかないんです。「1歩進んで2歩下がる」じゃありませんが、充分に深さをもって進むということです。退行ではありません。生涯学習です。ネオテニー的特性は、「偏見を持たず、新しい考えを受け入れ、順応性を持ち、探求し、努力し、疑問を発し、追及し、批判的に試し、新しい考えも検討する、つまり偏見のない好奇心と新しい経験を享受することに興奮する(14)」絶えず学びながら発育する「謙虚な状態」をキープするのです。

いったい何時からこんな傾向を持つに至ったのか、何故なのか、それは直立二足歩行のところでも少し話しましたが、環境への対応の中で、生命進化の裏側に仕組まれた「後退」という裏の面を、我々の祖先が思わず利用したからでしょう。「飛ぶときは一旦、充分にためを作ってから・・」というあれです。
干ばつという激烈な環境変化と、捕食者からの餌食になる恐怖で絶滅寸前にあった猿人は、ついに窮余の一策をとった。それは先ほどの直立歩行のところで述べたように「群れ」という集団行動をとることであり、勝手な仲間割れは致命的だった。

ここが大事なんです。『強くなるのではなく、弱くなることを選択した』んです。集団行動、団結に必要な個々の弱体化=幼児化です。人類最初にして、最大の選択でした。この非常時にですよ!窮すれば通ずと言いますが、この逆転満塁ホームランはいくら強調してもし過ぎることのない驚嘆すべき知恵でした。全体主義の一糸乱れぬ統率とは違います。あれは外からの力による強制で、自然のリズムに逆らう「意志」による統率です。個々の強化です。これはそうではなく、自発的選択であり、身体的選択なんです。雀の群れもそうですが、意志でなんてやってたら、とっても間に合わない。個々は無に徹しなければならない。

この幼児化という現象は、福岡ハカセによれば、「遺伝子的自体に突然変異が起きなくても、(成長)遺伝子の活性化のタイミングが遅れさえすれば実現できる変化」だという。「遺伝子そのものではなく、遺伝子活性化のタイミングを制御する仕組み、この研究が注目されている(15 )」。それがエピジェネティクスという分野で、エピとは、遺伝子「外」を意味するようだ。外から遺伝子を制御するしくみのことです。この分野の研究も今後ますます細分化されていくでしょう。でも私は仕組みの魔にのめりこみたくない。猿人に遺伝子はわからない。どうしてこうなったのか。どうやって最初の猿人は、(成長遺伝子活性化の)タイミングを遅らせたのか。やはり肝心なところは伏せられているのでしょう。

一つヒントになりそうな実験が行われました。それは、ロシアのベリャーエフによる1958年の「家畜化という現象」に関する実験でした。
「ウシ、犬、ヤギ、猫のどの種をとっても現れてくる家畜化の効果だった。繁殖の季節的パターンを喪失させること、毛皮の色や柄や毛質に多大のバリエーションが生じること(多様性が生じる)、耳を垂れさせたり、尾を巻かせたりもする。この原因を彼は固く信じていた。唯一つの要素「飼い馴らされた」従順な行動が選択された結果だと(16」。
そしてこの信念を確かめるため、(人間の調教師に馴れている程度に応じて)3パターンのロシア産ギンギツネの家畜化のプロセスを追求した。各世代において繁殖させるのは人間に馴れているキツネだけに絞った。するとわずか6世代ですべてのキツネが従順になった。8世代頃からは、多くがまだら毛となったり、尾を巻くものもあらわれ、子キツネしか見られない垂れた耳を保持するものもあらわれた。鳴き声も子キツネのものだった。15世代もすれば、尾も足も長くなった(17)。「それらは、ただ自然に、「馴れ」とともに現れてきた(18)」
家畜化され、えさの心配もなく、敵に襲われる心配もなくなればみんな、闘争本能も萎えて、飼い主になついた方が楽ですからね。
でも猿人は馴らされたわけではない。馴らしてくれる存在などいなかった。
あくまで集団化を進めるしか他に方法はなかった。失敗したものも多かったでしょう。仲間割れしたものもあったでしょう。うまく集団化できたチームが生き残った。「自ら」集団に馴れていったんですね。おそらく。彼らの行動が、幼児化され、共同の目標に従順で、素直で、柔軟でかつ自主的な行動だった。そして、どう考えても不利な幼児的身体の方は、「位置の変わらない頭部関節や、長い下肢などに依って成り立つ人間の直立姿勢は、私達の祖先が(行動的に)幼児化してきたゆえに(ついてきた身体の)必然的な結果に過ぎない(19)」わけです。つまり精神的幼児化を選択したゆえに、セットとしてならざるを得なかった身体的幼児化だったわけです。(ブロムホールによれば、その身体的特徴をたどれば、「位置の変わらない頭部関節」は、生まれる前のチンパンジーの頭は頭骨の基部の関節で脊柱に繋がっていて、直立したときに頭が前を向くようになっていることや、ヒトの口や体毛の特徴は、チンパンジーの胎児が「めくれた唇」をしているし、身体の大部分に毛が生えておらず、頭の最上部だけはたっぷりと毛に覆われていることに似ているなどたくさん挙げられます。)
従って、その不利な身体的特徴をカバーすべく、よけいに考え・学習するわけです。

