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冬の紳士
定年前に会社を辞めて、仕事を探したり、面影を探したり、中途半端な老人です。 でも今が一番充実しているような気がします。日々の発見を上手に皆さんに提供できたら嬉しいなと考えています。
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2013年06月29日
仕事(1)
「仕事をしてください。そうすれば、人生に苦い悔恨をもたらしても慰めがつきます。なぜなら、真の人生は、人生そのもののなかでも、人生の後でもなく、もっとほかのところにあることになり、もしその起源を空間に負っている言葉が、空間から解放された世界に於いて意味をもつとすれば、まことの人生は、人生の外にあるのですから」(マルセル・プルースト)

もう何年になるだろう、この言葉にであってから。
以来ずっとこの言葉の意味を巡っては忘れ、機を得ては思い起こし、徒に時は過ぎた。

学生時代に、1967年にフランス政府招聘(ショウヘイ)教授としてパリ大学に招かれた饗庭孝男がその思索の果実として、帰国後世に問うた「石と光の思想」-ヨーロッパで考えたこと-に接した時の感動は今でも鮮烈に胸の内にとどまっている。当時ヨーロッパの思想に憧れを持ちながらも、今一つ肌で実感するような、しみじみそう思うという書物に出会えなかった私としては、この出逢いは他の何にもまして新鮮な刺激だった。

ページをめくるごとに眼を開かれる、解説ではなく今立ちあがる思想の萌芽に触れて胸躍り、何度も何度も肯いたものだった。巷に躍動している単なる教養主義のヨーロッパ紹介では無かった。今思えばそれは、ヨーロッパ現代の思想ではなく「中世」のそれに基づくヨーロッパの原点だった。
ユダヤ教・キリスト教という巨大な権力を背景の「唯一神」の宗教に育てられた、嘗て人類至上世界一と言っていい「強固で孤独な自我」とそれが織りなす「最高の美しい物語=聖書」(ゲーテ)を築いたヨーロッパ社会の礎となった中世だった。

誤解を恐れずに言えば、中世はヨーロッパも日本も又私の知らない他の地域も本質は皆変らない。だからこそ思想的にバラバラに別れてしまった現代人の原初の共通の宇宙観が中世には垣間見られて興味を引くのだと思う。

日本は奇妙なことに中世の前に一度、狭い都でだけ「近代」を経験してから再び舞い戻っている。それは当時の世界でも唯一といってよい世界史の隙間に花咲いた奇跡だった。それは「源氏物語」に代表される平安の御代だった。それは残念というべきか哀れというべきか、小さな島国という環境にあって攻めてくる侵略者もなく、内にあっても「神道」という「穢れ」を中心に据えた文化が、争いを・血を流すことを嫌う政治的には平和で、社会(貴族社会)にあってはまことに厄介で権謀術数渦巻く、嫉妬深いそして何より日本の特徴である「色欲」には寛大な性質が為した時代の「徒花」だった。これ以上高見に達することは不可能であろうという人間心理の織り成す文化の粋を誇ったのだ。しかしそれも永くは続かない。武士という対抗勢力が、「仏教」を背景に「所有」という欲を前面に出した「暴力」で、血を恐れない原初的力で、この国の勢力地図を塗り替えた。精神境地の極地でもあった「あわれ」は、戦いの死に方の潔さである「あっぱれ」にすり替わり、より即物的な中世に逆戻りした。歴史は何も、過去から現在に向かって順番に進歩していくなどという幻想は当てはまらない。ましてや現代が進歩した姿だなどとはだれも言えない。機械を使えて行動時間が短縮されるなどということは労働からの解放に繋がるが、それをするのは何の為?と聞きたくなる。それは医学技術を使ってアンチエイジングを試みるのは何の為?と同じ質問となる。「生きる意味」が残り時間が多ければ多いだけ見つかりやすいというのだろうか。或いは人間にとって唯一最後の「変身」の場である「死」に際して、何か違った答えが得られるとでもいうのだろうか。

