2009年12月28日
念仏
法然さん曰く。念とは、今に心をおくと書いて、余分なことを考えずに、自我を薄め、今に集中して今を愉しむという意味だ。今に感謝すること。「心配(=仏教では心配とは心配りということで、永遠の旅を感じる・気配といった意味になるようです)」もしないということ。
念仏とは、心に仏の姿や功徳を観じて口に仏名を唱えること。
辞書によれば(浄土教では)阿弥陀仏の名号を唱えることを言い、それにより極楽浄土に往生できるとある。
念仏というものを世間に広めたのは、源信とも法然ともいわれるが、当時の歴史的背景を見てみよう。
当初仏教が伝来したころは、奈良に遡るが、当時は百済移民の「草堂」(自分の家の謙譲語・くさぶきの家・いおり)仏教=蘇我馬子らが取り入れた)を母体に中国南朝系の仏教が導入され、後に聖徳太子や聖武天皇による北朝系の国家の為の鎮護仏教・東大寺を中枢とした「鎮護国家」の目的で極めて政治的な、現世的な性格のものであったと思われる。
神々と仏のどちらを取るか、いずれにしても廃仏派の物部氏と崇仏派の蘇我氏の間で、血で血を争う宗教戦争が始まり、勝利した蘇我氏とともに戦った聖徳太子は、後に「世間虚仮=世の中は皆かりそめのものである」と言って仏教認識のニヒリズムの一面を見抜いて行く。
いずれにしても、大仏建立というナショナルプロジェクトを機に日本中に東大寺配下の国分寺・国分尼寺を建立・活用して国家を動かす様に巨大化した仏教は、平安になる頃から宗教の本質から離れすぎて行った。
国家や公共もいいが、人間の真理を説く(キリスト教は説教・仏教は説法)必要が無いのか?
そう感じ始めた若き僧侶たちの中に、最澄や天才空海がいた。彼らは山林にこもり新しい仏教を模索した(「雑密」ぞうみつ)、後に最澄・空海はその一派から自立し「純密」を開く。密教の誕生です。最澄の流れは、後の「山川草木悉皆成仏=一木一草一葉のことごとくに浄土あり」に極まる比叡山「天台本覚思想」に発展、空海の方は真言(マントラ)という言語哲学から金剛界曼荼羅(抽象的かつ論理的な真理のみで仏の世界を説く)と胎蔵界曼荼羅(仏の慈悲・普遍愛をもって仏の道を表す)の一対のシステムに示される空前絶後の宗教を完成させます。
しかしながら、このような思想や宇宙観は一般の民衆には判りにくい。
平安も半ばになると聖たちが山林から下りもっと簡明で新しい感覚で仏の世界を案内しようというブームがまき起こります。世は戦乱と天災と飢饉が渦巻き、都には死者と腐臭があふれかえる「平安」とは似ても似つかぬ「不安」時代でした。
釈迦の死後2000年後にこの世の終わりが来るという「末法思想」も大流行しました(中国の法琳がブッダの死を紀元前949年に算定し、当時の1052年は末法の開始年ということになった)。
藤原氏の栄華もなんのその、天皇も貴族も政治そっちのけで何とかして浄土に行きたい。
不思議なことにこの末法思想は日本だけにとどまらず、世界中を駆け回っていたんですね。それこそシンクロニシティでしょうか。ヨーロッパで゙は1033年がキリスト受難から1000年(ミレニアム・1000年王国の予告)に当たりキリストの再来が待望され、世界的な巡礼ブームも起こった。
都市で安定した生活を勝ち取った市民でさえもが、死の危険を冒してまで競って、コンスタンチノープルやスペインの西の果てサンチャゴ・デ・コンポステーラへの旅を熱望した。
時を同じくして日本でも「蟻の熊野詣」と言われる那智の滝や補陀落渡海(ほだらくとかい)を目指す巡礼がブームとなった。
こうして仏教というものが国家の安泰という宗教から、自分の過去から来世までも超えた個人の安寧の為の宗教に変化していくという大混乱の中から「浄土教」が誕生した。
時は鎌倉、源平争乱のさなか、社会状況はますます悪化するばかり、保元の乱・平家滅亡というような予測もつかない大混乱が連続し、そこに飢餓が広がっていった。
