2016年05月08日
第2回 歴史第2部 2
c. 「自分」の発生
〜これも二足歩行とは直接的な影響とはいいにくいのですが、大体3歳くらいになると「ものごころ」がつくといわれます。辞書ではなかなかはっきりと書いてくれていないのですが、世の中のいろいろなことが判ってくる時となっていましたが、ピンと来ない。これって「自分が周りから離されていると感じたとき」じゃないでしょうか。それ以前の幼いころのことはほとんど覚えていない。自分が形成されていないからです。周りとくっついているからです。距離がないから見えない・意識できない。その時の言うに言われない「知っちゃった淋しさ」が脳の奥に刷り込まれています。他者が心の中に入り込みます。そこから自我の輪郭が固まり始めます。
それ以外に自我から外れた意識ももちろんありますよ。矛盾した行動や考えも持つ。
でもとりあえず都合のいいようにまとめるんです。人間って。だから矛盾する考えや感情は、自分じゃないことにするんです。そうしないと自我が壊れちゃう。非主流派に押しのける。そういう言葉にできないものも含めて広い大海のようなものも、非主流派として抱えているんです。それを無意識と言います。何と他人だって、ワニだって、ネズミだって入ってますよ。
d. 「発情期の喪失」
〜一定の期間本能的に発情するのでなく、いつでもOKというのは、非動物的な性向です。サインがわかりにくくなったから言葉が必要になったというのはわかりますが、それだけを目的として言葉ができたわけでもなさそうです。どうやらここにも、生き残りのためのメスの賢い戦略が潜んでいるようです。
ここからは、イギリスの動物行動学者でありドキュメンタリー制作者のブロムホールによる仮説ですが、もともとオスは、乱婚好きで、セックスの後は次のメスを求めて去って行ってしまう。男は根っから浮気性なのです。いつも、「こうしてはいられない!」のです。しかしこれでは子どもは増えても育たない。そこでメスは、「性淘汰(6 )」の創造とともに、排卵時期と準備OKのサインの隠ぺい(逆に、そうでないときも常に誘いをかけること)で却ってオスを攪乱させ、常にメスのもとに引き付けておく作戦を立てた。
更に、既に幼児化が進んだオスにとって最も望ましい行為・母親として世話をしてくれる行為を連想させるメス像に変身することで、(子供にではなくオスにとって)いい母親であることを視覚上(ナイスバディー)でも、行動上(母と子の慈しみを持ったアイコンタクト)でも多く伝えるわけです。これで完璧。
なぜなら、大人の情熱的な「愛」とは、母と子の間にみられる行為の、再演だからです(恋人同士の幼児語でのじゃれあいを見てください、女子の何かにつけて発する「かっわいい!」を想い起してください)。それをぶら下げれば、オスはすぐにでも食いついてくる。そして家に帰り、子育てを手伝う(食料を他のメスにではなく、家に運ばせる)という寸法だ。その狙いは見事に成功しており、完敗ですね。人類はそのメスのところに帰りたくなる衝動を「愛」と名付け、更に複雑に理念を発展させた。こうして一夫一妻制度は出来上がる。子孫を繋げようとする母の見事な知恵と言っていいでしょう。
e. 喉の分節化と子音の獲得=言葉の獲得(発情期の喪失を失った代償としての補い)
〜その発達に大きな役割を果たしたのが、子音の発見ではないかというのが松岡さんの仮説です。声を出すための喉の筋肉の分節化により、言葉も多様に分化し、母音だけでは足りない言語を発展させていったのではないかというわけです。環境の変化もあったでしょうし、発声遊びもあったでしょう。(他の動物では決してしない)無意味なことをする人間に、神のくれたご褒美かもしれませんね。これ以上は言葉の章で検討します。
f. 3つの脳と文化(宗教・舞踏・哲学・建築・文学)の発生
