2013年06月29日
仕事(2)
(続き)
キリスト教の目的は呪術的な・儀礼的な・迷信に満ちた社会を「合理化」することでした。その中では「個人」も、当然他者との関係を誇示するような自己ではなく、何処にも他者の混じりけのない、闇の様な絶対者=神=絶対的な尺度の前で、唯一人で自身の存在を・或いは行為を測るしか道は亡くなったのです。(この合理性は現代にも綿々と生きていて、人の他者との距離を守り、はっきりと「個人」としての自分を認め、又他者との一線を画してくれるという「相手に対するリスペクト」となる反面、「それ以上近寄るな、一線を越えたら何をされても文句は言えないぞ」の「冷たい寛容」とも呼ばれる厳しい一面をものぞかせるのです。(メトロの中ですれ違いざま、パリ人が連発する「失礼(パルドン)」、或いはチューブの中でロンドンっ子の発する「イクスキューズ・ミー」は、単に肩を触れた事や道を譲る時の礼儀以上の意味が込められている。)
こうしてヨーロッパは、世界の歴史上類を見ない「孤独」で強靭な「自我」を作り上げ、「恋愛」を生みだし、ルネッサンスを経て、キリスト教が予想もしなかった、人自らが「神」に近づく方法を準備した(ニーチェの「神は死んだ」はその予感だった)。「進化論」を生み、「告白」を対象化する「精神分析学」を生み、自然科学を克明にし産業革命を経て世界制覇をもくろむ迄になった。暴走以外の何物でもありませんね。エリザベス女王の「世界は我が為に」とまで言わしめた近代の傲慢の極みに到達したのでした。
そのなれの果てが「みんながヒーローになりたがる」、みんなの民主主義者で、みんなが福祉を受けられ、みんながユーザーで居られる社会、すなわち「大衆社会」が大きくなりすぎ、中世にキリスト教が「これではいけない。個人が埋もれている」として分解を企て合理性を注入した筈の共同体が、今になって、むしろ前より悪い「何も決まらないか、多数決で何事も割り切ってしまう」「個々の顔が無い・何も考えていない大衆」のものになり下がってしまったのです。
「光と闇の、戦いと対立の構図の内に、それぞれが自分の城・拠点を持った「一所懸命」の、自信のある生き方が近代だった。それが消失して、誰もが自信のある生き方を見失い、輪郭のはっきりしない顔の、顔だけ見ただけでは善人か悪人かの区別もできない、不安の時代が始まった。嘗ての拠点型の生き方から、拠点と拠点を結び、国境をも恩讐をも超えるネットワーク型の生き方へと雪崩を打った転換が進行中である。」「封建社会崩壊後の14・5世紀に最盛期を迎えた「サンチアゴ・デ・コンポステラ」への巡礼が、近代の死んだ今、又盛んである」(歴史の風景・木村尚三郎)
これが現在の姿です。アメリカが世界にばらまいた「パクス・アメリカーナ」のなれの果てです。まだまだこれから「発展?途上国」が次から次へと順番を待っています。当分この夢は醒めそうにありません。
一体何処で間違えたのか?
ただ単に中世に逆戻りするなどということは叶わぬ相談ですね。
「人々は屈託して、互いに不信の眼でみあい、人と人を結ぶ絆を探しあぐねている。」もとよりこうなることは承知の宿命だった。悔いは無い筈なのに・・・・。
まだ個人が十分に確立する前の、教会建築の建立に駆り出された職人たちの言葉が、今は遠い羨ましくも懐かしく響く。
「百年もかけてこの大伽藍を1つ1つ築いていった中世の無名の信者たちの累積が私の目に無数の小さな歴史から成り立った巨大なモニュマンとして映る。」「石を切り出すことに、刻むことに、またたった1っ冊の写本をつくることにのみ生涯を捧げたものたちの生がそこに積み上げられていると言ってよい」(シャルトル・石と光の思想より)
「栄光を我らに帰するなかれ、神の御名にのみ帰したまえ。」と石に刻んだ職人たちの「神に向かって自我をたかめることでなく、自我を低めることによって却って自らを生かした「無名の自覚」においてその「作品」の芸術的価値は高まるのだ。(当時芸術という言葉すらなかった)
(私達の国でも万葉集にたくさんありますね。「詠み人知らず」・・・・・。)
「寺へまいるということは、そこまでの時間的な距離が大切である。というのもそれれは「聖なるもの」に近づいていく心の深まる距離でもある。求心状態が造られていく過程なのだ」
クローデルは、ジイドに向かって「山は遠くにある時、人は己と同じ高さにあると思うが、山に近づくに従って、己がいかに低い、小さな存在であるかを知ることができる」と言ったという。自己を低めることは敬虔であり畏れである。その心が逆に美しいものを作る。それが中世の心というものであろう。」(中世を歩く・饗庭孝男)
