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冬の紳士
定年前に会社を辞めて、仕事を探したり、面影を探したり、中途半端な老人です。 でも今が一番充実しているような気がします。日々の発見を上手に皆さんに提供できたら嬉しいなと考えています。
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2014年04月30日
覚悟
先日放送された「ホムカミ春の感動2時間SP」をご覧になりましたか?
日本に留学しているモンゴルの女子大生が、故郷に里帰りするわけですが、彼女は両親の待つ実家へ帰るだけでなく、
親善大使の俳優の黄川田将也さんとともに、モンゴルで、遊牧民として暮らす決意をした兄を訪ねるのです。なぜお兄さんが両親のもとを離れて、雄大だがとてつもなく厳しい自然環境の中で暮らすことになったかはここでは追求しません。ただお兄さんの生い立ち(養子)やあの全てを断ち切った優しい眼を見れば何も言うことはありません。

一番衝撃だったのはわざわざ訪ねてきた客人に対する感謝として、放牧している家族の一員でもある羊を殺し御馳走する映像だったではないでしょうか?黄川田将也さんは目に涙をたたえてショックを隠せないようでした。

「モンゴル人は羊の心臓の大動脈を切って殺します。
中国人のように頚動脈を切って、飛び散る血を競うような殺し方はしない。
また、モンゴルでは「羊」のあらゆる部分をを無駄なく食べます。
目や脳みそはもちろん、骨はポキンと折ってしっかり「骨髄」まで吸います。
無理して食べる必要はないが、まずは出された料理にちゃんと感謝をしましょう。」
全部は殺さない。幼い羊は将来の為に生かしている。

などと言ってはぐらかしますが、私はそういう問題では無いと思います。
殺すのは良くないなどと言っているのではありませんよ。これは哺乳類だけでなく全ての生き者の宿命なんですから。
ただこれを地球の一地域の風習だから考える必要はないだとか、野蛮だから子どもに見せてはいけないだとかそうやって「蓋」をすることがいけないと言いたいのです。勿論現代社会に育った小さなこどもに「さー、見なさい」などとショックを与える(人為的にする)のは良くないと思いますが、こういう現実が今の我々の生存を支えているのだということは教えなければならない。絵本や物語を使ってでも。今私達が「まいう」といって笑っているその裏にはこういうことをしている人達がいて支えてくれているんだということを。
ついでに言えば菜食主義なら殺生している事にならないんでしょうか?ノーです。植物も生きているし精神生活をしています。でも食べられるという「事件」は受け入れる。クジラを守れば牛は殺してもいいんでしょうか?なんですって?クジラは高等動物で人間に近いから?牛は下等動物?それじゃ、優秀民族だけ生き残ればいいとするヒットラーのアーリア主義とあまりかわりませんね。人間だけが自然界では神なんですか?傲慢もここまでくればあきれて無知の極みですね。少し人間存在を謙虚に振り返るべきですね。

殺生の支えなしにはヒトは生きられない哀しい存在だと言うことを。だから我々だけ、寿命を越えてまで欲をかいてはいけないのではないでしょうか。

私は「臓器提供カード」にサインをしていない。人間がしてはいけないことだと思うからだ。それは「成り行き」がすることだと思っている。(やむにやまれぬその時には、遠慮なんかしないでサインなんか無くてもさっさとやればいいんです。)
そうでなければ「人の命を救う」という行為が、「命がけ」でなくなってしまう。安全で組織的な生体間移植?こんなことをしていいんだろうか。
いったい我々が生きる為に自らの命を単に死期が来たと受け止め何の恨みも無く捧げてくれる動物たち、植物たちに申し訳が立つのか?一体いつまで生きたいのか。自分たちばかりが。寿命を受け入れないで生態系が維持されるのか。今度は我々が、土や海に帰り、バクテリヤや魚の餌になるのが順番と言うかお返しでは無かったのか。
それが「(命を)いただきます」といって食べてきた命へのお返しでは無いのか。責任を取ると言うことではないのか?

そのことを知ってなお、死期を待ちながら生きる事を「洒落」と言った。
どうせ死ぬんだからと、自棄になったり自殺してしまったりするのは、自分だけ何か特別な存在だと勘違いしている証拠だ。傲慢だ。そうでは無く私もみんなもお互い助け助けられている全体の部分に過ぎない、それは人間界だけの話じゃないと言う事に気付いて初めて生き者としてみんなの仲間入りすることになる。

北斎はそうやって生きた。北斎のような生き方。「すべてを俗世間とまみれる覚悟がなければ、到底洒落ては生きてゆけなかった・・・・見立てを出入りさせるとは、到底自分を一人として勘定などしていっこない。自分すら何かに見立て、そこへ右往左往することを喜んだ。」(松岡正剛)。
これが洒落だ。或いは芭蕉の「かろみ」だ。

とっくに命は捧げてる。
誰に?
宿命に。

「死」を法律に預けて楽をしようなんて、そうはいきません。


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