2013年06月29日
仕事(3)
(続き)
詩人は愛という言葉を使うが、それは「実存(エグジステンス)」とも呼ばれるものだ。
「今迄のように自我=私を絶対化しすぎるのでなく、我々は生と死の両端をもっと見た方がいい。自分の一部分だけが、宇宙的な、地球的な時間に繋がっている事を感じて、私だけが所属しているのではない、「存在」や「時間」と向き合ったほうがいい、と考え」るようになった。「我々はいくら逆立ちしても、自分の全体を知ることはできない。」「世界の外には出られない、そういう世界に置かれている」フッサールやハイデッガーはそう考えた。その様に実存する意識の視点は「自己と他者の間」にこそ交流すると考えた。それは自分を中心に置かないということでした。カフカはの描いた事は「世界との関わり」は説明できないということであって、もはや哲学者や文学者が自己主張する為に書く時代ではなくなった」ということですね。(世界と日本の間違い・松岡正剛)
何と中世に似てきたことか。これは「無名の自覚」では無いのか。しかし現代に神はいない。出て行ったのだ。だからリルケは「悲歌」を歌い、(以前の様な形ではないが)もう一度神を「建て」なければならないと歌った。
ずいぶん廻り道をしました。
さてようやく、プルーストの言葉に辿りつきました。もう一度読み返したい。
これは彼の友人ジョルジュ・ド・ローリスに宛てた手紙の中の一文です。
仕事とは(神からの無言の)「委託」であり(生かされているという感覚)、逃げて行った神をその闇の中から、この地上に再び見出すことだった。そして生の意味とは多くのものを犠牲にしながら、現実の所有を断念し、属性を取り去ることによって一そう豊かに象徴を引き出すことだった。
そしてそのことに気付くことだった。
「生は時間を超えることだ。それは同時に死をも超える。
彼(プルースト)の作品(失われた時を求めて他の作品群)は人間の死すべき条件に反する、実に途方もなくも意味深い仕事の一つであり、死と忘却の偉大に反対しうる創造的な反抗」(アルベール・カミュ)を形成するものだった。
私達日本では「仕事」というものを、この様に何か信仰の様に、見えない「何か」に向かった求道心を持って捉えていませんね。それは「芸術」と呼ばれ、私達の仕事とは一線を画して呼ばれているような気がします。
いつからそうなったんでしょうか。
それは判りませんが、言えることは歴史も環境も全く違う欧米の文化にやられちゃってからでしょうね。(或いは「処世術」である儒教に汚染されてからでしょうか。)
それも今の社会を獲得するまでの精神の歴史を判らずに、唯その結果である姿形に参ってしまって、唯ひたすらその後ろを追いかけはじめた時からでしょう。べったり真似する時もあれば、狂ったように反抗した時もありました。
結局日本人の慇懃は、表面的には受け入れても(クリスマス行事の様に)いざとなると何物をも受け容れないという意志の裏返しの表現でもあったのかもしれない。
でもそれが日本の「守る」方法だったんですね。今回ご紹介した「仕事」は日本では主に芸術家や禅僧などの仏教関係者によって引き継がれてきました。
人間国宝や文化勲章に推挙されても応じることなく、一陶工として独自の仕事をされた河合さんの詩を抜粋させていただきました。
この世は自分を探しに来たところ
この世は自分を見に来たところ
どんな自分が見つかるか自分
何処かに自分がいるのだ----でて歩く
新しい自分が見たいのだ-----仕事する
仕事が見つけた自分
自分を探している仕事
・・・・・・・・・・・・・
この世このまま大調和 (河合寛次郎・火の誓い)
そして我々凡人はというと、このような孤独からも眼をそらせ「仕事」を、唯ひたすら「稼ぎ」のほうに集中させ、嘗て分けられていたもう一つの「仕事」である「勤め」の方はボランティアにお任せの日々となったのでした。
何かを捨て去るとは、逆に何かに疎外されると同じ事です。
つまり、誰も見ていない暗闇の中でも、自分を恐れず対象化する道から疎外されたんですね。
闇と対峙して、何者にも負けない強い自我という武器を持った西欧と、その道から反れた我々。
どちらもその闇を遠くへ追いやろうとしている点では共通しています。
「近代は(人生で言えば)若者たちの時代」(長谷川櫂)でしたね。そうして「生き恥をさらしたくない」とか「老醜」とかいって、いい気になって時代の寵児とか何とかおだてられて得意満面で或いは悲劇の主人公面して世間を驚かせた太宰治やその太宰に執拗な対抗心を燃やした三島、或いは知性の代表と慢心した芥川龍之介。更には自らまいた「孤独」を放りだして逝った川端。彼らは又近代の申し子でした。彼らは決して「文豪」などと呼べる人物ではありませんね。
先に紹介したリルケやプルーストではありませんが、彼らは最後まで老醜をさらそうが、「見る」ことと、人間に対する「愛」を貫きました。如何に(絶えず現実の中では)破滅しようが。「長く生きれば辛酸の数は増す。罠にも似た人生を途中で見切らず最後まで見届ける。何のために?唯この世の果てを見届ける為(自分を中心になんて置いていませんね)。これが滑稽の精神であり、芭蕉は「かろみ」と言った。子規は「平気」と言い換えた。自殺は俳句の対極にある」(長谷川櫂・俳句的生活)
そして「自分を世界の中心におかない人たち・仕事を勘違いしない人たち」の対極にもある。
更に言えば「平凡を非凡に生きる人たち」との対極にもある。