幸か不幸か日本はいつも、のけものだった。他国(中国や朝鮮国)との文化の交流は(日本側の一方的な採り入れのみで、中国側は影響を受けることは)無く、互いに影響を与えあう「文明」に迄高め合うことなく一過性のものとしてほろんできた。これには中国という国の「中華思想」も影響していると劇作家だった山崎正和さんは言った。確かサンフランシスコ平和条約の調印式で日本の首相が署名をする。当然漢字で。それが彼らにはおかしくてしょうがない。一斉に笑いだす。
彼らに言わせれば「俺たちの発明した文字を未だ使っている。」といって馬鹿にすることで過去の憤懣の一部を吐き出しているわけだ。こんな調子では文化の交流も起こりようがない。日本は独自の道を行く。「あっぱれ」に代表される「ますらおぶり」が、室町の「能」や「わび・さび」、そして日本のバロック古田織部を経て、永い鎖国(江戸時代)でようやく衰えを見せ、代わって本居宣長によって辿りついた「もののあわれ」による「たおやめぶり」が見直されようかという、正にその時、黒船の登場でその想いは吹き飛ばされ、いっぺんに「強さ」の支持される時代に逆戻りした。

「たおやめぶり」の底流としてあったのは、宣長が重視した「もののあはれ」であったようです。自分自身が限りあるものと感じる「哀れ」と他者のかけがえなさに対する「憐み」。呼びかけられて呼応し、「もののあはれ」を感じるところに「やさしさ」が発露すると」これこそ日本が育てた世界に誇る文化なんですがねー。すぐ、「めめしー!」と一喝されて、はいさよなら。

話を中世に戻そう。「現在私達は何処の国に行っても空間と時間は均質的だと考えている。このことを私達は1つの宇宙に生きていると言っても良いだろう。ところが古代から中世に至るまでのヨーロッパの人々は、1つの宇宙に生きているとは考えていなかった。」(日本に於いてはヨーロッパの様な大きな変化は起きなかったため、比較的最近までこの古代・中世的な空間・時間観念が残存していた)「中世ヨーロッパでは人々は2つの宇宙の中で生きてきたのだ。家を中心とし、後には村や都市を単位とする生活空間が小宇宙(ミクロコスモス)として設定され、その外には人間の力の及ばない様々な霊や神々、悪魔などが棲む大宇宙(マクロコスモス)が拡がっていると考えられていた。」大宇宙の仕業は病気・自然災害・飢え(不作)・貧乏・死などだった。こういう恐れに囲まれた人々が何とかして救われたいと考えた時、その恐れを解消する道は大宇宙と何らかの形で手を結ぶしかなかった。当時の人々は死は彼岸への移行に過ぎなかったから、死者に対する贈物がしばしば行われ、墓に財産を副葬する習慣も見られた。当時の人たちには現代人の様に、死が抽象的なものでは無かったから、こうした考えは自然な見方だった。またこうした現世と彼岸とを取り持つ職業(呪術師や祭祀に携わる人々や皮剥、羊飼など)も特殊能力者として存在を認められていた。(彼らはその後宇宙観が変わっていくに従って、被差別民となっていく。)
こうした宇宙観は、11・2世紀からのキリスト教の浸透で大きく変貌していくことになる。(なぜ他の宗教でなくキリストなのかについては古代ユダヤ社会に遡り、当時神の怒りを招いた「ハンセン病などの病人」は砂漠の彼方に追放されるのが一般的だったが、イエスのみ「病人」こそ「社会から見捨てられたあなたたち」こそむしろ救われるのだ と生きる希望を与えた「治癒神」としての側面が寄与したのだと言われています。まるで「善人尚持て往生をとぐ、いわんや悪人をや」を親鸞に教えた法然さんのようですね。)