〜腸と神経系が進化して脳(7 )になっていくわけですが、立ち上がったことで、反射脳(ワニの脳)と情動脳(ネズミの脳)が、上から人間の「理性脳」に、発達途上で乗っかられ、進化停止してしまった。ゆっくり発達する間もなく急激な環境変化などで進化を急ぎすぎたのかもしれないと松岡さんは書かれています。全ての可能性(矛盾)を保存させる優柔不断だったのかもしれませんね。お陰で、食うか食われるかの、残忍な性格と有利不利・快感追及の狡猾な性格と、言葉や芸術を理解する性質を併せ持った矛盾脳となったわけです。そのためこの矛盾からくる「苦」を何とかしようと宗教や哲学や芸術が生まれたわけです。押さえきれない感情や思いや本能を、理性の力で何とか昇華しようとした表れが文化だったんですね。
いい事ばかりのようですが、実は当時は身体的にはリスクだらけだった。たくさんの捕食者や過酷な環境の中で、何を好き好んでこのような、身体的に危険な選択をしたのか、全く根拠は見当たらないのです。なぜって、二足歩行は、四足に比べ大変足が遅い。捕食者に狙われたらすぐに追いつかれる。後退した細い顎など、獲物を食いちぎったり戦ったりするのに、非常に不利です。体毛が薄く、のっぺらした皮の見えるの肉は、どうも捕食者であるライオンやオオカミにとってとてもおいしそうなのです。しかしこれらの特徴はどうやら、二足歩行の結果というより、「二足歩行」を当然の帰結とさせた、もっと更に深い理由があってのことにようです。それが「ネオテニー」という進化上の戦略(発見)だったのです。
【観念の眼ざめと表現の力】
少し戻りますが、15万年前、ネアンデルタール人は旧人の分類ですがヨーロッパ・西アジア・北アフリカに分布し、死者を埋葬する(遺体の周囲に花を撒くなど)風習を持ち、3万年前には、世界最古と言われるショーヴェ洞窟壁画(フランス)を描いたとする研究者もいます。新人であるクロマニョン人は5万年前ですから、彼らの接点はあったろうと思われます。ネアンデルタール人はその間に、交流し・駆逐されたようです。
旧石器時代、他の、力の強い動物から「狩られるもの」として、「他の動物達に劣等感を抱き続けていた時代の採集民は神を必要としなかったのでしょう。「狩られるもの」から「狩るもの」への転化とともに、今日もブッシュマンの信じる「犠牲となった獣達の天国」が考想されたのかもしれません(8 )」。
劣等感と不安を友として逃げ回っていた人類が、(襲われるかもという)「徴候的なもの」に対する敏感さから身を守っていた(遠い草原の彼方に、森の暗がりの中に、いち早く生物の有無を見出し、敵味方を判別する「点と点を繋いで、像を作り出す能力(9 )」は、幻想と言われても、星座を生みだし、数学も科学も生みだした。)という事実は、今日「分裂気質者」の特徴的な性向と通じる。それは、ジャワ原人にみられ、古代人はみな持っていたといわれる二分心(右脳と左脳の分離)なわけです。人間は多かれ少なかれ分裂気質を持つ。統合失調症は、二分心に一時的に逆戻りしている状態でしょう。
「彼らは感覚的な情報の海で溺れそうになっている。「物語化」や「整合化」ができずに、あらゆる木が見えていながら、森が見えない。物理的な環境に没頭しすぎている(10)」だけなのだ。線で表し、名前を「付ける」行為は対象を引き離し、思考の道具と化すことで人に力を与える。従って自由を得ることになるが、病気と決められた方にとっては、名前を「付けられた」のであって、その効果は逆に、彼らを偏見という檻に閉じ込めてしまう。区別は差別にもつながりますね。これを「病気」と決めたのは誰なんでしょう。もしこれを病気というなら、「都市」に始まる人工物に取り囲まれ、物質と欲望が接着剤のように固く結びつき、経済という蜘蛛の巣に覆われて、身動きが取れず、頭が曇ったままの我々は、「死回避行動」と「安全保障観追及行動(11)」という壁にのっぺり覆われた、森の見えない「自閉症」になってはいるのではありませんか?
