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冬の紳士
定年前に会社を辞めて、仕事を探したり、面影を探したり、中途半端な老人です。 でも今が一番充実しているような気がします。日々の発見を上手に皆さんに提供できたら嬉しいなと考えています。
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2015年12月25日
東山魁夷 白馬はなぜ現れたか
−2東山 残照4.jpg
「残照」(東京国立近代美術館)

東山 白夜光.jpg秋翳
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「白夜光」(東京国立近代美術館) ・・・・・ 「秋翳」(東京国立近代美術館)

東山 緑響く1982.png東山 年暮る.png

「緑響く」(長野県信濃美術館 東山魁夷館) ・・・・・ 「年暮る」(山種美術館)

 東山は、東京美術学校(現・東京芸術大学)卒業後、ドイツ留学を経て日本画革新への情熱を携え、友人らと国土会を結成し、在学中と留学による西欧画の知識を糧としつつ、形態の単純化手法などを駆使しながら質感や遠近感のある空間と浪漫性のある詩情を湛えた、写実性を保ちながらも西欧風のリアリズムに対抗するすべを模索していた。しかしながらその様な彼の試みも周囲からの理解は望めず、時代は戦争に突入し世相は混乱を極めた。やがて敗戦を迎え極端なナショナリズムの反動からの日本画滅亡論さえ叫ばれる中、横山操や加山又造の様な、日本画の歴史を日本の歴史の中に捉え且つ位置づけ、雪舟から菱田春草に至る彼らの残した伝統をつなげようとする天才的な試みよりも、むしろ東山自身の人生と向き合い、自然と人間との関係の中に自分の位置や生き方を模索する遅々とした、しかし確実な信仰や修行に近い歩みの方を選択した。前者を疾風のように生き且つ去る時間的生き方とすれば、東山は時間の外に生の証を残す空間的な生き方と言えようか。

そんな東山の祈りにも似た試行錯誤に天命が下ったのが、1947年の第3回日展で特選となった「残照」の完成であった。この作品の完成で彼は覚悟が決まった。戦後の個人的にも職業的にも失意の連続の中から、ようやく自らの心の方向性を見出したに違いない。「自然」という歴史や運命を越えるものに包まれ、それとの対話に生きたい。それは風景画という選択であった。その覚悟は、「道」や「秋翳」、「黄耀」など筆の冴えを見せ、画壇の確固たる地位を占めるに至る。高度成長に始まる経済的繁栄が、横山等の日本を背負う悲壮な決意よりも、東山の市民の壁に掛けたくなる日本的あたたかさを選んだのかもしれない。歴史の皮肉であるが、彼にとっては幸いしたのだろうか。

1962年から東山は魂の故郷と憧れる北欧に旅する。画家は自分の絵は心象風景だと言ったが、およそ芸術たるものそれを免れることはできないものだ。厳しい自然環境の極限の中に身を置いて絞り出す輪郭と色彩は、「死に透かされた生の歓び(1)」を予感させる見事さを持って見るものに迫る。「映象」「冬華」「白夜光」など北方即ち聖なる方角への思いは没するまで続く。何かがこころの奥底で始まっていた。このままでいいのだろうか。

 既に日本の風景を描く準備を進めていた東山は、帰国後「春静」「曙」「奥山路」「宵山」「あだし野」「谿紅葉」「散り紅葉」「年暮る」などの名作を発表し、「都のすがた・・・とどめおかまし」との川端康成の求めに応じて「京洛四季」を完成させる。

 「京洛四季」が一段落すると、今度は東山はドイツ・オーストリアの旅に向かう。
 
京都は既に1300年にも垂んとする歴史があり、人も家も寺も歴史の中に溶け込んでいる。それはヨーロッパの様な大自然と人間との対立を弁証法的に解決した「石の文化」とは趣が異なる。しかし京の街並みや祭りや人の暮らしも、人と自然の間にできた都市の佇まいであることに変わりはない。日本人故に何の違和感もなく風景の中に溶け込ませることができたこの「異物(文明)」は、ヨーロッパの街並に再び出逢って大きな違和感をもって現れてくる。「緑のハイデルブルク」や「雪の城」では都市が、自然の中に包まれた「もの」のように凍結されている。そこに人々の「生」を見つめる目はない。彼は異郷に於いては「傍観者」でありそれ以上踏み込まない「観察者」なのだ。都市の姿は、ただ憧れに留める対象なのだ。

 東山が馬を描いた時期は2度あり、戦中から戦後にかけてと、2度目は1972年である。
ここで問題としたいのは2度目の馬であり、白馬の登場である。彼は当時の状況を複数回にわたって説明している。1973年からは以前より依頼のあった「唐招提寺御影堂壁画」の制作を引き受け、これに打ち込むことになり、画廊などの展覧会を除いて一切の依頼画を断っていた。当時頭の中は障壁画の事で一杯であり、切り替えに描く展覧会の「作品のテーマを考えていると不思議なことがおこった。・・過去の旅のスケッチを取り出して眺めたりしたが、あまり感興がおこってこなかった。その時突然、緑一色の風景の中に、白い馬が小さく姿を現し、針葉樹の繁る池畔を右から左へと歩いて行って、間もなく視界から消えさる幻影が浮かんだ。・・・白馬はいつも遠くに小さく姿を見せていて、画面の前方へ来ることは無かった。それまでは、風景の中に点景を入れないことが私自身の特色となっていたのだから、この時は、私自身にも意外であった(2)」。
別のところでは「はじめは風景にアクセントを与える為に、偶然現れたのかもしれない。事実これらの風景は、白い一点を入れることで生新さを加えたと思われる場合もあった。・・・・それは心の祈りを表わしている。描くこと自体が祈りであると考えている私であるが、そこに白馬を点じた動機は切実なものがあっての事である(3)」としている。
動機については鑑賞者の推測に任せるとして、断定を避けている。