最初で少し、人間のネオテニーを褒めすぎましたが、この現象は全ての動物に起きうる現象だということもわかりました。イルカやクジラでさえ、彼らがウシに似た祖先の極めて幼児化された姿であることを示唆する多くの特徴を持っているし、シロアリは論理的に、極めて幼児化したゴキブリなのだとまで言っています。もしかしたら、「多様性」とは、ネオテニーのことなのかもしれませんね。後に「狩猟」から「農耕」への生活革命の時代が登場しますが、そのころ、ヒトの蓄える食料に引き寄せられて、多くの動物が集まってきます。ヒトは彼らを家畜化して、戦力とします。犬はオオカミの子がするような行動をとる(成熟したオオカミは吠えるとしても、番犬がよくやる轟音の連発(子どものやること)ではなく、ソフトでくぐもった声をだす)。豚もイノシシの幼形へと「飼い馴らされる」わけです。動物園の動物も、同様に「馴らされれば」、家畜動物と同様に幼形に向かうのです。このまま野生に戻したら大変。成年に達したオスのチンパンジーすら、よそ者として、二三日後には無残な肉片と化していまいます。

唯、ことはそううまくばかりは、いかない。中世のころからか、幼児化をたどる過程で、この世で「こころ」という実りを花開かせた魅力的な男性の一部は、女性に性的魅力を感じなくなってしまった。同性愛がそれです(20)。またマゾな人も増えた(マルキ・ド・サドという現象は、この流れへの精神的反発がもたらした男性的なるものの復権の意志でしょうか。いずれにしても人間のオスにはこのような、「縄張り争い」を否定され、メスにも足を引っ張られたという二重の「飼い馴らされた」恨みのようなものが、潜在的に潜んでいるのかもしれませんね。ただ、サディズムも結局はマゾヒズムと同じで、虐待している自分と、虐待されている相手を同一視して、相手の立場に身を置いてマゾヒズムを味わっているともいえるわけで、両者同類と言われます)。
いずれにしても、この現象は、非好戦的・平和的なヒトが増えた結果で、安泰ではあるが、子孫繁栄という観点からはやや問題かもしれない。それがいいのか悪いのかなんて誰も決められない。それを、「無責任だ」なんて簡単に言える問題ではないのですから。

だいぶ飛びましたが、新人が原人の間から出現したとき、人間の歴史は始まります。なぜなら、「それ以前の人間に似た集団との間の大きな違いは、幼児期と少年期の長さにある。」
「一人前になるまでの時間が長くなることは、人間形成に時間がかかることになり、物を学ぶ能力が飛躍的に増大することを意味する。」「人間の行動はDNA の素晴らしい機構によって遺伝された個人の生物学的資質よりも、社会の中で学んだものの力によってはるかに律せられるようになった。文化的進化が生物学的進化の先に立ったとき、本来の厳密な意味での歴史が始まった(21 )」と全体としては言えるからです。

だいぶネオテニーで時間を取りましたが、大事なところなのでお許しください。

ここで質問です。先ほどキツネの実験で、家畜化されると種が多様化することを説明しましたが、さて、自身で家畜化を図った(ネオテニー)人類は、どう多様化されたのでしょうか?

答えは、いろいろあるでしょうが、最大の多様化は「人種」と呼ばれるものが発生したことですね。人種と言ってもみんなこの言葉に馴らされて当たり前のことのように使っていますが、人類という「種」があるだけで、白人・黒人・黄色人などという「種」があるわけじゃない。ここから既に「差別」意識が働いているんです。(これは、後から出てきますが「アーリア人」などという眉唾物の人種をでっちあげて、ヨーロパ優位の歴史を作り上げ、まんまと世界中をだました19世紀から20世紀のヨーロパ学者たちの、ほとんど「集団信仰」と言っていい差別学説に繋がります。なぜこんなことを集団で今も頑なに意地張っているのか、優越感からくる正当化以外の何物でもないですね。その頑なな優越感のもとはと言えば、そのまた以前の黒人からの差別が原因という精神分析家もいます。やれ大航海時代(「60数隻の大船団・総員3万近い人員で、ペルシャ湾や東アフリカに達し、渡航先の住民と平和的に文化交流や商取引(朝貢貿易)を行い、トラブルもなかった明の鄭和の航海が大航海でなく、渡航先の無抵抗の住民を拉致し、虐殺し、強姦し、物品強奪し、放火し、それがために殺されたマゼランやキャプテン・クック達や、百名足らずの船員しかいなかったコロンブスの1回目の航海(22)」が何で「大航海」なのか、さっぱりわからない)だとか、新大陸発見(何が発見か。とっくに人は住んでいた)だとか、フロンティアスピリット(西側に侵略しただけなのに、なんで西域開拓なのか)だとか、アフリカ暗黒大陸(現地の人たちは何も暗黒だなんて思っていなかった。暗黒にしたのは文明人とやらだ)だとかの、ヨーロッパの大罪を正当化する為の大芝居にもつながるわけです。「ルネッサンス」という言葉にも騙された。これは古代ギリシャという古典の「再生」だなどと言っていますが、古代ギリシャ人は彼らの先祖でもなんでもなく、単純にヨーロッパ文化の「多様化」に過ぎないんです。