しかし今は神は無い。神は死んだのではない。我々が眼に見えない遠くへ押しやっただけなのだ。
中世の人々が生きた「小さい宇宙(ミクロコスモス)」を自我の力であまりに大きく広げ、外側のマクロコスモスを見えない遠くに追いやっただけなのだ。見ようとしていないだけなのだ。
「神は人間の合掌したたくさんの手や、天に向かってそそり立つゴシック式教会に恐れをなし反対側から天を出て沈黙したまま、自分を迎えてくれる闇の中に逃れて行った」(リルケ・神さまの話し)のだ。
我々は宇宙の数パーセントしか解明していない。残りの96%にも達する「ダークマター」については何も手が付いていない現状なのだ。まさに己を低めるに足る事象ではないか。それでも人間はあらゆる未知のものをも「自分大」に置き換えてしまい、その本来から眼をそむけているだけなのだ。
せめて心ある小数派が為しうるのは、「逃げて行った神」の「委託」を受けて、人々によって定義されつくした「垢」を今一度洗い直して「物自体(ものには最初から名など無かったのだ)から浮かび上がってくる神々しいものを「建てる」ことではないか。そこには作者は居ない。あえて言えば作者は神。「眼に見えぬ世界をこの世にあらしめようとする意志が詩人に託された仕事であり、詩人を通して一人一人に託されたものであると思う」(志村ふくみ・晩鐘)
この世に生を享け、幾許かのモラトリアムが許されるにせよ、いつかは対峙しなければならない事。生きるとは何か。運命とは何か。仕事とは何か。これらのことを真剣に考える為に対峙しうる対象を、手の届かないところに追いやったのだ。このような孤独で真摯で、辛いが切実な問いは誰に対して問うこともできない。例え親子であろうと。それこそ神の様な絶対的存在に向きあわぬ限りは。
しかしその神が見えなくなったのだ。
「個性」や「自我」の解放に生きた近代への強い反省から小数派の芸術家たち・詩人たちはそのことに気付き始めていました。
いつだったか、フェルメールの「ターバンを巻いた少女」が日本で公開されましたね。フェルメールはレンブラントが17世紀のオランダという大都会で多くのそして大きな名作を残したのに対し、国際都市では無いデルフォルトという町で、庶民の日常の小さな生きざまを描きました。不思議な静けさによる調和に心ひかれます。
襟元の白色とともに黄色と青色が過不足なく調和を保っている。ユベンスはこの三色の占める象徴的意味に注目して、忠実さ(fidelity)の色としての青、寛容(generosity)の色の黄、純潔(purity)としての白からフェルメールの詩的形而上学を求めた。ゴッホもフェルメールの天上的な青と黄色に憧れそれを自分のものにしようともがき(弟テオへの手紙)、晩年の「画面が揺れるような」空の青と麦畑の黄とカラスの黒が鳴り響く慟哭の作品を残したことは誰もが御存じでしょう。
しかしフェルメールは、すべて禁欲的で敬虔で年齢を超えた純粋さと優しさを備えた女性を描く。「画家が対象を描く時、対象への「所有」が生な形で現れればそれはリアリズムということになろう。しかしフェルメールには、本来こうした 「所有」への愛というものを超えるものがはたらいていたのだ。本来自然からの「借り物」である「もの」への執着から離れ、これを断念することで初めて描かれる不思議な自立性。それはフェルメールを愛したプルーストが、「我々の手から反れて行く時間」を、「現実的には苦悩にしか終わらなかった愛」を変容させ、再創造させたことに通じる。
「時間に囚われること、所有の愛に囚われることから、如何に(絶えず現実の中では) 破滅してしまう自己を救済することができるか。」 「芸術家は、現実の裡では、何処かでその時、自分にとってかけがえのないものを断念しなければならないのだ。」(決してそのものを消し去ることでは無い。消すのは自身の思いなのだ。ここを勘違いすると犯罪者になる。「金閣寺」(三島由紀夫)の僧のように。)「自分の中の「何か」をすすんで投げ捨てるもののみが所有の意味と愛のまことの意味を知ることができる」「この風景や女性の占める固有の時間や空間からの離脱こそが、開かれた作品の世界を約束する。」
「美しいもの」「よきもの」には別離を告げねばならぬ。人は憧れの地に住むことはできない。・・・幸福とは悲劇的なものに他ならないのだ。そうしたイロニックな形でしか存在しえぬものなのだ。」(フェルメールの世界・石と光の思想より)
