2017年10月03日
核と刀と保守
アメリカで銃乱射事件があり、50人以上の方が亡くなられたと報じられました。
アメリカの病だとマスコミは報じますが、要するにわからないということでしょう。病というなら健康や正常を想定して言うはずですが、その正常とは何なのか考えていっているとも思えません。
「種子島」が日本に上陸して以来、日本は軍備拡張を加速し、当時世界有数の軍事大国にまで上りつめました。気違いだった信長なら更にこれを加速させたでしょう。ところが家康一人の考えだったかわかりませんが、少なくとも臆病で争いを好まなかったまともな人間だった家康は、銃を捨て刀に還る軍縮を行った。刀は人間の身体に密着して、自分・人間を恐れさせもし、敵から身を守る道具でもあった。しかし銃はその域を超えている。大量に殺戮可能だし、自分側はチャッカリと身を切る危険も少なく、もう自分の身体を張った道具から逸脱し、身体の道具から、頭で考えた「抽象」の道具になった。ゲームと同じですね。抽象だから身体で測れるものではなく、限度が無いから野放図だ。行きつく先はてめーの手に負えない独り歩きの「核」かはたまた、途方もない破壊兵器に向かうだろう。現代は完全に「実感」というものから「解離」している。破壊兵器で言えば、人の恨みはせいぜい「健康」な人間なら、多くても10人殺したら自分のこころが壊れてしまうくらいのところまで行くでしょう。それが限界なのが「刀」であって、銃は人の恨みを晴らす限度を超えている。晴らすどころか面白くさえなって、恨む相手を物扱いだ。そうでなければもう気違いでしょう。まして核兵器など人を人とも思っていない。一国を滅ぼす程の恨みを持つということは、もし本当にそんなものが抱かれるとしたら、やはり妄想であり、統合失調症患者さんたちの持つといわれ「得体のしれない何かが、私を操っている」というその得体のしれない巨大な何かを持っているとしか言いようもない。ということは我々国民がそういう政治家を選んでいるのだから我々が率先して、精神科の門をくぐった方がいい。日本人の大好きな、何もできなくても金と女の臭いのしない元政治家が、罪滅ぼしに今頃になって反原発などと叫んでも、それは日本という火山大国では危険であるというだけで、どこかの国のように何万年も大地が動かないところならやろうという魂胆なのだから、結局わかっちゃいない。保守などと言って、美しい日本などと言っている輩が「竹やりで国が守れるか」などと矛盾したことを言っている。人間の進歩などという訳の分からないものを妄信している、物知り顔のはた迷惑親父が、よその政党グループを「ポンコツ」などと言って偉そうにしている姿は、保守などという姿とは程遠く醜い。解離性自己同一障害に近い。余程そのポンコツと言われた人たちの方が、真摯に国を憂い、古武士の態をなしているでしょう。もう彼らは、一時の社会主義のバカな夢など見ていないでしょう。
本来政治というものは、「人にものを強要するという悪」です。それでもしなければならないから「必要悪」です。だからその取扱いは、一番謙虚にならなければいけないのに。
保守とは、「姿勢」のことだと福田恒存は言っていた。
抽象の暴走は、名誉欲、権力欲などあらゆる面にまかり通っていて、やっていることが異常だと思わず狂気を生きている人間が、こんなにも増えた時代は珍しいのではないでしょうか。
思わず、核武装や権力欲まで行ってしまいましたが、刀に話を戻せば、刀は保守の象徴です。銃は身体から離れた、独り歩きの狂気の象徴です。ゲームも同じです。野球からボールを取り上げ、画面の中にバーチャル化したときから暴走は始まっているのです。
俺が何とかしてやろうなどと、考え始めるのが罪の始まりです。
目の前の、必要な問題、掃除や身支度や降りかかるもめごとなどを片付けて、テレビなどに惑わされず、何もしないでいることを楽しめるのが、本当の大人というものでしょう。それは身体から離れては感じられません。