道具や知恵の使用とともに、狩猟獣の模倣から始まったと思われる「狩られるもの」から「狩るもの」 (狩猟民族) への転化と共に「願望思考」が生まれます。「旧石器時代狩猟民の線描絵画は、獲得すべき獣を既に描いておくという「願望思考」に説明される。これはおそらく「思考」の起源(12 )」だろうと推測されます。
この「思い」に名をつけたり、表現したりする行為は、革命的な力を持ちました。直接相手に触れなくとも、「勝つ」と宣言したり、「嫌いだ」と言ったり、祈ったりする行為は少なからず相手に影響を与えます。「思えば、思われる」や「言葉の暴力」というのも思春期に経験された方も多いのではないでしょうか。21世紀の今になっても、勝利を願って・合格を願って神社にお参りをせずにはいられません。練習で相手に強そうな姿を見せるだけで、もう駄目だと思わせる。アルタミラの壁画で、3本の指で狩りの対象の獲物が書かれているのも、思う力が相手に乗りかかる(マウンティング)力を持つと信じられ、成功が経験され、チームに団結心や狩りの成功を信じる力を与えたに違いありません。思いを観念としてまとめ、外に表現するだけで「勝った」と思えるのも言葉の力です。このような技術を専門に司った人たちはシャーマンとも呼ばれました。彼らは自ら獲物に変身し、狩りの物語を演じ、獲物を狩る物語を見せて、現実を後押ししました。やがてはこれらが言葉を生み、記号を生み、外敵から身を守る入れ墨模様や、見るものを視覚的眩暈感覚に惑わす渦巻き模様(縄文土器など)を生み、やがて数字を生み、人類の強力な武器に生まれ変わっていきます。文様が呪力を持ったわけです。
周口店上洞人は暮らしぶり(20,000年前)は詳細にはわかっていませんが、北京原人(猿人)より後で、後期石器時代の新人です。周口店では、上洞人ではありませんが40万年前には、食人儀礼をおこなっていたようです。
ケニアでは、15,000年前に家畜の飼育が始まります。
ヨーロッパでは、15,000年前頃、マドレーヌ文化(ヨーロッパ後期旧石器時代最後の狩猟文化。フランス、ドルドーニュ地方のマドレーヌ(Madeleine)岩陰遺跡にちなんで命名。主としてフランス・スペインに分布し、ラスコーやアルタミラなどの洞窟壁画が有名)に輪郭線を強調する素描が現れる。
11,000年前には、レヴァント地方(東部地中海沿岸)に、大集落イエリコ成立し、農耕も始まっています。
又各地で文化の萌芽がみられる中、先ほど紹介したシャーマン信仰(死後の世界、精霊信仰と呪術、トランス(trance)と呼ばれる特殊な心的状態において,神仏や霊的存在と直接的に接触・交渉をなし,卜占・予言・治病・祭儀などを行うシャーマンを中心とする宗教現象。世界的に広く見られる。巫俗(ふぞく)ともいわれる)が広まります。
(続く)
注6)性淘汰と自然淘汰
ダーウインによれば、「親とは体のつくりが異なる子供がうまれ、その体のつくりは孫へと遺伝し、さらに体のつくりによって寿命や子供をのこす数に差がある場合に、結果として体のつくりの異なった新しい種が広まるという「自然淘汰」のしくみを見いだしたことは、彼のなしとげた代表的な仕事であることは確かです。しかし、自然淘汰にたどりついたダーウィンをなやませた動物がいました。それが「オスだけが角をもつシカ」や「オスだけが派手な羽根をもつクジャク」だったのです。自然淘汰のしくみでは、これらのメスが角や派手な羽根をもたないことは説明がつきません。たくさんの生き物を見わたして考えをめぐらせた結果、ダーウィンの出した答えが「性淘汰」というしくみだったのです。「人間の進化と性淘汰 (The Descent of Man and Selection in Relation to Sex) 」という2巻立ての著書でそのアイデアを披露しました。「種の起源」から12年後の1871年のことでした。ダーウィンは性淘汰が起こる要因について、オスどうしのたたかいはオスに備わったライバル心によるもの、オスのハデさはメスに備わった審美眼(しんびがん)を示すものという説明を試みました。このような擬人(ぎじん)的な考え方は現在では支持されませんが、求愛の過程でこれらの進化が起こるという現象面において、ダーウィンは的確に性淘汰をとらえていました。」---特別展「どうぶつたちのプロポーズ大作戦!!」(福井市自然史博物館)より。