「ターバンを巻いた少女」を北方のジョコンダという人もいるようだが、その比較はあながち的外れなことでもない。自分の城・拠点を持った、自信のある生き方ができた自我の高揚の時代の生んだ作品とはいえ、「ジョコンダ夫人」には、他の肖像と違い、その様な自我と、行きつく先の所有を乗り越えたところに成立しているところがあるから。(2010.4.6「醜いあひるの子」と「ジョコンダ夫人」と「あばよ」参照)
とはいえ「名前の無い少女」にジョコンダはふさわしくない。ジョコンダ夫人には、余りにたくさんの美の解釈が付きすぎた。
「・・・・・・・・見ることには限界がある。よく見られた世界は愛の中で栄えたいと願う。もはや眼の仕事は為された。今度は心の仕事をするがいい。お前の中の物の姿 あの囚われの物の姿によって。なぜならそれらは お前がとりこにしたものでありながら さておまえはそれを知ってはいないからだ」(リルケ)
「転向」と題されたこの詩は、カスナーの「親密から偉大に至る道は犠牲を通っている」の引用から、始まっている。「嘗て「マルテの手記」で「僕はまず見ることから学んでいくつもりだ」といい、様々な町の裏の裏まで見過ぎるほど見つめてきた。だがそれは見るということに愛が通わなければ全く無意味なのだ。」「個を超えて純粋にものを見ることが祝福に繋がってゆくこと、普遍的なものの見方が生まれ、それが愛であること」に到達する。
「どんな過酷な環境にあっても、削ぎ取られるだけ削ぎ取った女性の中に最後に残るものは、愛するということで、決して愛されるということではない。その愛は他者を目標とするのではなくあくまで自分の内的な世界なのだ。」(志村ふくみ・「晩鐘」)
ここで言う「愛」がない「見る」とは、仏道でいう「慈悲なき知恵は邪知なり」ということでしょう。
(続く)
キリスト教の目的は呪術的な・儀礼的な・迷信に満ちた社会を「合理化」することでした。その中では「個人」も、当然他者との関係を誇示するような自己ではなく、何処にも他者の混じりけのない、闇の様な絶対者=神=絶対的な尺度の前で、唯一人で自身の存在を・或いは行為を測るしか道は亡くなったのです。(この合理性は現代にも綿々と生きていて、人の他者との距離を守り、はっきりと「個人」としての自分を認め、又他者との一線を画してくれるという「相手に対するリスペクト」となる反面、「それ以上近寄るな、一線を越えたら何をされても文句は言えないぞ」の「冷たい寛容」とも呼ばれる厳しい一面をものぞかせるのです。(メトロの中ですれ違いざま、パリ人が連発する「失礼(パルドン)」、或いはチューブの中でロンドンっ子の発する「イクスキューズ・ミー」は、単に肩を触れた事や道を譲る時の礼儀以上の意味が込められている。)
こうしてヨーロッパは、世界の歴史上類を見ない「孤独」で強靭な「自我」を作り上げ、「恋愛」を生みだし、ルネッサンスを経て、キリスト教が予想もしなかった、人自らが「神」に近づく方法を準備した(ニーチェの「神は死んだ」はその予感だった)。「進化論」を生み、「告白」を対象化する「精神分析学」を生み、自然科学を克明にし産業革命を経て世界制覇をもくろむ迄になった。暴走以外の何物でもありませんね。エリザベス女王の「世界は我が為に」とまで言わしめた近代の傲慢の極みに到達したのでした。
そのなれの果てが「みんながヒーローになりたがる」、みんなの民主主義者で、みんなが福祉を受けられ、みんながユーザーで居られる社会、すなわち「大衆社会」が大きくなりすぎ、中世にキリスト教が「これではいけない。個人が埋もれている」として分解を企て合理性を注入した筈の共同体が、今になって、むしろ前より悪い「何も決まらないか、多数決で何事も割り切ってしまう」「個々の顔が無い・何も考えていない大衆」のものになり下がってしまったのです。
「光と闇の、戦いと対立の構図の内に、それぞれが自分の城・拠点を持った「一所懸命」の、自信のある生き方が近代だった。それが消失して、誰もが自信のある生き方を見失い、輪郭のはっきりしない顔の、顔だけ見ただけでは善人か悪人かの区別もできない、不安の時代が始まった。嘗ての拠点型の生き方から、拠点と拠点を結び、国境をも恩讐をも超えるネットワーク型の生き方へと雪崩を打った転換が進行中である。」「封建社会崩壊後の14・5世紀に最盛期を迎えた「サンチアゴ・デ・コンポステラ」への巡礼が、近代の死んだ今、又盛んである」(歴史の風景・木村尚三郎)
これが現在の姿です。アメリカが世界にばらまいた「パクス・アメリカーナ」のなれの果てです。まだまだこれから「発展?途上国」が次から次へと順番を待っています。当分この夢は醒めそうにありません。
一体何処で間違えたのか?
