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プロフィール

冬の紳士
定年前に会社を辞めて、仕事を探したり、面影を探したり、中途半端な老人です。 でも今が一番充実しているような気がします。日々の発見を上手に皆さんに提供できたら嬉しいなと考えています。
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2013年05月28日
ブルーや。
ブルーが死んだ。老衰なのか、病死なのか、定かではない。享年20歳。人間で言えば120歳というところか。
猫は長生きとは聞いていたが、ここまで永いと、もう家の主の様で私達家族のパーツとして一線を画していた。近所に住みついた野良猫の生んだ子猫のうち1匹を頂戴して、育てた。当時より、人を信用していなかった。 近ずくと警戒した。決して人間の言うことを聞かず、自らの意志で住みつき、飲み食いし、出歩いた。勿論抱かれるのもいや、それでいて、お腹が空けばニャーニャーとうるさい。躾の際、ずいぶん手荒なまねもした。
名前の由来も、当時人気の鈴木ほなみさん主演のテレビドラマに痛く感動し、そこに出てきたペットの小鳥の名前が「ブルー」だったことから付けたのだが、毛の色がブルーだった訳でもなくずいぶん「期待されてないなー」という感じだった。
どんなに厳しくあしらわれても、出てはいかなかった。
それでも時折勝手な人間どもが、「ブルーッ」と呼べば、低く面倒くさそうな声で「ニャッ」と返す。
あとは知らん顔だ。

清々しい新緑の朝だった。玄関のドアを開けると、それまで何日も動かなかった彼女が動いた。
光を求めるように、一歩一歩、よろけながら花畑のほうに出て行った。
そっと追うように見守った。好きだった水道から流れる水を飲むつもりで、外の流しに登ろうとするが、思う様に足場が取れない。
ひと口付けただけで、支えてやろうとする手を無視して草むらに向かう。
少しでも水分と栄養をと、注射器の本体部分だけの筒に水を吸い取りしっかりとじた口の横から流し込む。今にしてみれば末期の水だった。また魚の加工品を口に入れようとするも拒否して私の手を引っ掻き払いのける。

少し休みなさいと、静かに見守る。
ちょっと用を済ませようと二階にあがって、思い出して外に出てみると先ほどの草むらにはいない。もしやと周囲を探すと、裏の陰にものにまぎれて横たわっていた。息は無かった。

目を大きく開け、口もかみつく勢いで開いたままだった。その表情こそ勇ましいものだったが、最後まで甘えることも無く気丈な孤高の姿だった・・・・
特に苦しんだ様子は無かった。
肉も体に殆んど付いていなくて痩せこけ、外に出るものも何も無く、本当に詰っていて全部生き切った様な、枯れ方だった。一緒に寝食を共にした20年間が甦り、重力の様な力がサーっと、心臓のあたりから私の足元に向かって下った。
最後の見とりをしてあげられなかった。思わず抱きしめ、耳元で大きく叫んだ。
「ぶるー!」「ごめんよ。寂しかったね。」「ありがとー!」

零れる涙をこらえることも無く、目も、口も閉じてもう一度抱きしめた。最後まで孤独に耐えた野良猫魂の気丈な生きざまに、生きることを思い知らされた気がした。

死を恐れている様子など見えなかった。

「死を見るのは我々だけだ。動物は自由な存在として決して没落に追いつかれることがなく、
おのれの前には神を臨んでいる。
歩む時それは永遠の中に歩む、湧き出でる泉がそうであるように
我々はかつて一度も、一日も開きゆく花々を限りなくひろく迎え取る純粋な空間に向かい合ったことが無い。
我々が向き合っているのはいつも世界だ。
決して「ニルゲンツ・オーネ・ニヒト(否定の無い何処でもないところ)」・・・・・例えば空気のように呼吸され、無限と知られ、それゆえ欲望の対象とはならぬ純粋なもの、見張りされぬものであったことはない・・・・・」(リルケ*ドゥイノの悲歌・第八)

「ブルー、死んじゃったよ!」と涙も隠さず子どもに告げ、心で追悼した。

とりたてて、猫っ可愛がりをしたわけでもない。
ただ小さい頃、夜になると私の枕元に、ごろごろと音を立てて寄り添い、しばらくすると眠りに就いた。耳元での安らかな寝息は私の子守唄でもあった。

その後、雑種でない彼女より高価な犬を飼う様になって私達の部屋には出入り禁止となった。
そうして疎遠となって久しい。
部屋に入りたくて入口に来ると「駄目!」と冷たくあしらわれ、すくっと、足をとめたものだった。その時の目が忘れられない。