さてキリスト教は中世の人たちに何をもたらし、何を奪ったのでしょうか。キリスト教は大宇宙と手を結んだ中世の人たちに、大宇宙は人智の及ばぬ悪魔や神々の支配する領域ではなく、唯一絶対神の支配する場となり、人間に未知で恐ろしい空間はもはや存在せず、全ては神の摂理として定められた。嘗て多くの考えを占めていた「迷信」や死後の世界への「贈与」は否定され、莫大な 財産を副葬することを止め、代わりに唯一神への信仰の証として、又来世での救いを約束し教会に喜捨させた。(死者への贈与から神への贈与に代わる事で、莫大な資産が埋もれることなく世間に流通した。貧しき者への富の再分配や教会を中心とした建築やそれらを飾る芸術=絵画・音楽の実現を見た)教会はその財宝を、私腹を肥やすのでなく信者の為に神に捧げている事を証明する為巨大なゴシック建築群を建て、今に残している。(ゴシックとは「ゴート人っぽい」という意味で、野蛮な北方からやってきて東ゴート王国を作ったゴート人ですね。キリスト教だけでなく生き残れる強いものは皆、異なるものを内に採り入れて強くなっていくんですね(雑草の思想)。ちなみに後のルネッサンスはこの異教趣味が爆発したものですね。
既にキリスト教自体が、神の目線で自然界を見るという方法でしたから、そこから自然科学が生まれるの迄は神一重の違いだったんですね。だからこそ逆に初期キリスト教は、人間が(神の眼で)自然界を探求したり思索するのは神の領分に踏み込むこととして、厳しく禁止していました。追放されたアダムとイブですね。)

歴史意識も変わりました。今までは恐れに取り囲まれ、大宇宙にとり囲まれた円環的な繰り返しの時間だったものが、神による人間の救済の歴史 として、「目的を持った最後の審判に向かった直線的なもの」となった。(進化論や進歩思想もここから生まれる。)

全体しかなかった人たちに「個人」が芽生えたのです。
迫害と裏切りと「約束」から生まれたユダヤ・キリスト教は、個人の宗教です。

「地上に平和をもたらす為に私が来たと思うな。平和でなくつるぎを投げ込む為に来たのだ。私が来たのは人をその父と、娘をその母と、嫁をそのしゅうとめと仲たがいさせる為だ。・・・私より父または母を愛するものは私にふさわしくない。・・・また自分の十字架をとって私に従ってこない者は私にふさわしくない](マタイ伝第10章)
おそらく、美しい助け合いや醜いもたれかかり合いや迷信でがんじがらめに全体が1つにくっついていた家族や部落の絆に楔を打ち込まない限り、(当時の)イスラムに対抗する生存競争に勝ち残ることができない事を、知らしめたのでしょう。こうして「世間」を解体した(親子・兄弟・村の団結を)キリスト教は、人々に「罪」の意識を植え付けた。

「楽園の中で自由人であった人間は、アダムとイブが罪を犯して楽園を追放されて後、そのあとに生きるものは「国家」という桎梏を受けなければならなくなった。我欲に目覚めて争いを起こしたり、不完全な存在となった為、あの世で天国に行ける為に国家というものは手助けをするものだ」という形で、解体された共同体を再構築したのです。こうして都市を、国家を必要悪として、受け入れさせた教会は、その罪の意識を持続させる為に1215年ラテラノ公会議で、全ての成人男女に、年に1回は「告白」をすることを義務付けたのです。ここがヨーロッパの原点だとフーコーは言っています。

彼によれば、「個人としての人間は、長いこと他の人間達に基準を求め、また他者との絆を顕示することによって、自己の存在を確認してきた。」言いかえれば、「あなたは何処のご出身ですか」とか「会社はどこですか」「どこの大学をでましたか?」「お父さんは何をされていますか?」などと
聞いたり、自分が説明したりすることで、自分はこういう人ですよということを示す。これはキリスト教以前の人間だという。(何か自分の事を言われているようですね。)


(続く)