ただ単に中世に逆戻りするなどということは叶わぬ相談ですね。
「人々は屈託して、互いに不信の眼でみあい、人と人を結ぶ絆を探しあぐねている。」もとよりこうなることは承知の宿命だった。悔いは無い筈なのに・・・・。
まだ個人が十分に確立する前の、教会建築の建立に駆り出された職人たちの言葉が、今は遠い羨ましくも懐かしく響く。
「百年もかけてこの大伽藍を1つ1つ築いていった中世の無名の信者たちの累積が私の目に無数の小さな歴史から成り立った巨大なモニュマンとして映る。」「石を切り出すことに、刻むことに、またたった1っ冊の写本をつくることにのみ生涯を捧げたものたちの生がそこに積み上げられていると言ってよい」(シャルトル・石と光の思想より)
「栄光を我らに帰するなかれ、神の御名にのみ帰したまえ。」と石に刻んだ職人たちの「神に向かって自我をたかめることでなく、自我を低めることによって却って自らを生かした「無名の自覚」においてその「作品」の芸術的価値は高まるのだ。(当時芸術という言葉すらなかった)
(私達の国でも万葉集にたくさんありますね。「詠み人知らず」・・・・・。)
「寺へまいるということは、そこまでの時間的な距離が大切である。というのもそれれは「聖なるもの」に近づいていく心の深まる距離でもある。求心状態が造られていく過程なのだ」
クローデルは、ジイドに向かって「山は遠くにある時、人は己と同じ高さにあると思うが、山に近づくに従って、己がいかに低い、小さな存在であるかを知ることができる」と言ったという。自己を低めることは敬虔であり畏れである。その心が逆に美しいものを作る。それが中世の心というものであろう。」(中世を歩く・饗庭孝男)
しかし今は神は無い。神は死んだのではない。我々が眼に見えない遠くへ押しやっただけなのだ。
中世の人々が生きた「小さい宇宙(ミクロコスモス)」を自我の力であまりに大きく広げ、外側のマクロコスモスを見えない遠くに追いやっただけなのだ。見ようとしていないだけなのだ。
「神は人間の合掌したたくさんの手や、天に向かってそそり立つゴシック式教会に恐れをなし反対側から天を出て沈黙したまま、自分を迎えてくれる闇の中に逃れて行った」(リルケ・神さまの話し)のだ。
我々は宇宙の数パーセントしか解明していない。残りの96%にも達する「ダークマター」については何も手が付いていない現状なのだ。まさに己を低めるに足る事象ではないか。それでも人間はあらゆる未知のものをも「自分大」に置き換えてしまい、その本来から眼をそむけているだけなのだ。
せめて心ある小数派が為しうるのは、「逃げて行った神」の「委託」を受けて、人々によって定義されつくした「垢」を今一度洗い直して「物自体(ものには最初から名など無かったのだ)から浮かび上がってくる神々しいものを「建てる」ことではないか。そこには作者は居ない。あえて言えば作者は神。「眼に見えぬ世界をこの世にあらしめようとする意志が詩人に託された仕事であり、詩人を通して一人一人に託されたものであると思う」(志村ふくみ・晩鐘)
この世に生を享け、幾許かのモラトリアムが許されるにせよ、いつかは対峙しなければならない事。生きるとは何か。運命とは何か。仕事とは何か。これらのことを真剣に考える為に対峙しうる対象を、手の届かないところに追いやったのだ。このような孤独で真摯で、辛いが切実な問いは誰に対して問うこともできない。例え親子であろうと。それこそ神の様な絶対的存在に向きあわぬ限りは。
しかしその神が見えなくなったのだ。
「個性」や「自我」の解放に生きた近代への強い反省から小数派の芸術家たち・詩人たちはそのことに気付き始めていました。
いつだったか、フェルメールの「ターバンを巻いた少女」が日本で公開されましたね。フェルメールはレンブラントが17世紀のオランダという大都会で多くのそして大きな名作を残したのに対し、国際都市では無いデルフォルトという町で、庶民の日常の小さな生きざまを描きました。不思議な静けさによる調和に心ひかれます。