さて、だいぶ横道に逸れましたが、その人種の多様化の最初は、白人ですか黒人ですか?
人類アフリカ起源説やチンパンジーのネオテニー(家畜化)から考えても、黒人ですよね。このあたりの話は、精神分析学者の岸田秀さんの説を剽窃してもいますが、「白虎や白蛇や、白鯨のように、どのような動物にもときおり白子(アルビノ)は発生するが、自然の中にいる動物の場合は、白子以外の連中が白子を排除するとか、白子同士で固まるとかはないので、白子は一代限りで終わり、別種のグループを形成することはない。白鼠も白兎も人間が飼育して人為的につくった家畜である。人類の場合も、黒人であった最初の人類に白子が発生したとしても、もし自由に黒人と混交すれば、白子の遺伝子は劣性なので、すぐさま黒人種に吸収され、白人の人間は、白子の動物と同じように一代限りで姿を消したはずである。白子が白人種として成立するためには、長期間にわたって白子同士でしか性関係を持たないことが必要であった(22)」、要は自ら徒党を組んで出ていったか、或いは黒人に差別されて(何かの祟りだと、恐れられて)追い出された・差別されたかのどちらかだろう。おそらくこの時代に自主的な意思をもって行動するなど考えられないし、極めて少数派だろうことから、後者の考えが自然だろうと思われます。これがグレートジャーニーなんですね。

前に言いましたが、「我々は部分しか考えられない」。ということ誰でも考えには「偏りがある」のが当然なんです。それを居直ってはいけませんが、その「偏り」を武器に思考していくしか方法はないんです。誰かがそれを「客観」だとか、「普遍(カトリック)」だとか、「絶対正しい」とか信じ始めるところに、「正義のため」という目的のためならどんな手段をも正当化しうる悪魔が忍び寄るスキができるんです。
いいですか、常に人間は、見たいものしか見ていないんです。完全に客観的な認識なんて存在しないんです。科学だってそれぞれの時代の信仰に過ぎない。そこを自覚したうえで思考していくことが「間違っているところがあるかもしれないがという気持ちを持ち続ける」=「謙虚」と呼ばれるもので、これしかないんです。だから今は白人の罪を話しましたが、進化論もそうですし、ネオテニーや家畜化の人間原理を考えた多くの人たちは白人でもあるわけですから、どちらかが一方的に悪いとか思い込まないようにしましょう。
科学者には「謙虚」があるじゃないか、という言葉が聞こえてきます。さてどうでしょう。
やっていることの責任の大きさだとか、人類への影響だとかに対して、とても謙虚だとは思えないんですが。自分だけいい子になって、「悪用する方が悪い」で、ただ非難声明を出すだけで善人面されても困るんですね。神のことをやっているのに、責任問題となると途端に一人の人間になってしまうんですから。勿論、一方的に悪いとは言いませんよ。
次回からは本格的な人類の歩みとなりますが、このことは常に忘れないように考えていきたいと思います。

(続く)

注13) モンターギュ「ネオテニー」どうぶつ社 P16
注14) モンターギュ「ネオテニー」どうぶつ社 P91
注15)≪福岡伸一の生命浮遊≫ソトコト「ヒトはサルのネオテニー」より
注16) ブロムホール「幼児化するヒト」河出書房新社P86
注17) ブロムホールによれば、1920年、オランダの科学者ボクは、どんな動物でも、発達後期に現れる構造(生まれた瞬間から母親にしがみつく必要のある手ではなく足)の方が幼児的な状態を残していると論文で発表した。つまり幼児化された種では、遅くに形成される身体部分ほど生長期間が引き延ばされることになる。さっさと完成させず、ぐずぐず長く伸びるんですね。ヒトの足が長いのもこのせいだと説明されます。
注18) ブロムホール「幼児化するヒト」河出書房新社P88
注19) ブロムホール「幼児化するヒト」河出書房新社P28
注20) ブロムホール「幼児化するヒト」河出書房新社 P230
注21) ウイリアム・マクニール「世界史・上」中公文庫P46
注22) 岸田秀「史的唯幻論で読む世界史」講談社学術文庫P222
注23) 岸田秀「史的唯幻論で読む世界史」講談社学術文庫P18


2016年05月08日
第2回 歴史第2部 2
c. 「自分」の発生
〜これも二足歩行とは直接的な影響とはいいにくいのですが、大体3歳くらいになると「ものごころ」がつくといわれます。辞書ではなかなかはっきりと書いてくれていないのですが、世の中のいろいろなことが判ってくる時となっていましたが、ピンと来ない。これって「自分が周りから離されていると感じたとき」じゃないでしょうか。それ以前の幼いころのことはほとんど覚えていない。自分が形成されていないからです。周りとくっついているからです。距離がないから見えない・意識できない。その時の言うに言われない「知っちゃった淋しさ」が脳の奥に刷り込まれています。他者が心の中に入り込みます。そこから自我の輪郭が固まり始めます。
それ以外に自我から外れた意識ももちろんありますよ。矛盾した行動や考えも持つ。
でもとりあえず都合のいいようにまとめるんです。人間って。だから矛盾する考えや感情は、自分じゃないことにするんです。そうしないと自我が壊れちゃう。非主流派に押しのける。そういう言葉にできないものも含めて広い大海のようなものも、非主流派として抱えているんです。それを無意識と言います。何と他人だって、ワニだって、ネズミだって入ってますよ。