今思えば何とかわいそうなことをしたものだと悔やむ。
そんな仕打ちにも、夜私が帰宅し玄関を開けると必ず真っ先に、玄関マットに座ったまま「ニャー・・・・」と一言出迎えてくれた。
逆風に耐える強さを持っていた。その姿を気にも留めていない筈のみんなが心ならずもその強さに少なからず影響されていた。

今日はもうその声も無い。その彼女の定位置には、「気」のぬくもりだけが放たれている。
とても食器や水碗やトイレを捨てる気になれない。なぜだろう、もうこの世に存在しない筈なのに、今になって尚、確かにその存在が確認される。なぜか今になって思い出した

高校の修学旅行の際、南禅寺山門に見つけた、柴山全慶老師の「花語らず」を贈ろう
 
 花は黙って咲き
  黙って散ってゆく
  そして再び枝に帰らない
  けれどもその一時一処に
  この世の総てを託している
  一輪の花の声であり
  一枝の花の真(まこと)である
  永遠にほろびぬ生命の歓びが
  悔いなくそこに輝いている

ブルーは本当に控えめに一人静かに輝き、そして逝った。

ブルーよ、ありがとう。そしてさようなら。

2013年05月23日
司馬さんのこと
先ごろ、仕事で英語が苦手で何とかならないかという生徒さんの相談を受け、それだけならまだしも、その担当をする羽目になってしまい、大いに悩ましくおもっているところです。はっきり言って相談を受ける程度なら、無責任なことを言って煙に巻くこともできるかもしれないが、担当となるとさて困った。敵を知るにはまず相手を取材しなければならない。さりとて敵もさる者なかなかきっかけを掴ませてくれない。心底苦手なことは判った。色々な専門家にも相談した様だ。

勿論勉強は続けているし、優秀な先生についてもいる。普段偉そうな御託を並べている私が言うこととやることは違うなどと言えるわけがない。正攻法でものにならないなら、それだけ彼女の懐が深い為であり生まれたての幼児に戻りお母さんの口から耳に入る言葉を遠い原型としそこから日本語と違った抽象的で論理的な(合理的ではないが)世界に踏み入るしかないのでは。人は最後は「リズム」であり、暗闇からスタートする引っ掛かりも「リズム」に違いないから、音楽に乗せて身につけさせるべきだ・・・などなど尤もな思いが去来する。しかし彼女には時間が無い。もう来年の2月には試験が終わっている。単語も全く覚えられない。彼女には本当に人が言語を育んでいくという幸せな体験が無い。そこにアルファベットが引き出されても何の関係もない・というより何の体験にも裏付けられていない文字の羅列に閉口するばかりなのだろう。名人と言われる先生の書かれた参考書・単語暗記書等を繰り返しつつ、何かプラスアルファーで体験の(読書体験でもいい)もとに裏付けられた単語や文章に触れて心に残る想い出をと選別に入った。
最初は少年少女向けでピアスの「Tom's midnight Garden」をと考えたが少し長すぎる。とてもファンタスティックで時空や人生の不思議を理屈っぽくなく体験させてくれる素晴らしい本だったが断腸の思いで諦め、短くて対訳になっていて、将来役に立ってくれそうな本を探していたところ、司馬遼太郎さんが日本や世界の小学生の為に書き下ろした「21世紀に生きる君たちに」(朝日出版社)に辿りついた。

司馬さんには私には苦い思い出がある。
大学三年の冬だったか、ゼミの仲間で京都に住む友人を訪ねた折り、その友人のお父さんが折角関西に来たのだから戦友の司馬遼太郎さんを紹介してくれるというのだ(司馬さんと友人の父親は満州で同じ部隊に所属し、寝食を共にされた仲だったそうだ)。当時司馬さんと言えば知らない人は無いくらい有名で会ったと言うだけで自慢話ができるくらいの人だったが、当時私は司馬さんのよい読者では無かった。そういう状況であるにも関わらず、スケベー根性を出して、何か自分を認めさせようなどという傲慢な下心を持ちながら、友人とともに堺のお宅を訪ねた。