ここからもうかがわれるように、我々の祖先のメスが、自分の要求に素直に従うオスとしか配偶しないことを選択したら、オスは従うしかない(異性間性淘汰)わけですね。確実に子育てを手伝いそうなオスを選べるアドバンテージを握っている訳ですから。メスに気に入られないオスはさよなら・バイバイ、淘汰されるわけです。
注7)福士審「内臓感覚」NHKブックスP61
動物が最初に持った器官は腸(第2章 生命の進化と上陸で紹介した、「背中に沿って節のある中空構造」のこと)であり、脳はこれから進化した。このことから、最近話題に挙がる「過敏性腸症候群」の原因が脳を疲れさせる過大なストレスや、便を仕事の都合に合わせて出さなければという勝手な「意志」であることが説明できる。意志こそ、自然な身体のリズムを妨害する張本人でした。目的の中心から気をそらすことこそ、意志でなく、身体のリズムに合わす秘訣なのかもしれませんね。便秘にお悩みの方は、どうか、仕事のためにリズムを曲げて生活し、その結果、意志の都合のいい時に出そうという圧力から、気をそらす工夫をしてみてください。忘れることですね。それができて初めて、身体のリズムが蘇り、勝手に活動し始めるでしょう。
注8) 中井久夫著「分裂病と人類」東京大学出版会P20
注9)福岡伸一「ルリボシカミキリの青」文春文庫P28
注10) ジュリアン・ジェインズ著「神々の沈黙」紀伊国屋書店P516
注11) 中井久夫著「思春期を考える」ちくま学芸文庫P64
注12) 中井久夫著「分裂病と人類」東京大学出版会P18
〜これも二足歩行とは直接的な影響とはいいにくいのですが、大体3歳くらいになると「ものごころ」がつくといわれます。辞書ではなかなかはっきりと書いてくれていないのですが、世の中のいろいろなことが判ってくる時となっていましたが、ピンと来ない。これって「自分が周りから離されていると感じたとき」じゃないでしょうか。それ以前の幼いころのことはほとんど覚えていない。自分が形成されていないからです。周りとくっついているからです。距離がないから見えない・意識できない。その時の言うに言われない「知っちゃった淋しさ」が脳の奥に刷り込まれています。他者が心の中に入り込みます。そこから自我の輪郭が固まり始めます。
それ以外に自我から外れた意識ももちろんありますよ。矛盾した行動や考えも持つ。
でもとりあえず都合のいいようにまとめるんです。人間って。だから矛盾する考えや感情は、自分じゃないことにするんです。そうしないと自我が壊れちゃう。非主流派に押しのける。そういう言葉にできないものも含めて広い大海のようなものも、非主流派として抱えているんです。それを無意識と言います。何と他人だって、ワニだって、ネズミだって入ってますよ。
d. 「発情期の喪失」
〜一定の期間本能的に発情するのでなく、いつでもOKというのは、非動物的な性向です。サインがわかりにくくなったから言葉が必要になったというのはわかりますが、それだけを目的として言葉ができたわけでもなさそうです。どうやらここにも、生き残りのためのメスの賢い戦略が潜んでいるようです。
ここからは、イギリスの動物行動学者でありドキュメンタリー制作者のブロムホールによる仮説ですが、もともとオスは、乱婚好きで、セックスの後は次のメスを求めて去って行ってしまう。男は根っから浮気性なのです。いつも、「こうしてはいられない!」のです。しかしこれでは子どもは増えても育たない。そこでメスは、「性淘汰(6 )」の創造とともに、排卵時期と準備OKのサインの隠ぺい(逆に、そうでないときも常に誘いをかけること)で却ってオスを攪乱させ、常にメスのもとに引き付けておく作戦を立てた。