d. 「発情期の喪失」
〜一定の期間本能的に発情するのでなく、いつでもOKというのは、非動物的な性向です。サインがわかりにくくなったから言葉が必要になったというのはわかりますが、それだけを目的として言葉ができたわけでもなさそうです。どうやらここにも、生き残りのためのメスの賢い戦略が潜んでいるようです。
ここからは、イギリスの動物行動学者でありドキュメンタリー制作者のブロムホールによる仮説ですが、もともとオスは、乱婚好きで、セックスの後は次のメスを求めて去って行ってしまう。男は根っから浮気性なのです。いつも、「こうしてはいられない!」のです。しかしこれでは子どもは増えても育たない。そこでメスは、「性淘汰(6 )」の創造とともに、排卵時期と準備OKのサインの隠ぺい(逆に、そうでないときも常に誘いをかけること)で却ってオスを攪乱させ、常にメスのもとに引き付けておく作戦を立てた。
更に、既に幼児化が進んだオスにとって最も望ましい行為・母親として世話をしてくれる行為を連想させるメス像に変身することで、(子供にではなくオスにとって)いい母親であることを視覚上(ナイスバディー)でも、行動上(母と子の慈しみを持ったアイコンタクト)でも多く伝えるわけです。これで完璧。
なぜなら、大人の情熱的な「愛」とは、母と子の間にみられる行為の、再演だからです(恋人同士の幼児語でのじゃれあいを見てください、女子の何かにつけて発する「かっわいい!」を想い起してください)。それをぶら下げれば、オスはすぐにでも食いついてくる。そして家に帰り、子育てを手伝う(食料を他のメスにではなく、家に運ばせる)という寸法だ。その狙いは見事に成功しており、完敗ですね。人類はそのメスのところに帰りたくなる衝動を「愛」と名付け、更に複雑に理念を発展させた。こうして一夫一妻制度は出来上がる。子孫を繋げようとする母の見事な知恵と言っていいでしょう。

e. 喉の分節化と子音の獲得=言葉の獲得(発情期の喪失を失った代償としての補い)
〜その発達に大きな役割を果たしたのが、子音の発見ではないかというのが松岡さんの仮説です。声を出すための喉の筋肉の分節化により、言葉も多様に分化し、母音だけでは足りない言語を発展させていったのではないかというわけです。環境の変化もあったでしょうし、発声遊びもあったでしょう。(他の動物では決してしない)無意味なことをする人間に、神のくれたご褒美かもしれませんね。これ以上は言葉の章で検討します。

f. 3つの脳と文化(宗教・舞踏・哲学・建築・文学)の発生
〜腸と神経系が進化して脳(7 )になっていくわけですが、立ち上がったことで、反射脳(ワニの脳)と情動脳(ネズミの脳)が、上から人間の「理性脳」に、発達途上で乗っかられ、進化停止してしまった。ゆっくり発達する間もなく急激な環境変化などで進化を急ぎすぎたのかもしれないと松岡さんは書かれています。全ての可能性(矛盾)を保存させる優柔不断だったのかもしれませんね。お陰で、食うか食われるかの、残忍な性格と有利不利・快感追及の狡猾な性格と、言葉や芸術を理解する性質を併せ持った矛盾脳となったわけです。そのためこの矛盾からくる「苦」を何とかしようと宗教や哲学や芸術が生まれたわけです。押さえきれない感情や思いや本能を、理性の力で何とか昇華しようとした表れが文化だったんですね。

いい事ばかりのようですが、実は当時は身体的にはリスクだらけだった。たくさんの捕食者や過酷な環境の中で、何を好き好んでこのような、身体的に危険な選択をしたのか、全く根拠は見当たらないのです。なぜって、二足歩行は、四足に比べ大変足が遅い。捕食者に狙われたらすぐに追いつかれる。後退した細い顎など、獲物を食いちぎったり戦ったりするのに、非常に不利です。体毛が薄く、のっぺらした皮の見えるの肉は、どうも捕食者であるライオンやオオカミにとってとてもおいしそうなのです。しかしこれらの特徴はどうやら、二足歩行の結果というより、「二足歩行」を当然の帰結とさせた、もっと更に深い理由があってのことにようです。それが「ネオテニー」という進化上の戦略(発見)だったのです。

【観念の眼ざめと表現の力】
少し戻りますが、15万年前、ネアンデルタール人は旧人の分類ですがヨーロッパ・西アジア・北アフリカに分布し、死者を埋葬する(遺体の周囲に花を撒くなど)風習を持ち、3万年前には、世界最古と言われるショーヴェ洞窟壁画(フランス)を描いたとする研究者もいます。新人であるクロマニョン人は5万年前ですから、彼らの接点はあったろうと思われます。ネアンデルタール人はその間に、交流し・駆逐されたようです。
旧石器時代、他の、力の強い動物から「狩られるもの」として、「他の動物達に劣等感を抱き続けていた時代の採集民は神を必要としなかったのでしょう。「狩られるもの」から「狩るもの」への転化とともに、今日もブッシュマンの信じる「犠牲となった獣達の天国」が考想されたのかもしれません(8 )」。
劣等感と不安を友として逃げ回っていた人類が、(襲われるかもという)「徴候的なもの」に対する敏感さから身を守っていた(遠い草原の彼方に、森の暗がりの中に、いち早く生物の有無を見出し、敵味方を判別する「点と点を繋いで、像を作り出す能力(9 )」は、幻想と言われても、星座を生みだし、数学も科学も生みだした。)という事実は、今日「分裂気質者」の特徴的な性向と通じる。それは、ジャワ原人にみられ、古代人はみな持っていたといわれる二分心(右脳と左脳の分離)なわけです。人間は多かれ少なかれ分裂気質を持つ。統合失調症は、二分心に一時的に逆戻りしている状態でしょう。
「彼らは感覚的な情報の海で溺れそうになっている。「物語化」や「整合化」ができずに、あらゆる木が見えていながら、森が見えない。物理的な環境に没頭しすぎている(10)」だけなのだ。線で表し、名前を「付ける」行為は対象を引き離し、思考の道具と化すことで人に力を与える。従って自由を得ることになるが、病気と決められた方にとっては、名前を「付けられた」のであって、その効果は逆に、彼らを偏見という檻に閉じ込めてしまう。区別は差別にもつながりますね。これを「病気」と決めたのは誰なんでしょう。もしこれを病気というなら、「都市」に始まる人工物に取り囲まれ、物質と欲望が接着剤のように固く結びつき、経済という蜘蛛の巣に覆われて、身動きが取れず、頭が曇ったままの我々は、「死回避行動」と「安全保障観追及行動(11)」という壁にのっぺり覆われた、森の見えない「自閉症」になってはいるのではありませんか?