2013年06月29日
仕事(2)
(続き)
キリスト教の目的は呪術的な・儀礼的な・迷信に満ちた社会を「合理化」することでした。その中では「個人」も、当然他者との関係を誇示するような自己ではなく、何処にも他者の混じりけのない、闇の様な絶対者=神=絶対的な尺度の前で、唯一人で自身の存在を・或いは行為を測るしか道は亡くなったのです。(この合理性は現代にも綿々と生きていて、人の他者との距離を守り、はっきりと「個人」としての自分を認め、又他者との一線を画してくれるという「相手に対するリスペクト」となる反面、「それ以上近寄るな、一線を越えたら何をされても文句は言えないぞ」の「冷たい寛容」とも呼ばれる厳しい一面をものぞかせるのです。(メトロの中ですれ違いざま、パリ人が連発する「失礼(パルドン)」、或いはチューブの中でロンドンっ子の発する「イクスキューズ・ミー」は、単に肩を触れた事や道を譲る時の礼儀以上の意味が込められている。)

こうしてヨーロッパは、世界の歴史上類を見ない「孤独」で強靭な「自我」を作り上げ、「恋愛」を生みだし、ルネッサンスを経て、キリスト教が予想もしなかった、人自らが「神」に近づく方法を準備した(ニーチェの「神は死んだ」はその予感だった)。「進化論」を生み、「告白」を対象化する「精神分析学」を生み、自然科学を克明にし産業革命を経て世界制覇をもくろむ迄になった。暴走以外の何物でもありませんね。エリザベス女王の「世界は我が為に」とまで言わしめた近代の傲慢の極みに到達したのでした。
そのなれの果てが「みんながヒーローになりたがる」、みんなの民主主義者で、みんなが福祉を受けられ、みんながユーザーで居られる社会、すなわち「大衆社会」が大きくなりすぎ、中世にキリスト教が「これではいけない。個人が埋もれている」として分解を企て合理性を注入した筈の共同体が、今になって、むしろ前より悪い「何も決まらないか、多数決で何事も割り切ってしまう」「個々の顔が無い・何も考えていない大衆」のものになり下がってしまったのです。

「光と闇の、戦いと対立の構図の内に、それぞれが自分の城・拠点を持った「一所懸命」の、自信のある生き方が近代だった。それが消失して、誰もが自信のある生き方を見失い、輪郭のはっきりしない顔の、顔だけ見ただけでは善人か悪人かの区別もできない、不安の時代が始まった。嘗ての拠点型の生き方から、拠点と拠点を結び、国境をも恩讐をも超えるネットワーク型の生き方へと雪崩を打った転換が進行中である。」「封建社会崩壊後の14・5世紀に最盛期を迎えた「サンチアゴ・デ・コンポステラ」への巡礼が、近代の死んだ今、又盛んである」(歴史の風景・木村尚三郎)

これが現在の姿です。アメリカが世界にばらまいた「パクス・アメリカーナ」のなれの果てです。まだまだこれから「発展?途上国」が次から次へと順番を待っています。当分この夢は醒めそうにありません。
一体何処で間違えたのか?
ただ単に中世に逆戻りするなどということは叶わぬ相談ですね。
「人々は屈託して、互いに不信の眼でみあい、人と人を結ぶ絆を探しあぐねている。」もとよりこうなることは承知の宿命だった。悔いは無い筈なのに・・・・。

まだ個人が十分に確立する前の、教会建築の建立に駆り出された職人たちの言葉が、今は遠い羨ましくも懐かしく響く。

「百年もかけてこの大伽藍を1つ1つ築いていった中世の無名の信者たちの累積が私の目に無数の小さな歴史から成り立った巨大なモニュマンとして映る。」「石を切り出すことに、刻むことに、またたった1っ冊の写本をつくることにのみ生涯を捧げたものたちの生がそこに積み上げられていると言ってよい」(シャルトル・石と光の思想より)
「栄光を我らに帰するなかれ、神の御名にのみ帰したまえ。」と石に刻んだ職人たちの「神に向かって自我をたかめることでなく、自我を低めることによって却って自らを生かした「無名の自覚」においてその「作品」の芸術的価値は高まるのだ。(当時芸術という言葉すらなかった)
(私達の国でも万葉集にたくさんありますね。「詠み人知らず」・・・・・。)