更に、既に幼児化が進んだオスにとって最も望ましい行為・母親として世話をしてくれる行為を連想させるメス像に変身することで、(子供にではなくオスにとって)いい母親であることを視覚上(ナイスバディー)でも、行動上(母と子の慈しみを持ったアイコンタクト)でも多く伝えるわけです。これで完璧。
なぜなら、大人の情熱的な「愛」とは、母と子の間にみられる行為の、再演だからです(恋人同士の幼児語でのじゃれあいを見てください、女子の何かにつけて発する「かっわいい!」を想い起してください)。それをぶら下げれば、オスはすぐにでも食いついてくる。そして家に帰り、子育てを手伝う(食料を他のメスにではなく、家に運ばせる)という寸法だ。その狙いは見事に成功しており、完敗ですね。人類はそのメスのところに帰りたくなる衝動を「愛」と名付け、更に複雑に理念を発展させた。こうして一夫一妻制度は出来上がる。子孫を繋げようとする母の見事な知恵と言っていいでしょう。
e. 喉の分節化と子音の獲得=言葉の獲得(発情期の喪失を失った代償としての補い)
〜その発達に大きな役割を果たしたのが、子音の発見ではないかというのが松岡さんの仮説です。声を出すための喉の筋肉の分節化により、言葉も多様に分化し、母音だけでは足りない言語を発展させていったのではないかというわけです。環境の変化もあったでしょうし、発声遊びもあったでしょう。(他の動物では決してしない)無意味なことをする人間に、神のくれたご褒美かもしれませんね。これ以上は言葉の章で検討します。
f. 3つの脳と文化(宗教・舞踏・哲学・建築・文学)の発生
〜腸と神経系が進化して脳(7 )になっていくわけですが、立ち上がったことで、反射脳(ワニの脳)と情動脳(ネズミの脳)が、上から人間の「理性脳」に、発達途上で乗っかられ、進化停止してしまった。ゆっくり発達する間もなく急激な環境変化などで進化を急ぎすぎたのかもしれないと松岡さんは書かれています。全ての可能性(矛盾)を保存させる優柔不断だったのかもしれませんね。お陰で、食うか食われるかの、残忍な性格と有利不利・快感追及の狡猾な性格と、言葉や芸術を理解する性質を併せ持った矛盾脳となったわけです。そのためこの矛盾からくる「苦」を何とかしようと宗教や哲学や芸術が生まれたわけです。押さえきれない感情や思いや本能を、理性の力で何とか昇華しようとした表れが文化だったんですね。
いい事ばかりのようですが、実は当時は身体的にはリスクだらけだった。たくさんの捕食者や過酷な環境の中で、何を好き好んでこのような、身体的に危険な選択をしたのか、全く根拠は見当たらないのです。なぜって、二足歩行は、四足に比べ大変足が遅い。捕食者に狙われたらすぐに追いつかれる。後退した細い顎など、獲物を食いちぎったり戦ったりするのに、非常に不利です。体毛が薄く、のっぺらした皮の見えるの肉は、どうも捕食者であるライオンやオオカミにとってとてもおいしそうなのです。しかしこれらの特徴はどうやら、二足歩行の結果というより、「二足歩行」を当然の帰結とさせた、もっと更に深い理由があってのことにようです。それが「ネオテニー」という進化上の戦略(発見)だったのです。
【観念の眼ざめと表現の力】
少し戻りますが、15万年前、ネアンデルタール人は旧人の分類ですがヨーロッパ・西アジア・北アフリカに分布し、死者を埋葬する(遺体の周囲に花を撒くなど)風習を持ち、3万年前には、世界最古と言われるショーヴェ洞窟壁画(フランス)を描いたとする研究者もいます。新人であるクロマニョン人は5万年前ですから、彼らの接点はあったろうと思われます。ネアンデルタール人はその間に、交流し・駆逐されたようです。