道具や知恵の使用とともに、狩猟獣の模倣から始まったと思われる「狩られるもの」から「狩るもの」 (狩猟民族) への転化と共に「願望思考」が生まれます。「旧石器時代狩猟民の線描絵画は、獲得すべき獣を既に描いておくという「願望思考」に説明される。これはおそらく「思考」の起源(12 )」だろうと推測されます。
この「思い」に名をつけたり、表現したりする行為は、革命的な力を持ちました。直接相手に触れなくとも、「勝つ」と宣言したり、「嫌いだ」と言ったり、祈ったりする行為は少なからず相手に影響を与えます。「思えば、思われる」や「言葉の暴力」というのも思春期に経験された方も多いのではないでしょうか。21世紀の今になっても、勝利を願って・合格を願って神社にお参りをせずにはいられません。練習で相手に強そうな姿を見せるだけで、もう駄目だと思わせる。アルタミラの壁画で、3本の指で狩りの対象の獲物が書かれているのも、思う力が相手に乗りかかる(マウンティング)力を持つと信じられ、成功が経験され、チームに団結心や狩りの成功を信じる力を与えたに違いありません。思いを観念としてまとめ、外に表現するだけで「勝った」と思えるのも言葉の力です。このような技術を専門に司った人たちはシャーマンとも呼ばれました。彼らは自ら獲物に変身し、狩りの物語を演じ、獲物を狩る物語を見せて、現実を後押ししました。やがてはこれらが言葉を生み、記号を生み、外敵から身を守る入れ墨模様や、見るものを視覚的眩暈感覚に惑わす渦巻き模様(縄文土器など)を生み、やがて数字を生み、人類の強力な武器に生まれ変わっていきます。文様が呪力を持ったわけです。

周口店上洞人は暮らしぶり(20,000年前)は詳細にはわかっていませんが、北京原人(猿人)より後で、後期石器時代の新人です。周口店では、上洞人ではありませんが40万年前には、食人儀礼をおこなっていたようです。
ケニアでは、15,000年前に家畜の飼育が始まります。
ヨーロッパでは、15,000年前頃、マドレーヌ文化(ヨーロッパ後期旧石器時代最後の狩猟文化。フランス、ドルドーニュ地方のマドレーヌ(Madeleine)岩陰遺跡にちなんで命名。主としてフランス・スペインに分布し、ラスコーやアルタミラなどの洞窟壁画が有名)に輪郭線を強調する素描が現れる。
11,000年前には、レヴァント地方(東部地中海沿岸)に、大集落イエリコ成立し、農耕も始まっています。
又各地で文化の萌芽がみられる中、先ほど紹介したシャーマン信仰(死後の世界、精霊信仰と呪術、トランス(trance)と呼ばれる特殊な心的状態において,神仏や霊的存在と直接的に接触・交渉をなし,卜占・予言・治病・祭儀などを行うシャーマンを中心とする宗教現象。世界的に広く見られる。巫俗(ふぞく)ともいわれる)が広まります。

(続く)

注6)性淘汰と自然淘汰
ダーウインによれば、「親とは体のつくりが異なる子供がうまれ、その体のつくりは孫へと遺伝し、さらに体のつくりによって寿命や子供をのこす数に差がある場合に、結果として体のつくりの異なった新しい種が広まるという「自然淘汰」のしくみを見いだしたことは、彼のなしとげた代表的な仕事であることは確かです。しかし、自然淘汰にたどりついたダーウィンをなやませた動物がいました。それが「オスだけが角をもつシカ」や「オスだけが派手な羽根をもつクジャク」だったのです。自然淘汰のしくみでは、これらのメスが角や派手な羽根をもたないことは説明がつきません。たくさんの生き物を見わたして考えをめぐらせた結果、ダーウィンの出した答えが「性淘汰」というしくみだったのです。「人間の進化と性淘汰 (The Descent of Man and Selection in Relation to Sex) 」という2巻立ての著書でそのアイデアを披露しました。「種の起源」から12年後の1871年のことでした。ダーウィンは性淘汰が起こる要因について、オスどうしのたたかいはオスに備わったライバル心によるもの、オスのハデさはメスに備わった審美眼(しんびがん)を示すものという説明を試みました。このような擬人(ぎじん)的な考え方は現在では支持されませんが、求愛の過程でこれらの進化が起こるという現象面において、ダーウィンは的確に性淘汰をとらえていました。」---特別展「どうぶつたちのプロポーズ大作戦!!」(福井市自然史博物館)より。
ここからもうかがわれるように、我々の祖先のメスが、自分の要求に素直に従うオスとしか配偶しないことを選択したら、オスは従うしかない(異性間性淘汰)わけですね。確実に子育てを手伝いそうなオスを選べるアドバンテージを握っている訳ですから。メスに気に入られないオスはさよなら・バイバイ、淘汰されるわけです。