アメリカの病だとマスコミは報じますが、要するにわからないということでしょう。病というなら健康や正常を想定して言うはずですが、その正常とは何なのか考えていっているとも思えません。
「種子島」が日本に上陸して以来、日本は軍備拡張を加速し、当時世界有数の軍事大国にまで上りつめました。気違いだった信長なら更にこれを加速させたでしょう。ところが家康一人の考えだったかわかりませんが、少なくとも臆病で争いを好まなかったまともな人間だった家康は、銃を捨て刀に還る軍縮を行った。刀は人間の身体に密着して、自分・人間を恐れさせもし、敵から身を守る道具でもあった。しかし銃はその域を超えている。大量に殺戮可能だし、自分側はチャッカリと身を切る危険も少なく、もう自分の身体を張った道具から逸脱し、身体の道具から、頭で考えた「抽象」の道具になった。ゲームと同じですね。抽象だから身体で測れるものではなく、限度が無いから野放図だ。行きつく先はてめーの手に負えない独り歩きの「核」かはたまた、途方もない破壊兵器に向かうだろう。現代は完全に「実感」というものから「解離」している。破壊兵器で言えば、人の恨みはせいぜい「健康」な人間なら、多くても10人殺したら自分のこころが壊れてしまうくらいのところまで行くでしょう。それが限界なのが「刀」であって、銃は人の恨みを晴らす限度を超えている。晴らすどころか面白くさえなって、恨む相手を物扱いだ。そうでなければもう気違いでしょう。まして核兵器など人を人とも思っていない。一国を滅ぼす程の恨みを持つということは、もし本当にそんなものが抱かれるとしたら、やはり妄想であり、統合失調症患者さんたちの持つといわれ「得体のしれない何かが、私を操っている」というその得体のしれない巨大な何かを持っているとしか言いようもない。ということは我々国民がそういう政治家を選んでいるのだから我々が率先して、精神科の門をくぐった方がいい。日本人の大好きな、何もできなくても金と女の臭いのしない元政治家が、罪滅ぼしに今頃になって反原発などと叫んでも、それは日本という火山大国では危険であるというだけで、どこかの国のように何万年も大地が動かないところならやろうという魂胆なのだから、結局わかっちゃいない。保守などと言って、美しい日本などと言っている輩が「竹やりで国が守れるか」などと矛盾したことを言っている。人間の進歩などという訳の分からないものを妄信している、物知り顔のはた迷惑親父が、よその政党グループを「ポンコツ」などと言って偉そうにしている姿は、保守などという姿とは程遠く醜い。解離性自己同一障害に近い。余程そのポンコツと言われた人たちの方が、真摯に国を憂い、古武士の態をなしているでしょう。もう彼らは、一時の社会主義のバカな夢など見ていないでしょう。
本来政治というものは、「人にものを強要するという悪」です。それでもしなければならないから「必要悪」です。だからその取扱いは、一番謙虚にならなければいけないのに。
保守とは、「姿勢」のことだと福田恒存は言っていた。
抽象の暴走は、名誉欲、権力欲などあらゆる面にまかり通っていて、やっていることが異常だと思わず狂気を生きている人間が、こんなにも増えた時代は珍しいのではないでしょうか。
思わず、核武装や権力欲まで行ってしまいましたが、刀に話を戻せば、刀は保守の象徴です。銃は身体から離れた、独り歩きの狂気の象徴です。ゲームも同じです。野球からボールを取り上げ、画面の中にバーチャル化したときから暴走は始まっているのです。
俺が何とかしてやろうなどと、考え始めるのが罪の始まりです。
目の前の、必要な問題、掃除や身支度や降りかかるもめごとなどを片付けて、テレビなどに惑わされず、何もしないでいることを楽しめるのが、本当の大人というものでしょう。それは身体から離れては感じられません。