「死」の氾濫です。五条の橋の付近には飢えにたえかねて、あさましくも捨てられた子供の生肉を食べているものがいる。阿弥陀堂を自力で作れるものはまだまし、庶民にはそんな財もない。いったいこの世で煩悩悪障を断ち切って悟るなどということはありえないのではないか。
真言の即身成仏、法華の六根清浄のように自己努力によって覚醒できるのはごくごく稀なことで、ほとんどの凡夫にとってはありえないことである。
むしろ煩悩具足の身そのままに未来成仏に往生するべきと考えた法然さんは、1156年24歳になった年、13年を過ごした比叡山を離れ、自ら「凡夫」の自覚を持ち、庶民の中に生きる決意をする。
それは『観無量寿経』に始まり、その中に発見した「定善(じょうぜん)」(「心を静かにし、散乱させず、一つのことに集中して為す善」)と、散善(さんぜん)(「心が散乱しているような状態でも、悪を為さずに善を為すこと、心が集中されていないような状況、つまりは「忙しい日常生活の中で為す善」のこと)に注目し、後者の散善(さんぜん)というやり方も許されるのだ、「定善(じょうぜん)」だけというわけではない、詰りこのことは仏の慈悲ということだと直感したことに始まっている。
そして43歳で「専修念仏」という簡素な教えを説き始める。
そのこころは「悟りの仏教」ではない「救いの仏教」を求めるのだという、当時としては一大転換を目指したものと言える。
これには他宗派も黙ってはいない。「念仏だけで浄土に行けるとは、それでは我々の(比叡山や興福寺や東大寺の)修業や道場は不要ということになる。その為時の権力から追放されたのは皆さんご存知の通りです。
世に名高い「大原問答」では、当時の日本の仏教界の権威が勢ぞろいし、批判もされれば理解もされ・感動もされ、特に法然にお咎めは無かったものの、その後の弟子たちの念仏本位の行きすぎ誤解が招いた結果としてついに土佐に追放される。
前置きが長すぎたようですが、ようやく本題に近づいてきました。
念仏とは何か?実はこの裏には「他力本願」のこと、一人で悟りに至ろうとする傲慢のことの深い意味が隠されている。
仏教は修行する者に10段階の界域を設けている。十界と言い、地獄界・餓鬼界・畜生界・阿修羅界(ここまでを四趣という)・人間界・天上界(2つを人天という、又四趣と人天を合わせて六道(rikudou)といい輪廻・迷いの世界という。ここを突破するには涅槃(ニルバーナ)に至る必要がある。)
ところで「他人」を救うためにウェイティングをしている人を「菩薩」という。
それは仏像のことではなく、人間の生き方のことをさす。
「利他の誓願を起こして、菩提(悟り)を求め、その為に修行をするのが菩薩だ」となっていった。菩薩とは、修行を完了した者があえて先の如来(仏)まで行かずに、他者の救済に乗り出す姿の本来のことをいう。そこに向かうことが菩薩行である
阿弥陀さんも、法蔵菩薩として修行していた。その後48願を発し、成就して(阿弥陀)仏となった。(この「他者」を意識することが、大乗仏教の最大のすぐれたところ且つ小乗と違うところです。)
※十界・・・・・仏教が説く、修行する者に対する10段階のレイヤー(界域)
それぞれの世界での生命的活動が、次に再生する世界を決める
という輪廻思想がはたらく。
※二乗は菩薩になる直前の状態。
※サンガは声聞(しょうもん)と縁覚(えんがく)を指す。彼らはともに
阿羅漢(自覚者)となることを目指した。(小乗仏教)
法然は今に心を置き、集中し、目の前の現世を感謝し楽しむことであの世は約束されるといった。又人の彫った仏像や(当時貴族が行った)あの世に繋がる五色の糸も信仰の為の象徴であるから私には不要であり、私はもとは極楽にいたのだからそこに戻るだけだ、と臨終の場で述べた。
これは傲慢の心ではない。清々しい自信だ。
極楽に行くには念仏を唱えなければならないのではなく、念仏で充分だとまで言っている。
さらには自我を消し去り欲を捨て今を感謝出来れば、「念仏すらも不要」であるとまで言っている。