腰の低い奥様の案内で、応接間に通され、殆んど待たされずに現れた。
友人とはお父さんは元気にしているかとか、四方山話をした後私に声を賭けてくれた。当時の我々は学生運動華やかな時で、学生運動に加わらないのは「非国民」だった。
そんな運動家の「今こうしている最中にも飢えで亡くなっていく多くの難民がいる。ここにぬくぬくとしていていいのか」の論理に、何か自分を世界のリーダーや神に見立てた思いあがりに辟易としていたせいか、小林秀雄や福田恒存に食指を伸ばし自己防衛に汲々としていた。
そんな夢を見ているような青臭い青年に、しかも自分の熱心な読者でもない私にきちんと対応してくれた。「何に興味があるのか」といった質問にも司馬さんを眼の前にして、京都のお寺の庭や仏像など、スケールが小さくてあんなもんが人生だなんて悟ったつもりでいるのが片腹痛いとか、ここに来る前ある御寺に参拝したが、そこに至る山道が長く険しく、これは参拝者を疲れさせて世間の雑念を払わせてあと、目の前に現れる仏の有難さ一点に集中させる為のからくりだなど、大変な悪態をついた。勿論友人は最近の著書を持参してサインを貰っていたが、自分はというと(欲しい癖にやせ我慢し)一言もおねだりはしなかった。そんな無礼な若造にも司馬さんは最近の新聞社や出版社の内幕を教えていただいたり、誠意あふれる対応をしてくださった。大変お忙しいのに、何本も何本も煙草をくゆらせてはすぐに消し、勿体ないなと思いつつもその貫禄に圧倒されていた。いま思えば本当に赤面の至りだ。

その司馬さんの「21世紀に生きる君たちに」を読んであの時の仕草と語りに何の違いも無い自信とその経験に裏づけられた言葉の重さに、思わず当時の恥ずかしさを伴う懐かしさと偉大な芯のようなものに熱い思いが甦った。

「私の人生は、すでに持ち時間が少ない。例えば21世紀というものを見ることが出来ないに違いない・・・・・」

「21世紀の人間はよりいっそう自然を尊敬することになるだろう。・・・・そのようになることが、君たちへの私の期待でもある」

淡々と述べる覚悟を伴った語り口の裏の秘められた情熱が見え隠れする。明らかに絶望しているにも関わらず、信ずる・期待していると言いきるこころこそ、教える訳でもなく、諭す訳でもなく、彼の言葉がいつか忘れ去られても続く世代(正しく「せいだい」)の人たちの踏み台になれば、いやむしろそうでなければならないという深い思いが伝わってきた。

「仏様が或る時、道端に立っていると一人の男が荷物をいっぱい積んだ車を引いて通りかかった。
そこは大変なぬかるみで、そこにはまってしまった男はどうしても抜けない。仏様はしばらく様子を
見ていらしたが、ちょっと指でその車に御触れになった。その瞬間ぬかるみから抜けてからからと男は引いて行った。という。」「こういうのが本当の一級の教師なんだ。男はみ仏の加護に逢ったことを永遠に知らない。自分が努力した自信と喜びでその車を引いて行ったのだ。そしてこうも付け加えた。「生徒に慕われていることは、大変結構なことだ。しかしまー、いいところ二流か三流だな。」
助けられた男は、もし仏様に助けられて現在があると知ったら、ひざまずいて感謝しただろう。
しかし、それではその男の一人で生きていく力は何分の一かに減ってしまっただろうと。

これは司馬さんの言葉ではなく、大村はまという方が、恩師の奥田正造先生から諭された言葉なそうな。そういえば「教諭」の輸は「さとす」という字でした。

私は教諭ではないが、姑息な手段は失敗する・逃げないで小手先でなく、正面突破しか道は無いと軌道修正し、「私が何をしたわけではない。しかし彼は知らない間に私の頭の上に乗っている。」そういう「梯子」にならねばならぬと思い始めている。
それこそが「教える」というおこがましい言葉の真意だろうと、思いつつ前に進みだしている・・・・。
私のことなどもとより覚えてなんかいるはずもない司馬さんに、「数多ある星ひとつ分に過ぎないが」のお返しを込めて。

「教師というものは、いわば板塀に出来たたった一つの節穴でなければなりません。そこを覗かなければ内部の果樹園が見えないというわけです。もし他にもたくさんの穴が開いていたら、子どもたちは毎日、次から次へと、新しい穴の前に詰め掛けて、やがては内部の景色にも見あきてしまうのが落ちでしょう。」(ライナーマリア・リルケ「神様の話)
いまならさしずめ、ゲームに狂う子どもたちでしょうか。もう果樹園は果樹園で無くなり、単なる欲望の対象に変わってしまっていますね。

誰がというわけでもなく、果樹園を果樹園のまま見せてやる。そんな「節穴」に徹すること。
なかなか出来ないですね。すぐに「好かれたくなっちゃう。」
戒めですね。

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