詩人は愛という言葉を使うが、それは「実存(エグジステンス)」とも呼ばれるものだ。
「今迄のように自我=私を絶対化しすぎるのでなく、我々は生と死の両端をもっと見た方がいい。自分の一部分だけが、宇宙的な、地球的な時間に繋がっている事を感じて、私だけが所属しているのではない、「存在」や「時間」と向き合ったほうがいい、と考え」るようになった。「我々はいくら逆立ちしても、自分の全体を知ることはできない。」「世界の外には出られない、そういう世界に置かれている」フッサールやハイデッガーはそう考えた。その様に実存する意識の視点は「自己と他者の間」にこそ交流すると考えた。それは自分を中心に置かないということでした。カフカはの描いた事は「世界との関わり」は説明できないということであって、もはや哲学者や文学者が自己主張する為に書く時代ではなくなった」ということですね。(世界と日本の間違い・松岡正剛)
何と中世に似てきたことか。これは「無名の自覚」では無いのか。しかし現代に神はいない。出て行ったのだ。だからリルケは「悲歌」を歌い、(以前の様な形ではないが)もう一度神を「建て」なければならないと歌った。
ずいぶん廻り道をしました。
さてようやく、プルーストの言葉に辿りつきました。もう一度読み返したい。
これは彼の友人ジョルジュ・ド・ローリスに宛てた手紙の中の一文です。
仕事とは(神からの無言の)「委託」であり(生かされているという感覚)、逃げて行った神をその闇の中から、この地上に再び見出すことだった。そして生の意味とは多くのものを犠牲にしながら、現実の所有を断念し、属性を取り去ることによって一そう豊かに象徴を引き出すことだった。
そしてそのことに気付くことだった。
「生は時間を超えることだ。それは同時に死をも超える。
彼(プルースト)の作品(失われた時を求めて他の作品群)は人間の死すべき条件に反する、実に途方もなくも意味深い仕事の一つであり、死と忘却の偉大に反対しうる創造的な反抗」(アルベール・カミュ)を形成するものだった。
私達日本では「仕事」というものを、この様に何か信仰の様に、見えない「何か」に向かった求道心を持って捉えていませんね。それは「芸術」と呼ばれ、私達の仕事とは一線を画して呼ばれているような気がします。
いつからそうなったんでしょうか。
それは判りませんが、言えることは歴史も環境も全く違う欧米の文化にやられちゃってからでしょうね。(或いは「処世術」である儒教に汚染されてからでしょうか。)
それも今の社会を獲得するまでの精神の歴史を判らずに、唯その結果である姿形に参ってしまって、唯ひたすらその後ろを追いかけはじめた時からでしょう。べったり真似する時もあれば、狂ったように反抗した時もありました。
結局日本人の慇懃は、表面的には受け入れても(クリスマス行事の様に)いざとなると何物をも受け容れないという意志の裏返しの表現でもあったのかもしれない。
でもそれが日本の「守る」方法だったんですね。今回ご紹介した「仕事」は日本では主に芸術家や禅僧などの仏教関係者によって引き継がれてきました。
人間国宝や文化勲章に推挙されても応じることなく、一陶工として独自の仕事をされた河合さんの詩を抜粋させていただきました。
この世は自分を探しに来たところ
この世は自分を見に来たところ
どんな自分が見つかるか自分
何処かに自分がいるのだ----でて歩く
新しい自分が見たいのだ-----仕事する
仕事が見つけた自分
自分を探している仕事
・・・・・・・・・・・・・
この世このまま大調和 (河合寛次郎・火の誓い)
そして我々凡人はというと、このような孤独からも眼をそらせ「仕事」を、唯ひたすら「稼ぎ」のほうに集中させ、嘗て分けられていたもう一つの「仕事」である「勤め」の方はボランティアにお任せの日々となったのでした。
何かを捨て去るとは、逆に何かに疎外されると同じ事です。
つまり、誰も見ていない暗闇の中でも、自分を恐れず対象化する道から疎外されたんですね。
闇と対峙して、何者にも負けない強い自我という武器を持った西欧と、その道から反れた我々。
どちらもその闇を遠くへ追いやろうとしている点では共通しています。
「近代は(人生で言えば)若者たちの時代」(長谷川櫂)でしたね。そうして「生き恥をさらしたくない」とか「老醜」とかいって、いい気になって時代の寵児とか何とかおだてられて得意満面で或いは悲劇の主人公面して世間を驚かせた太宰治やその太宰に執拗な対抗心を燃やした三島、或いは知性の代表と慢心した芥川龍之介。更には自らまいた「孤独」を放りだして逝った川端。彼らは又近代の申し子でした。彼らは決して「文豪」などと呼べる人物ではありませんね。
先に紹介したリルケやプルーストではありませんが、彼らは最後まで老醜をさらそうが、「見る」ことと、人間に対する「愛」を貫きました。如何に(絶えず現実の中では)破滅しようが。「長く生きれば辛酸の数は増す。罠にも似た人生を途中で見切らず最後まで見届ける。何のために?唯この世の果てを見届ける為(自分を中心になんて置いていませんね)。これが滑稽の精神であり、芭蕉は「かろみ」と言った。子規は「平気」と言い換えた。自殺は俳句の対極にある」(長谷川櫂・俳句的生活)
そして「自分を世界の中心におかない人たち・仕事を勘違いしない人たち」の対極にもある。
更に言えば「平凡を非凡に生きる人たち」との対極にもある。
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