法然は弟子たちに問うた。「我々が救われるのは、阿弥陀如来のおかげか、自分の行によるおかげか」。(阿弥陀如来のおかげというのは「信不退」、自分の行の力と感じるのは「行不退」)これに対し「信不退」と答えたのは親鸞と数人の弟子のみだった。という。
「他力本願」とは、自分で努力しないで待つという意味でなく、自力の果てで他力を感じられるかどうかということ。又「本願」というのは阿弥陀如来が願じている内容で「仏・菩薩が過去世において立てた衆生救済の誓い」のことである。また阿弥陀さんというのはいわば「他者の代表」である。
私たちは一人で生きられない。たくさんの他人と一緒に生きている。たくさんの「他生の縁」と繋がっている。そういう「他者の代表」が阿弥陀如来である。つまりそういう(他者である)弥陀の本願が、あなたは信じられますか?と問うたのだ。
祈るとは手と手を合わせることでもある。
人は二足歩行を始めることで、空いた前足を利用して様々な技術を、文明を築いてきた。文字も生みだした。手わざである。
生前の三島由紀夫はその小エッセイの中で、芸術とは手わざだと喝破した。その手の名残が見えないものは芸と呼ばないといった意味のことを書いていたと記憶している。
この手が良いこともしたし、悪いこともした。大きな力も持った。
祈るとはこの手わざの回収なのだと思う。否定ではなく、もう一度生まれ変わる為の原点回帰なのだと思う。
手業を回収して何を願うのだろうか?家族の健康?受験合格?・・・・・否である。
「願をかけるとか神様にお参りするのは、自分の欲望を遂げることをお願いするもんじゃありませんよ。反対にそれは自分の欲望(業)から解放されること、打ち勝つことができますようにと、勇気をお願いするものなんですよ。欲望なんてかなえてくれませんよ。」
と教えてくれたのは、平塚に住む私の尊敬する先輩のT氏だった。
ここにも他力本願の真意が隠されている。人事を尽くせるよう勇気を。尽くした後には天命が待っている。それが「他力」即ち「弥陀の本願」なのだと。
「諸仏の大悲は苦者においてす。心ひとえに常没の衆生(しゅじょう・生きとし生ける一切の生物)を愍念(びんねん・憐れむ、うれえる)す。これをもって勧めて浄土に帰せしめたまふ。水に溺れたる人のごときは、急にひとえに救うべし。岸上の者を何ぞ済ふ(すくう)ことを用ゐんや」(「観経疏」)
「ここから法然は「善人なほ生まる、いわんや悪人をや」の言葉を生み、親
鸞に反響を与えた。それは心弱きもの、罪を犯した者に対する愛の思想であ
り許しの教えでもある」(饗庭孝男・中世を歩く)
皆さん良いお年を!
念仏とは、心に仏の姿や功徳を観じて口に仏名を唱えること。
辞書によれば(浄土教では)阿弥陀仏の名号を唱えることを言い、それにより極楽浄土に往生できるとある。
念仏というものを世間に広めたのは、源信とも法然ともいわれるが、当時の歴史的背景を見てみよう。
当初仏教が伝来したころは、奈良に遡るが、当時は百済移民の「草堂」(自分の家の謙譲語・くさぶきの家・いおり)仏教=蘇我馬子らが取り入れた)を母体に中国南朝系の仏教が導入され、後に聖徳太子や聖武天皇による北朝系の国家の為の鎮護仏教・東大寺を中枢とした「鎮護国家」の目的で極めて政治的な、現世的な性格のものであったと思われる。
神々と仏のどちらを取るか、いずれにしても廃仏派の物部氏と崇仏派の蘇我氏の間で、血で血を争う宗教戦争が始まり、勝利した蘇我氏とともに戦った聖徳太子は、後に「世間虚仮=世の中は皆かりそめのものである」と言って仏教認識のニヒリズムの一面を見抜いて行く。
いずれにしても、大仏建立というナショナルプロジェクトを機に日本中に東大寺配下の国分寺・国分尼寺を建立・活用して国家を動かす様に巨大化した仏教は、平安になる頃から宗教の本質から離れすぎて行った。
国家や公共もいいが、人間の真理を説く(キリスト教は説教・仏教は説法)必要が無いのか?