「寺へまいるということは、そこまでの時間的な距離が大切である。というのもそれれは「聖なるもの」に近づいていく心の深まる距離でもある。求心状態が造られていく過程なのだ」
クローデルは、ジイドに向かって「山は遠くにある時、人は己と同じ高さにあると思うが、山に近づくに従って、己がいかに低い、小さな存在であるかを知ることができる」と言ったという。自己を低めることは敬虔であり畏れである。その心が逆に美しいものを作る。それが中世の心というものであろう。」(中世を歩く・饗庭孝男)

しかし今は神は無い。神は死んだのではない。我々が眼に見えない遠くへ押しやっただけなのだ。
中世の人々が生きた「小さい宇宙(ミクロコスモス)」を自我の力であまりに大きく広げ、外側のマクロコスモスを見えない遠くに追いやっただけなのだ。見ようとしていないだけなのだ。
「神は人間の合掌したたくさんの手や、天に向かってそそり立つゴシック式教会に恐れをなし反対側から天を出て沈黙したまま、自分を迎えてくれる闇の中に逃れて行った」(リルケ・神さまの話し)のだ。
我々は宇宙の数パーセントしか解明していない。残りの96%にも達する「ダークマター」については何も手が付いていない現状なのだ。まさに己を低めるに足る事象ではないか。それでも人間はあらゆる未知のものをも「自分大」に置き換えてしまい、その本来から眼をそむけているだけなのだ。

せめて心ある小数派が為しうるのは、「逃げて行った神」の「委託」を受けて、人々によって定義されつくした「垢」を今一度洗い直して「物自体(ものには最初から名など無かったのだ)から浮かび上がってくる神々しいものを「建てる」ことではないか。そこには作者は居ない。あえて言えば作者は神。「眼に見えぬ世界をこの世にあらしめようとする意志が詩人に託された仕事であり、詩人を通して一人一人に託されたものであると思う」(志村ふくみ・晩鐘)

この世に生を享け、幾許かのモラトリアムが許されるにせよ、いつかは対峙しなければならない事。生きるとは何か。運命とは何か。仕事とは何か。これらのことを真剣に考える為に対峙しうる対象を、手の届かないところに追いやったのだ。このような孤独で真摯で、辛いが切実な問いは誰に対して問うこともできない。例え親子であろうと。それこそ神の様な絶対的存在に向きあわぬ限りは。
しかしその神が見えなくなったのだ。
「個性」や「自我」の解放に生きた近代への強い反省から小数派の芸術家たち・詩人たちはそのことに気付き始めていました。

いつだったか、フェルメールの「ターバンを巻いた少女」が日本で公開されましたね。フェルメールはレンブラントが17世紀のオランダという大都会で多くのそして大きな名作を残したのに対し、国際都市では無いデルフォルトという町で、庶民の日常の小さな生きざまを描きました。不思議な静けさによる調和に心ひかれます。
襟元の白色とともに黄色と青色が過不足なく調和を保っている。ユベンスはこの三色の占める象徴的意味に注目して、忠実さ(fidelity)の色としての青、寛容(generosity)の色の黄、純潔(purity)としての白からフェルメールの詩的形而上学を求めた。ゴッホもフェルメールの天上的な青と黄色に憧れそれを自分のものにしようともがき(弟テオへの手紙)、晩年の「画面が揺れるような」空の青と麦畑の黄とカラスの黒が鳴り響く慟哭の作品を残したことは誰もが御存じでしょう。
しかしフェルメールは、すべて禁欲的で敬虔で年齢を超えた純粋さと優しさを備えた女性を描く。「画家が対象を描く時、対象への「所有」が生な形で現れればそれはリアリズムということになろう。しかしフェルメールには、本来こうした 「所有」への愛というものを超えるものがはたらいていたのだ。本来自然からの「借り物」である「もの」への執着から離れ、これを断念することで初めて描かれる不思議な自立性。それはフェルメールを愛したプルーストが、「我々の手から反れて行く時間」を、「現実的には苦悩にしか終わらなかった愛」を変容させ、再創造させたことに通じる。