 そのお言葉に甘えさていただき想像をたくましくすれば、さてこの白馬とは一体何だろう。描く自然も自身の心象風景だと言っているのだから、この白馬は東山自身だと言うのが自然な推理かもしれない。心の旅人東山にふさわしい。

だが、「隠すことは見せることである」という知られた言葉がある。この心理からすると、「見せることは隠すことである」も成り立つだろう。鑑真という歴史上の巨人に向き合い、「自分などでいいのだろうか」という描く孤独の中にさらされ、限りなく自分を小さく、無名性(アノニマス)のなかに置かなければならないという芸術の本来に再びぶち当たっていたと想像される東山が、格闘の末に編み出した無意識の方法では無かったのか。では点景に白馬を置くことで何を隠したのか。巨大な歴史を刻む先達を前にして、自身の卑小に震え上がったに違いない自分が、不遜にも運命を操作できるほどに名声を得てきた「風景」という作品を恥じ入って、これを隠したかったのではないか。唐突ではあるが、ビートタケシが人を笑わせながら、同時にいつも「照れている」心理も同様のものではないだろうか(4)。

考えてみれば奇妙な絵と言える。「先生はえらいことを始めてしまったのでは。」と一抹の不安を持った関係者もいたのではないだろうか。
しかしその「奇妙さ」こそ、ボードレールの美学の根本をなす「人間の偉大さと悲惨の二重性からくる笑いは、美について何か奇妙なものが混じっていなければ美とはなりえないという考えと同じ発想を持っている(5)」とされるものなのだ。それは現世という人工の世界の中にあって、人間という小さな存在(悲惨)の想像力だけから出発したものではなく、帳を開いた生の自然に憧れ、立ち向かい(偉大さ)、そこで傷を負った証拠であり、今はもう戻ってそこ(生の自然)にはいないが、確実にそこに行ってきたことのアリバイなのだ。
今自然を描いているが、そのとばりを開いた本当の自然はこんなものではない、すまして大家の様な顔をして描いているが、本当の自然が動いたら、私の芸術なんぞ一気にみじめな「つくりもの」になり下がってしまう。そんな危うい場所で実存的に自身を投企している、そのことを忘れてはいませんよと、自身の行為を告解している痕跡が、「奇妙さ」となって現れるのだ。

 東山は自身の作品=「風景」を前に、白馬となって画面の右から左に通り過ぎながら、その「自然に対する畏れおうさ」を点検した。彼はこのような告白、或いは懺悔にも似た儀式を通過することで、己を低め、障壁画制作という偉大な行為者としての自分を承認することができたのではないか。
曝すことで、却って隠すものが消えた。あとは、もう白馬は必要ない。
こうして一大危機を乗り越えて、偉大な画境に入っていけたのではないだろうか。
その後の 、決して天才とは言えない彼がようやく辿りついた、横山等が格闘していた、「何も加える必要がない何も引く必要が無い」水墨の世界や、菱田春草の黒と金に日本画の真髄を見る手法に挑んだ「行く秋」などの名作については、本テーマからは外れるので、機会を改めることとする。


注(1) 饗庭孝男「自然・制度・想像力」(恩寵の音楽) 小沢書店 P123
注(2)『東山魁夷画文集 別館 自伝集 旅の環』新潮社 1980年 p140〜141
注(3)東山魁夷『画集 白い馬の見える風景』新潮社1973年 P6〜7
注(4)
笑いは、ベルクソンもその構造の芸術との共通性を著書「笑い」で取り上げているが、ある集団の中で、何かに夢中になっている(物体・機械に化しかけている)人間がいた場合、他の人間が(ついそうなってしまう行為や姿に共感しつつ)も、彼(彼等)を再び集団の生に連れ戻そうと意図するジェスト(身ぶり)だと言う。難しい表現になってしまうが、例えばTV番組のとんねるずの全落シーンなどで、IKKOが番組スタッフの言われる通りに信じて行動する(次に何が起こるか判らないという警戒も無く、或る意味機械的に)ところで、突然落とし穴に落とされる場面は、思わず笑いを誘わずにはいられない。しかも、もう次は無いだろうという期待さえ裏切って、油断して機械的にいつものしぐさに戻るところに追い打ちをかける。笑いは、生の刻々の一回性を忘れて、ともすれば惰性に流されて機械的に放心状態でやり過ごすことを阻止(警告)する社会的ジェストと言えるだろう。
ユーモアは、夢中になっている(機械になっている)自分を知っていて(そうなりがちな自身への共感をもって)敢えて演技者であり続け(見せ続け)自分を嘲笑するケースだ。
ではそれと芸術との共通点は何だろう。

笑う人間は、自然がその帳(とばり)をあけて姿を現すのを見た芸術家の一回限りの知覚をその作品によって理解・共感・評価しうる人間に例えられるからだろう。また笑われる人間の機械的な素直さや常識に囚われない感覚は、もしかしたらもっと別の大きな世界に引っ張られているかもしれない芸術家に例えられるられるのではないだろうか。
こうして評価者(帳を開いた自然・神でもありうる)と芸術家の関係は、笑う人間と笑われる人間との関係に対応する。
参考文献;ベルクソン全集3「笑い」白水社 1965年

注(5)饗庭孝男「自然・制度・想像力」(受苦の聖性)小沢書店 P144

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