そう感じ始めた若き僧侶たちの中に、最澄や天才空海がいた。彼らは山林にこもり新しい仏教を模索した(「雑密」ぞうみつ)、後に最澄・空海はその一派から自立し「純密」を開く。密教の誕生です。最澄の流れは、後の「山川草木悉皆成仏=一木一草一葉のことごとくに浄土あり」に極まる比叡山「天台本覚思想」に発展、空海の方は真言(マントラ)という言語哲学から金剛界曼荼羅(抽象的かつ論理的な真理のみで仏の世界を説く)と胎蔵界曼荼羅(仏の慈悲・普遍愛をもって仏の道を表す)の一対のシステムに示される空前絶後の宗教を完成させます。
しかしながら、このような思想や宇宙観は一般の民衆には判りにくい。
平安も半ばになると聖たちが山林から下りもっと簡明で新しい感覚で仏の世界を案内しようというブームがまき起こります。世は戦乱と天災と飢饉が渦巻き、都には死者と腐臭があふれかえる「平安」とは似ても似つかぬ「不安」時代でした。
釈迦の死後2000年後にこの世の終わりが来るという「末法思想」も大流行しました(中国の法琳がブッダの死を紀元前949年に算定し、当時の1052年は末法の開始年ということになった)。
藤原氏の栄華もなんのその、天皇も貴族も政治そっちのけで何とかして浄土に行きたい。
不思議なことにこの末法思想は日本だけにとどまらず、世界中を駆け回っていたんですね。それこそシンクロニシティでしょうか。ヨーロッパで゙は1033年がキリスト受難から1000年(ミレニアム・1000年王国の予告)に当たりキリストの再来が待望され、世界的な巡礼ブームも起こった。
都市で安定した生活を勝ち取った市民でさえもが、死の危険を冒してまで競って、コンスタンチノープルやスペインの西の果てサンチャゴ・デ・コンポステーラへの旅を熱望した。
時を同じくして日本でも「蟻の熊野詣」と言われる那智の滝や補陀落渡海(ほだらくとかい)を目指す巡礼がブームとなった。
こうして仏教というものが国家の安泰という宗教から、自分の過去から来世までも超えた個人の安寧の為の宗教に変化していくという大混乱の中から「浄土教」が誕生した。
時は鎌倉、源平争乱のさなか、社会状況はますます悪化するばかり、保元の乱・平家滅亡というような予測もつかない大混乱が連続し、そこに飢餓が広がっていった。
「死」の氾濫です。五条の橋の付近には飢えにたえかねて、あさましくも捨てられた子供の生肉を食べているものがいる。阿弥陀堂を自力で作れるものはまだまし、庶民にはそんな財もない。いったいこの世で煩悩悪障を断ち切って悟るなどということはありえないのではないか。
真言の即身成仏、法華の六根清浄のように自己努力によって覚醒できるのはごくごく稀なことで、ほとんどの凡夫にとってはありえないことである。
むしろ煩悩具足の身そのままに未来成仏に往生するべきと考えた法然さんは、1156年24歳になった年、13年を過ごした比叡山を離れ、自ら「凡夫」の自覚を持ち、庶民の中に生きる決意をする。
それは『観無量寿経』に始まり、その中に発見した「定善(じょうぜん)」(「心を静かにし、散乱させず、一つのことに集中して為す善」)と、散善(さんぜん)(「心が散乱しているような状態でも、悪を為さずに善を為すこと、心が集中されていないような状況、つまりは「忙しい日常生活の中で為す善」のこと)に注目し、後者の散善(さんぜん)というやり方も許されるのだ、「定善(じょうぜん)」だけというわけではない、詰りこのことは仏の慈悲ということだと直感したことに始まっている。
そして43歳で「専修念仏」という簡素な教えを説き始める。
そのこころは「悟りの仏教」ではない「救いの仏教」を求めるのだという、当時としては一大転換を目指したものと言える。
これには他宗派も黙ってはいない。「念仏だけで浄土に行けるとは、それでは我々の(比叡山や興福寺や東大寺の)修業や道場は不要ということになる。その為時の権力から追放されたのは皆さんご存知の通りです。
世に名高い「大原問答」では、当時の日本の仏教界の権威が勢ぞろいし、批判もされれば理解もされ・感動もされ、特に法然にお咎めは無かったものの、その後の弟子たちの念仏本位の行きすぎ誤解が招いた結果としてついに土佐に追放される。
前置きが長すぎたようですが、ようやく本題に近づいてきました。
念仏とは何か?実はこの裏には「他力本願」のこと、一人で悟りに至ろうとする傲慢のことの深い意味が隠されている。