旧石器時代、他の、力の強い動物から「狩られるもの」として、「他の動物達に劣等感を抱き続けていた時代の採集民は神を必要としなかったのでしょう。「狩られるもの」から「狩るもの」への転化とともに、今日もブッシュマンの信じる「犠牲となった獣達の天国」が考想されたのかもしれません(8 )」。
劣等感と不安を友として逃げ回っていた人類が、(襲われるかもという)「徴候的なもの」に対する敏感さから身を守っていた(遠い草原の彼方に、森の暗がりの中に、いち早く生物の有無を見出し、敵味方を判別する「点と点を繋いで、像を作り出す能力(9 )」は、幻想と言われても、星座を生みだし、数学も科学も生みだした。)という事実は、今日「分裂気質者」の特徴的な性向と通じる。それは、ジャワ原人にみられ、古代人はみな持っていたといわれる二分心(右脳と左脳の分離)なわけです。人間は多かれ少なかれ分裂気質を持つ。統合失調症は、二分心に一時的に逆戻りしている状態でしょう。
「彼らは感覚的な情報の海で溺れそうになっている。「物語化」や「整合化」ができずに、あらゆる木が見えていながら、森が見えない。物理的な環境に没頭しすぎている(10)」だけなのだ。線で表し、名前を「付ける」行為は対象を引き離し、思考の道具と化すことで人に力を与える。従って自由を得ることになるが、病気と決められた方にとっては、名前を「付けられた」のであって、その効果は逆に、彼らを偏見という檻に閉じ込めてしまう。区別は差別にもつながりますね。これを「病気」と決めたのは誰なんでしょう。もしこれを病気というなら、「都市」に始まる人工物に取り囲まれ、物質と欲望が接着剤のように固く結びつき、経済という蜘蛛の巣に覆われて、身動きが取れず、頭が曇ったままの我々は、「死回避行動」と「安全保障観追及行動(11)」という壁にのっぺり覆われた、森の見えない「自閉症」になってはいるのではありませんか?
道具や知恵の使用とともに、狩猟獣の模倣から始まったと思われる「狩られるもの」から「狩るもの」 (狩猟民族) への転化と共に「願望思考」が生まれます。「旧石器時代狩猟民の線描絵画は、獲得すべき獣を既に描いておくという「願望思考」に説明される。これはおそらく「思考」の起源(12 )」だろうと推測されます。
この「思い」に名をつけたり、表現したりする行為は、革命的な力を持ちました。直接相手に触れなくとも、「勝つ」と宣言したり、「嫌いだ」と言ったり、祈ったりする行為は少なからず相手に影響を与えます。「思えば、思われる」や「言葉の暴力」というのも思春期に経験された方も多いのではないでしょうか。21世紀の今になっても、勝利を願って・合格を願って神社にお参りをせずにはいられません。練習で相手に強そうな姿を見せるだけで、もう駄目だと思わせる。アルタミラの壁画で、3本の指で狩りの対象の獲物が書かれているのも、思う力が相手に乗りかかる(マウンティング)力を持つと信じられ、成功が経験され、チームに団結心や狩りの成功を信じる力を与えたに違いありません。思いを観念としてまとめ、外に表現するだけで「勝った」と思えるのも言葉の力です。このような技術を専門に司った人たちはシャーマンとも呼ばれました。彼らは自ら獲物に変身し、狩りの物語を演じ、獲物を狩る物語を見せて、現実を後押ししました。やがてはこれらが言葉を生み、記号を生み、外敵から身を守る入れ墨模様や、見るものを視覚的眩暈感覚に惑わす渦巻き模様(縄文土器など)を生み、やがて数字を生み、人類の強力な武器に生まれ変わっていきます。文様が呪力を持ったわけです。
周口店上洞人は暮らしぶり(20,000年前)は詳細にはわかっていませんが、北京原人(猿人)より後で、後期石器時代の新人です。周口店では、上洞人ではありませんが40万年前には、食人儀礼をおこなっていたようです。
ケニアでは、15,000年前に家畜の飼育が始まります。