襟元の白色とともに黄色と青色が過不足なく調和を保っている。ユベンスはこの三色の占める象徴的意味に注目して、忠実さ(fidelity)の色としての青、寛容(generosity)の色の黄、純潔(purity)としての白からフェルメールの詩的形而上学を求めた。ゴッホもフェルメールの天上的な青と黄色に憧れそれを自分のものにしようともがき(弟テオへの手紙)、晩年の「画面が揺れるような」空の青と麦畑の黄とカラスの黒が鳴り響く慟哭の作品を残したことは誰もが御存じでしょう。
しかしフェルメールは、すべて禁欲的で敬虔で年齢を超えた純粋さと優しさを備えた女性を描く。「画家が対象を描く時、対象への「所有」が生な形で現れればそれはリアリズムということになろう。しかしフェルメールには、本来こうした 「所有」への愛というものを超えるものがはたらいていたのだ。本来自然からの「借り物」である「もの」への執着から離れ、これを断念することで初めて描かれる不思議な自立性。それはフェルメールを愛したプルーストが、「我々の手から反れて行く時間」を、「現実的には苦悩にしか終わらなかった愛」を変容させ、再創造させたことに通じる。
「時間に囚われること、所有の愛に囚われることから、如何に(絶えず現実の中では) 破滅してしまう自己を救済することができるか。」 「芸術家は、現実の裡では、何処かでその時、自分にとってかけがえのないものを断念しなければならないのだ。」(決してそのものを消し去ることでは無い。消すのは自身の思いなのだ。ここを勘違いすると犯罪者になる。「金閣寺」(三島由紀夫)の僧のように。)「自分の中の「何か」をすすんで投げ捨てるもののみが所有の意味と愛のまことの意味を知ることができる」「この風景や女性の占める固有の時間や空間からの離脱こそが、開かれた作品の世界を約束する。」
「美しいもの」「よきもの」には別離を告げねばならぬ。人は憧れの地に住むことはできない。・・・幸福とは悲劇的なものに他ならないのだ。そうしたイロニックな形でしか存在しえぬものなのだ。」(フェルメールの世界・石と光の思想より)
「ターバンを巻いた少女」を北方のジョコンダという人もいるようだが、その比較はあながち的外れなことでもない。自分の城・拠点を持った、自信のある生き方ができた自我の高揚の時代の生んだ作品とはいえ、「ジョコンダ夫人」には、他の肖像と違い、その様な自我と、行きつく先の所有を乗り越えたところに成立しているところがあるから。(2010.4.6「醜いあひるの子」と「ジョコンダ夫人」と「あばよ」参照)
とはいえ「名前の無い少女」にジョコンダはふさわしくない。ジョコンダ夫人には、余りにたくさんの美の解釈が付きすぎた。
「・・・・・・・・見ることには限界がある。よく見られた世界は愛の中で栄えたいと願う。もはや眼の仕事は為された。今度は心の仕事をするがいい。お前の中の物の姿 あの囚われの物の姿によって。なぜならそれらは お前がとりこにしたものでありながら さておまえはそれを知ってはいないからだ」(リルケ)
「転向」と題されたこの詩は、カスナーの「親密から偉大に至る道は犠牲を通っている」の引用から、始まっている。「嘗て「マルテの手記」で「僕はまず見ることから学んでいくつもりだ」といい、様々な町の裏の裏まで見過ぎるほど見つめてきた。だがそれは見るということに愛が通わなければ全く無意味なのだ。」「個を超えて純粋にものを見ることが祝福に繋がってゆくこと、普遍的なものの見方が生まれ、それが愛であること」に到達する。
「どんな過酷な環境にあっても、削ぎ取られるだけ削ぎ取った女性の中に最後に残るものは、愛するということで、決して愛されるということではない。その愛は他者を目標とするのではなくあくまで自分の内的な世界なのだ。」(志村ふくみ・「晩鐘」)
ここで言う「愛」がない「見る」とは、仏道でいう「慈悲なき知恵は邪知なり」ということでしょう。
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