仏教は修行する者に10段階の界域を設けている。十界と言い、地獄界・餓鬼界・畜生界・阿修羅界(ここまでを四趣という)・人間界・天上界(2つを人天という、又四趣と人天を合わせて六道(rikudou)といい輪廻・迷いの世界という。ここを突破するには涅槃(ニルバーナ)に至る必要がある。)
ところで「他人」を救うためにウェイティングをしている人を「菩薩」という。
それは仏像のことではなく、人間の生き方のことをさす。
「利他の誓願を起こして、菩提(悟り)を求め、その為に修行をするのが菩薩だ」となっていった。菩薩とは、修行を完了した者があえて先の如来(仏)まで行かずに、他者の救済に乗り出す姿の本来のことをいう。そこに向かうことが菩薩行である
阿弥陀さんも、法蔵菩薩として修行していた。その後48願を発し、成就して(阿弥陀)仏となった。(この「他者」を意識することが、大乗仏教の最大のすぐれたところ且つ小乗と違うところです。)
※十界・・・・・仏教が説く、修行する者に対する10段階のレイヤー(界域)
それぞれの世界での生命的活動が、次に再生する世界を決める
という輪廻思想がはたらく。
※二乗は菩薩になる直前の状態。
※サンガは声聞(しょうもん)と縁覚(えんがく)を指す。彼らはともに
阿羅漢(自覚者)となることを目指した。(小乗仏教)
法然は今に心を置き、集中し、目の前の現世を感謝し楽しむことであの世は約束されるといった。又人の彫った仏像や(当時貴族が行った)あの世に繋がる五色の糸も信仰の為の象徴であるから私には不要であり、私はもとは極楽にいたのだからそこに戻るだけだ、と臨終の場で述べた。
これは傲慢の心ではない。清々しい自信だ。
極楽に行くには念仏を唱えなければならないのではなく、念仏で充分だとまで言っている。
さらには自我を消し去り欲を捨て今を感謝出来れば、「念仏すらも不要」であるとまで言っている。
法然は弟子たちに問うた。「我々が救われるのは、阿弥陀如来のおかげか、自分の行によるおかげか」。(阿弥陀如来のおかげというのは「信不退」、自分の行の力と感じるのは「行不退」)これに対し「信不退」と答えたのは親鸞と数人の弟子のみだった。という。
「他力本願」とは、自分で努力しないで待つという意味でなく、自力の果てで他力を感じられるかどうかということ。又「本願」というのは阿弥陀如来が願じている内容で「仏・菩薩が過去世において立てた衆生救済の誓い」のことである。また阿弥陀さんというのはいわば「他者の代表」である。
私たちは一人で生きられない。たくさんの他人と一緒に生きている。たくさんの「他生の縁」と繋がっている。そういう「他者の代表」が阿弥陀如来である。つまりそういう(他者である)弥陀の本願が、あなたは信じられますか?と問うたのだ。
祈るとは手と手を合わせることでもある。
人は二足歩行を始めることで、空いた前足を利用して様々な技術を、文明を築いてきた。文字も生みだした。手わざである。
生前の三島由紀夫はその小エッセイの中で、芸術とは手わざだと喝破した。その手の名残が見えないものは芸と呼ばないといった意味のことを書いていたと記憶している。
この手が良いこともしたし、悪いこともした。大きな力も持った。
祈るとはこの手わざの回収なのだと思う。否定ではなく、もう一度生まれ変わる為の原点回帰なのだと思う。
手業を回収して何を願うのだろうか?家族の健康?受験合格?・・・・・否である。
「願をかけるとか神様にお参りするのは、自分の欲望を遂げることをお願いするもんじゃありませんよ。反対にそれは自分の欲望(業)から解放されること、打ち勝つことができますようにと、勇気をお願いするものなんですよ。欲望なんてかなえてくれませんよ。」
と教えてくれたのは、平塚に住む私の尊敬する先輩のT氏だった。
ここにも他力本願の真意が隠されている。人事を尽くせるよう勇気を。尽くした後には天命が待っている。それが「他力」即ち「弥陀の本願」なのだと。
「諸仏の大悲は苦者においてす。心ひとえに常没の衆生(しゅじょう・生きとし生ける一切の生物)を愍念(びんねん・憐れむ、うれえる)す。これをもって勧めて浄土に帰せしめたまふ。水に溺れたる人のごときは、急にひとえに救うべし。岸上の者を何ぞ済ふ(すくう)ことを用ゐんや」(「観経疏」)
「ここから法然は「善人なほ生まる、いわんや悪人をや」の言葉を生み、親
鸞に反響を与えた。それは心弱きもの、罪を犯した者に対する愛の思想であ
り許しの教えでもある」(饗庭孝男・中世を歩く)
皆さん良いお年を!