ヨーロッパでは、15,000年前頃、マドレーヌ文化(ヨーロッパ後期旧石器時代最後の狩猟文化。フランス、ドルドーニュ地方のマドレーヌ(Madeleine)岩陰遺跡にちなんで命名。主としてフランス・スペインに分布し、ラスコーやアルタミラなどの洞窟壁画が有名)に輪郭線を強調する素描が現れる。
11,000年前には、レヴァント地方(東部地中海沿岸)に、大集落イエリコ成立し、農耕も始まっています。
又各地で文化の萌芽がみられる中、先ほど紹介したシャーマン信仰(死後の世界、精霊信仰と呪術、トランス(trance)と呼ばれる特殊な心的状態において,神仏や霊的存在と直接的に接触・交渉をなし,卜占・予言・治病・祭儀などを行うシャーマンを中心とする宗教現象。世界的に広く見られる。巫俗(ふぞく)ともいわれる)が広まります。
(続く)
注6)性淘汰と自然淘汰
ダーウインによれば、「親とは体のつくりが異なる子供がうまれ、その体のつくりは孫へと遺伝し、さらに体のつくりによって寿命や子供をのこす数に差がある場合に、結果として体のつくりの異なった新しい種が広まるという「自然淘汰」のしくみを見いだしたことは、彼のなしとげた代表的な仕事であることは確かです。しかし、自然淘汰にたどりついたダーウィンをなやませた動物がいました。それが「オスだけが角をもつシカ」や「オスだけが派手な羽根をもつクジャク」だったのです。自然淘汰のしくみでは、これらのメスが角や派手な羽根をもたないことは説明がつきません。たくさんの生き物を見わたして考えをめぐらせた結果、ダーウィンの出した答えが「性淘汰」というしくみだったのです。「人間の進化と性淘汰 (The Descent of Man and Selection in Relation to Sex) 」という2巻立ての著書でそのアイデアを披露しました。「種の起源」から12年後の1871年のことでした。ダーウィンは性淘汰が起こる要因について、オスどうしのたたかいはオスに備わったライバル心によるもの、オスのハデさはメスに備わった審美眼(しんびがん)を示すものという説明を試みました。このような擬人(ぎじん)的な考え方は現在では支持されませんが、求愛の過程でこれらの進化が起こるという現象面において、ダーウィンは的確に性淘汰をとらえていました。」---特別展「どうぶつたちのプロポーズ大作戦!!」(福井市自然史博物館)より。
ここからもうかがわれるように、我々の祖先のメスが、自分の要求に素直に従うオスとしか配偶しないことを選択したら、オスは従うしかない(異性間性淘汰)わけですね。確実に子育てを手伝いそうなオスを選べるアドバンテージを握っている訳ですから。メスに気に入られないオスはさよなら・バイバイ、淘汰されるわけです。
注7)福士審「内臓感覚」NHKブックスP61
動物が最初に持った器官は腸(第2章 生命の進化と上陸で紹介した、「背中に沿って節のある中空構造」のこと)であり、脳はこれから進化した。このことから、最近話題に挙がる「過敏性腸症候群」の原因が脳を疲れさせる過大なストレスや、便を仕事の都合に合わせて出さなければという勝手な「意志」であることが説明できる。意志こそ、自然な身体のリズムを妨害する張本人でした。目的の中心から気をそらすことこそ、意志でなく、身体のリズムに合わす秘訣なのかもしれませんね。便秘にお悩みの方は、どうか、仕事のためにリズムを曲げて生活し、その結果、意志の都合のいい時に出そうという圧力から、気をそらす工夫をしてみてください。忘れることですね。それができて初めて、身体のリズムが蘇り、勝手に活動し始めるでしょう。
注8) 中井久夫著「分裂病と人類」東京大学出版会P20
注9)福岡伸一「ルリボシカミキリの青」文春文庫P28
注10) ジュリアン・ジェインズ著「神々の沈黙」紀伊国屋書店P516
注11) 中井久夫著「思春期を考える」ちくま学芸文庫P64
注12) 中井久夫著「分裂病と人類」東京大学出版会P18