注7)福士審「内臓感覚」NHKブックスP61
動物が最初に持った器官は腸(第2章 生命の進化と上陸で紹介した、「背中に沿って節のある中空構造」のこと)であり、脳はこれから進化した。このことから、最近話題に挙がる「過敏性腸症候群」の原因が脳を疲れさせる過大なストレスや、便を仕事の都合に合わせて出さなければという勝手な「意志」であることが説明できる。意志こそ、自然な身体のリズムを妨害する張本人でした。目的の中心から気をそらすことこそ、意志でなく、身体のリズムに合わす秘訣なのかもしれませんね。便秘にお悩みの方は、どうか、仕事のためにリズムを曲げて生活し、その結果、意志の都合のいい時に出そうという圧力から、気をそらす工夫をしてみてください。忘れることですね。それができて初めて、身体のリズムが蘇り、勝手に活動し始めるでしょう。
注8) 中井久夫著「分裂病と人類」東京大学出版会P20
注9)福岡伸一「ルリボシカミキリの青」文春文庫P28
注10) ジュリアン・ジェインズ著「神々の沈黙」紀伊国屋書店P516
注11) 中井久夫著「思春期を考える」ちくま学芸文庫P64
注12) 中井久夫著「分裂病と人類」東京大学出版会P18


2016年05月07日
第2回 歴史第2部 1
第2部 人類の歴史(先史から中世迄) 1

第1章 二足歩行と大地溝帯からの旅立ち

【ホモサピエンスの誕生】
 既に1500万年程前から猿人・ラマピテクスなどは直立二足歩行を始めていたと言われます(裸のサル)が、前足二本のナックル・ウオーキング(前肢を握り拳の状態で地面を突く四足歩行)も残った。1300万年前オランウータンが枝分れし、650万年前にはゴリラと、480万年前にはチンパンジーと枝分れしたヒトは、大地殻変動で東アフリカ東部を走った「大地溝帯(グレート・リフト・バレー)」にやってきた。その中のアファール猿人の女性化石人骨が1979年エチオピア北部で発掘され、調査隊が好んで歌っていたビートルズ「ルーシー・インザ・スカイ」から人類学者リチャード・リーキーによって「ルーシー」と名づけられた。彼等はそこに定住した。ほぼ二足歩行は確立していた。草食でした。
このアフリカに出現したグループをアウストラロピテクス類(猿人)と呼び、新生代、第4期、洪積世(200万年前)頃には地殻変動による大陸移動は、東アジアを除きあらかた終わっていたが、まだアフリカとユーラシアなどは陸続きだった。こうして各地に散らばって、ホモ・ハビリス、ホモ・エレクトス(原人・肉食、火も使用)、ジャワ原人(右脳と左脳の分離(1)、5指分節(2 )、北京原人→周口店上洞人(新人・カーニバル=食人儀礼(3) 、ネアンデルタール人(旧人=2万数千年前に絶滅・一時新人と共存か。毛皮着用、埋葬の風習)として生存したのち、度重なる環境激変などで絶滅したであろう中、クロマニョン人(20万年前からアフリカ発祥で、4万年前頃代表的クロマニョン人となり、弓矢使用・洞穴壁画残す)に代表される新人たちが生き残り、ホモ・サピエンス(知恵のある人)と呼ばれた(新人たちも、猿人・原人・旧人達の特性は、最初からではないにしろ持っていたと推測します)。彼等の一部は、地球の気候が寒冷化に向かう3万5千年前頃、今のシリアから世界各地に旅立って行った(「グレート・ジャーニー」)。当時地球の表面の4分の1近くが氷河で覆われ現在よりも15度近く低い温度だった。海水面は現在より130メートルも低く、シベリアとアラスカも広い面積で繫がっており、日本海は湖だった。こうした中を人類の祖先たちは、アフリカ各地、ユーラシア、南北アメリカ、オーストラリアなどに拡がっていった。
1987年ハワイ大学のキャンは、現代人の細胞が持つミトコンドリア(4 )DNAが、20万年前のアフリカの大地溝帯にいたホモサピエンス(新人)の一人の女性のDNAと一致することから、彼女が地球上の全ての人類の共通の母(ミトコンドリア・イブと命名)であるとする仮説を出した。アフリカ大地溝帯単一起源説が有力となった。
(余計なお世話かもしれませんが、人類進化は、猿人⇒原人⇒旧人⇒新人の時代順に分けられています。)