「時間に囚われること、所有の愛に囚われることから、如何に(絶えず現実の中では) 破滅してしまう自己を救済することができるか。」 「芸術家は、現実の裡では、何処かでその時、自分にとってかけがえのないものを断念しなければならないのだ。」(決してそのものを消し去ることでは無い。消すのは自身の思いなのだ。ここを勘違いすると犯罪者になる。「金閣寺」(三島由紀夫)の僧のように。)「自分の中の「何か」をすすんで投げ捨てるもののみが所有の意味と愛のまことの意味を知ることができる」「この風景や女性の占める固有の時間や空間からの離脱こそが、開かれた作品の世界を約束する。」
「美しいもの」「よきもの」には別離を告げねばならぬ。人は憧れの地に住むことはできない。・・・幸福とは悲劇的なものに他ならないのだ。そうしたイロニックな形でしか存在しえぬものなのだ。」(フェルメールの世界・石と光の思想より)
「ターバンを巻いた少女」を北方のジョコンダという人もいるようだが、その比較はあながち的外れなことでもない。自分の城・拠点を持った、自信のある生き方ができた自我の高揚の時代の生んだ作品とはいえ、「ジョコンダ夫人」には、他の肖像と違い、その様な自我と、行きつく先の所有を乗り越えたところに成立しているところがあるから。(2010.4.6「醜いあひるの子」と「ジョコンダ夫人」と「あばよ」参照)
とはいえ「名前の無い少女」にジョコンダはふさわしくない。ジョコンダ夫人には、余りにたくさんの美の解釈が付きすぎた。

「・・・・・・・・見ることには限界がある。よく見られた世界は愛の中で栄えたいと願う。もはや眼の仕事は為された。今度は心の仕事をするがいい。お前の中の物の姿   あの囚われの物の姿によって。なぜならそれらは  お前がとりこにしたものでありながら さておまえはそれを知ってはいないからだ」(リルケ)

「転向」と題されたこの詩は、カスナーの「親密から偉大に至る道は犠牲を通っている」の引用から、始まっている。「嘗て「マルテの手記」で「僕はまず見ることから学んでいくつもりだ」といい、様々な町の裏の裏まで見過ぎるほど見つめてきた。だがそれは見るということに愛が通わなければ全く無意味なのだ。」「個を超えて純粋にものを見ることが祝福に繋がってゆくこと、普遍的なものの見方が生まれ、それが愛であること」に到達する。
「どんな過酷な環境にあっても、削ぎ取られるだけ削ぎ取った女性の中に最後に残るものは、愛するということで、決して愛されるということではない。その愛は他者を目標とするのではなくあくまで自分の内的な世界なのだ。」(志村ふくみ・「晩鐘」)
ここで言う「愛」がない「見る」とは、仏道でいう「慈悲なき知恵は邪知なり」ということでしょう。
(続く)

2013年06月29日
仕事(3)
(続き)
詩人は愛という言葉を使うが、それは「実存(エグジステンス)」とも呼ばれるものだ。
「今迄のように自我=私を絶対化しすぎるのでなく、我々は生と死の両端をもっと見た方がいい。自分の一部分だけが、宇宙的な、地球的な時間に繋がっている事を感じて、私だけが所属しているのではない、「存在」や「時間」と向き合ったほうがいい、と考え」るようになった。「我々はいくら逆立ちしても、自分の全体を知ることはできない。」「世界の外には出られない、そういう世界に置かれている」フッサールやハイデッガーはそう考えた。その様に実存する意識の視点は「自己と他者の間」にこそ交流すると考えた。それは自分を中心に置かないということでした。カフカはの描いた事は「世界との関わり」は説明できないということであって、もはや哲学者や文学者が自己主張する為に書く時代ではなくなった」ということですね。(世界と日本の間違い・松岡正剛)

何と中世に似てきたことか。これは「無名の自覚」では無いのか。しかし現代に神はいない。出て行ったのだ。だからリルケは「悲歌」を歌い、(以前の様な形ではないが)もう一度神を「建て」なければならないと歌った。

ずいぶん廻り道をしました。
さてようやく、プルーストの言葉に辿りつきました。もう一度読み返したい。
これは彼の友人ジョルジュ・ド・ローリスに宛てた手紙の中の一文です。