【直立二足歩行のもたらしたもの】
ヒトはなぜ立ちあがったかは諸説あるが、アフリカ東部の超巨大地震(マグニチュード10くらいだった)を伴う地殻大変動の結果、密林の中に出現した地溝帯に草が生え、巨大な草原地帯となった時、身を隠す森も無く、敵から身を守るために、より遠くを眺める必要性もあったとする説は、どうも尤もらしい間違いだったようです。先に書いたように、既に森林にいる頃から・約650万年前から直立歩行は始まっていたようです。類を見ない大干ばつや弱肉強食の中で、多くの種が絶滅する中で、生半可の方策では生き残れなかった猿人の中では、これしかないという方法をとった仲間だけが、生き延びることに成功した。その方法とは「強固な集団化」でした。一部の乱暴なオスたちの、リーダーになりたがるという権力欲などは、仲間割れや、力の分散などを招き、捕食者にとっては格好の狩猟機会となりました。
集団で一糸乱れぬ行動で、あらゆるものを使って音を立て、大声で共鳴させれば、ライオンすら恐れて去っていくだろう。夜は火を見せるだけで近づかない。この団結を確実なものにする方法こそ強く、たくましくではなく、その反対の、従順で、よく考え、争わない、部分に徹することのできる「幼児的性格」だったわけです。現代の各国の指導者たちによくよく思い起こしてほしいものですね。これについては次回詳しく検討しましょう。
しかしそればかりでなく、星空を眺め、大自然のもろもろの現象や隣人や他の動植物に、立ちあがり・指さし・呼びかける、遠い宇宙(先祖)へのやむにやまれない衝動に目覚めたのだと私は信じます。「眺望の促迫(5)」と呼ばれます。今のところ人類だけに宿っている「こころ」の萌芽です。(この「心」がはっきりとした形をとるのには、今から3000年前まで・未だ20万年の年月を要します。これには言葉の発生がカギとなります。第5回言葉の世界で考えましょう。)

2足歩行を始めた人類は様々な変化を経験します。松岡正剛さんは、「17歳のための世界と日本の見方」などでその結果起きたことを10位挙げられています。大事なことなので見ていきます。

a.手を使う
〜後のあらゆる道具や文化を生み出す要因。脳の発育を促す。幼児やチンパンジーのように最初は握るようにものを持ち、縦線しか引けないのが、横線や絵を描けるように学習する。芸術は「手わざ」と言われる。祈りで手を合わせるのは、いたずらをしたがる「手わざ」という、人の「業(ごう・カルマ)」を否定する行為だろう。

b. 5指対向始まる
⇒注2)参照。親指と他の指1本1本を対応させることで、数の意識が芽生える。数は最初は2が始まりとおっしゃっていますが、同感です。まず全体があり(ここには1という意識はない)、なにかのゆらぎで、割れる。そこから2つが始まり、初めて部分としての1を自覚する。これがキッカケでしょう。

c. パララックス(平行視)を獲得
〜目が顔の正面に並ぶようになり、両目を使って焦点を合わすことで近くも遠くも見分けることができ、立体感や距離感を掴むことができるようになった。近いと遠い、こちらとあちらの両方を意識する。此岸と彼岸、ここ(ヒア)と向こう(ゼア)を意識するようになる。何かを夢見たり、目標としたりして近づこうとする生き方ですね。

d. 産道の狭窄化と妊娠期間の長期化による難産と未熟児
〜立ち上がることで、狭窄化し難産となることはすぐに想像されますが、お産に大変な危険をもたらしたことは、21世紀の現代でも変わりません。いつもそこでは死と隣り合わせのドラマが演じられるのです。分娩は類人猿では二時間以上は続かないのに、人類では初産で平均14時間と長い。それでもヒトでは頭が大きいため、未だ産道を通れるほど小さいうちに出産しなければならない。そのためヒトとしては未成熟の状態(類人猿に比べ倍近くの脳重量を持つ為にこのくらいで出産しないと母体がもたない)で生まれるのです。ヒトとして未熟児で生まれてきて、長い養育期間を使って、発達を図るのです。なぜそんな危険を冒してまで奇妙な戦略をとったのでしょう。後ほど考えます。

e. 巨大な脳の持ち主に(難産と長い育児期間で、戦力であるメスの力を失った)
〜たいていの哺乳類は、メスが一番の戦力ですが、人類の場合長い育児期間を要することで、大変なハンディを負った。そのことと巨大な脳とにも関係がありそうです。じっくり見極めなければならない。体では勝てない。そのとき女性の母体信仰が始まると同時に生き残る知恵を絞りだすべく脳が動く。

f. インプリンティング(刷り込み・刻印)
〜これは直接は二足歩行とは繋がらないのですが、ヒトが受胎期間を長くしたばかりか、未熟児として生んで、育児期間も長くしたのは、その後の大量の情報(学ばなければならないこと)を前提としての必然的な結果です。「教育されうる動物」=「学習する動物」という特性を持たなければ生き残れません。更に現実に生きていくうえで学んだことを使う知恵も必要です。どんな動物でも、インプリンティングは本能的に持っていますが、学ぶ量と質が違うんです。動物で生まれて最初に接したものを母親と思い、人間を親と思い込むものもあることはよく耳にします。ヒトの場合はインプリンティングが否定されたこともありましたが、現在では、赤ちゃんは産声を上げた後、1時間程度は非常に頭が冴えた状態(新生児覚醒状態)であることがわかっています。その間に近くなら見えますから、母親を感じ、頼るべき人を確認するのです。母親のほうもその姿に影響されて喜びを実感します。この喜びの対面時間を軽く考えて無視すると、鬼親になるのでしょうか。ともあれ、医学上の未熟児状態で生まれた子は保育室などで育てられ、対面時期を看護師さんと過ごすことが多く、面会に来た母親を見て泣き出したというのもあり得ることですね。鳥じゃあるまいしと、初期の刷り込みの時間でも軽視すると、母子両方に不幸な事態が起きかねませんね。更に人間の場合では、長く深い学習が、死ぬまで続くのです。このことは逆にいえば、停止してしまわないでずっと「迷い続ける」ということになります。仕方ないですね、迷いのない世界に、学習も、思考も、知恵も、意識(自我の体系=文化=コンプレックスの中の主流派)も、無意識(コンプレックスの非主流派)もないわけですから。

(続く)


注1) ジュリアン・ジェインズ著「神々の沈黙」紀伊国屋書店2005年4月参照。
ジュリアンによれば、右脳と左脳の分離は、人類の「こころ=意識」の発生する約3500年前まで続いたと推測される。二つの脳の一本化されていなかった古代人は、右半球が「神々」(判りやすく言えば「人間ダッシュ」のような複製)の側、左半球が「人間の側」とし、その神々の声を聞きながら(日本語で「言う事を聞く」といったら聞くのではなく従うの意味であるように)、声に従って生きていた。「私」というものはなかったし、私の行動の釈明など出来なかった。歴史で狩猟から農耕生活への移行に伴い、権力や差別が発生すると学ぶが、これと同様に農耕社会統制の中、意志決定のストレスが神々の声(幻聴)を誘発し、幻聴は命令の形をとり、行動と不可分の「聞くことが従うこと」という世界を生きた。統合失調症の人が幻聴に支配されるのと近い。この神々の声が、「初期の自己意識」の基になったのは想像に難くない。これをジュリアンは「私のアナローグ(類似物)」という。此処に橋をかけたのが「比喩力」と「物語力」などの「言葉」だったという。意識は言語の比喩を基盤にしており、現実の空間や時間を何らかの形で比喩化しなければ内観など出来ないというわけだ。彼は、アッシリアなどの古代帝国の確立、その帝国間での物的交易の発達、エーゲ海での火山噴火や地震の到来による自然環境の大変化、気候や温度の転変などをあげ、それの変質や変化と踵(きびす)を接するように、神聖政治にヒビが入り、たとえば「王と占い」の関係に不確実性が広まったりして、ついには古代脳に「意識」が立ち上がっていっただろうことを推理した。こうして人間が文字と意識(こころ)を得た代わりに、神々は沈黙した。二分心のままの自動人形に比べると、神という絶対的な拠りどころを失った「苦」と共に、気の遠くなる程の時間経過の後、「意識」の自覚から、「運命」を変えられる自由を獲得していく人間は、そののち失われた神を真似たくなってくる。

注2) 5指分節
5指分節と「5指対向は、サル類が枝をつかんで樹木を渡る時に始まり、霊長類がものを掴んで用いる時に自覚的になった。」「4本の指と1本の親指が対応したということは「数」というものを人類に発明させた。」松岡正剛著「情報の歴史を読む」NTT出版P63参照

注3) 食人儀礼については、当時の、極度の「肉」不足や、対象の人間の能力を食べるといった呪術的なものまで様々な説があるが、人間の「生贄」・「儀式」という問題(古代ローマ公開処刑に見られる同種の人間を殺し神に捧げることで、熱狂・興奮し狂気の精神状態に突入し、変身する。生贄を殺した時、王も自分を殺している。個人を捨て神を迎え入れる。共同体の意志そのものになる)とも関係している。いずれにしてもこのような矛盾(分裂)行為を行う人間自体が、矛盾の固まりなのだろう。なにしろ、意識の発生により、食物連鎖などの食物連鎖や極相などの生態系の外に飛び出してしまったのだから。肉食から草食を経て雑食となることで、同種を食べることも覚えてしまったのだろう。

他の動物と違う大きな矛盾としては、
@脳の矛盾(巨大化し且つ最古層には爬虫類時代のワニの脳(反射脳=動物の激しい行動を司る)があり、その上に下等哺乳類のネズミの脳(情動脳=快感や有利を司る)がへばりついている。理性を持つ大脳皮質(理性脳=言葉や音楽を理解する)といわれる人の脳はその上にかぶさった。つまり我々はワニのような残忍な脳と、ネズミのような狡猾な脳を、やっと人の脳でコントロールしているに過ぎない(ポール・マクリーンの仮説)。又右脳と左脳の分離、言葉の発生など)
A二足歩行の矛盾(進化からの飛び出し→第1章【直立二足歩行のもたらしたもの】
で考察)
B虚弱身体(二足歩行のもたらしたもの及び第2部・第2章【ネオテニー】で考察)
などが挙げられています。

注4) ミトコンドリアや葉緑素はそれぞれ独立の真正細菌だったものが、初期の進化の段階で別のバクテリア(原核生物)に取り込まれ、細胞内の小器官となったものとされている。ミトコンドリアは、生命の誕生で述べたように、生物にとって非常に危険だった酸素を使って、エネルギー源となるATPを合成する好気性細菌として、我々人類にとっても救世主だったわけです。それが細胞内に住み着いてくれた。彼らは、宿主とは別のDNAを持っていて、しかもミトコンドリアDNAは母系遺伝する(母系遺伝しかしない)、つまりメンデル遺伝ではない。なぜそうなのかは、まだまだ謎は多い。それで父親の系統は遡れない。
「ミトコンドリアは我々の細胞が必要としているエネルギーを供給してくれる。それはATP・アデノシン三リン酸(生物の運動や物質の代謝合成などに関与)の発生源であり、酵素をエネルギー用に転換する。しかもこれは太古から我々と一緒に動き回っている。何十億年前に核細胞が出来た時からあるものと推測される。「私」は巨大なミトコンドリアのオーガニズムの一部でしかないとも言える。(ルイス・トマス対談「遊学の話」工作舎P164)」
 
注5) 三木成夫「ヒトのからだ」うぶすな書院 P152、第y6章参照

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