仕事とは(神からの無言の)「委託」であり(生かされているという感覚)、逃げて行った神をその闇の中から、この地上に再び見出すことだった。そして生の意味とは多くのものを犠牲にしながら、現実の所有を断念し、属性を取り去ることによって一そう豊かに象徴を引き出すことだった。
そしてそのことに気付くことだった。
「生は時間を超えることだ。それは同時に死をも超える。
彼(プルースト)の作品(失われた時を求めて他の作品群)は人間の死すべき条件に反する、実に途方もなくも意味深い仕事の一つであり、死と忘却の偉大に反対しうる創造的な反抗」(アルベール・カミュ)を形成するものだった。

私達日本では「仕事」というものを、この様に何か信仰の様に、見えない「何か」に向かった求道心を持って捉えていませんね。それは「芸術」と呼ばれ、私達の仕事とは一線を画して呼ばれているような気がします。
いつからそうなったんでしょうか。
それは判りませんが、言えることは歴史も環境も全く違う欧米の文化にやられちゃってからでしょうね。(或いは「処世術」である儒教に汚染されてからでしょうか。)
それも今の社会を獲得するまでの精神の歴史を判らずに、唯その結果である姿形に参ってしまって、唯ひたすらその後ろを追いかけはじめた時からでしょう。べったり真似する時もあれば、狂ったように反抗した時もありました。
結局日本人の慇懃は、表面的には受け入れても(クリスマス行事の様に)いざとなると何物をも受け容れないという意志の裏返しの表現でもあったのかもしれない。
でもそれが日本の「守る」方法だったんですね。今回ご紹介した「仕事」は日本では主に芸術家や禅僧などの仏教関係者によって引き継がれてきました。

人間国宝や文化勲章に推挙されても応じることなく、一陶工として独自の仕事をされた河合さんの詩を抜粋させていただきました。

この世は自分を探しに来たところ
この世は自分を見に来たところ
どんな自分が見つかるか自分

何処かに自分がいるのだ----でて歩く
新しい自分が見たいのだ-----仕事する

仕事が見つけた自分
自分を探している仕事
・・・・・・・・・・・・・
この世このまま大調和 (河合寛次郎・火の誓い)

そして我々凡人はというと、このような孤独からも眼をそらせ「仕事」を、唯ひたすら「稼ぎ」のほうに集中させ、嘗て分けられていたもう一つの「仕事」である「勤め」の方はボランティアにお任せの日々となったのでした。

何かを捨て去るとは、逆に何かに疎外されると同じ事です。
つまり、誰も見ていない暗闇の中でも、自分を恐れず対象化する道から疎外されたんですね。
闇と対峙して、何者にも負けない強い自我という武器を持った西欧と、その道から反れた我々。
どちらもその闇を遠くへ追いやろうとしている点では共通しています。

「近代は(人生で言えば)若者たちの時代」(長谷川櫂)でしたね。そうして「生き恥をさらしたくない」とか「老醜」とかいって、いい気になって時代の寵児とか何とかおだてられて得意満面で或いは悲劇の主人公面して世間を驚かせた太宰治やその太宰に執拗な対抗心を燃やした三島、或いは知性の代表と慢心した芥川龍之介。更には自らまいた「孤独」を放りだして逝った川端。彼らは又近代の申し子でした。彼らは決して「文豪」などと呼べる人物ではありませんね。
先に紹介したリルケやプルーストではありませんが、彼らは最後まで老醜をさらそうが、「見る」ことと、人間に対する「愛」を貫きました。如何に(絶えず現実の中では)破滅しようが。「長く生きれば辛酸の数は増す。罠にも似た人生を途中で見切らず最後まで見届ける。何のために?唯この世の果てを見届ける為(自分を中心になんて置いていませんね)。これが滑稽の精神であり、芭蕉は「かろみ」と言った。子規は「平気」と言い換えた。自殺は俳句の対極にある」(長谷川櫂・俳句的生活)

そして「自分を世界の中心におかない人たち・仕事を勘違いしない人たち」の対極にもある。
更に言えば「平凡を非凡に生きる人たち」との対極にもある。


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