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冬の紳士
定年前に会社を辞めて、仕事を探したり、面影を探したり、中途半端な老人です。 でも今が一番充実しているような気がします。日々の発見を上手に皆さんに提供できたら嬉しいなと考えています。
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2012年03月18日
お彼岸
3月20日は春分の日つまりお彼岸です。
私も毎年義務的にというよりむしろ、世間の眼を意識して、墓参りと墓参りに来られる方々の露払いをしてきたものだった。
先祖の、父母の墓に面して何をつぶやくのだろうか。
残された、或いは繋がれた家族の家内安全と商売繁盛を願ってきたものだった。
しかしここ数年、何か違うのではと感じるようになった。一体先祖に何かしてもらえるものだろうか?
そんな厚かましいことを願いに行くのが墓参りなのだろうか・・・・と。

我々が先祖を思うのは、我々が今あるのは先祖の存在あってこそということを知っているからだろう。そしてそのことに素直に感謝できるから参るのだろう。それは先祖の霊に対して、お願をするのでなく「弔う」ことでありそれはそのまま「訪う」ことでもあるのだと思った。

死者の霊を「訪れ」「問う」ことでもあるのです。自らの存在することの依り処である過去の人を訪ねることでもあります。

よくおじいちゃんやおばーちゃんが、お墓の前で故人と話をするということを聞きますが、それは誠に誠に真実なのです。

「人は二度死ぬ」と言います。一度目は肉体的に死ぬこと、その次はその人を「とむらい」「いたむ」人がいなくなった時その魂・花は消えていくことになると言います。

皆さんご存じのように「能」とはこのように亡くなった方の「いたみ」や「とむらい」を主題として展開していくドラマです。
そのほとんどが、生前どうにもならない悲しみや苦しみを抱いたまま死んでいった亡霊がシテとして、またそうしたシテのところにワキの僧が「訪ねて」シテの残された想いが聞き届けられて再現され浄化されていく展開となっています。

我々も亡くなった方の通夜やその後の法事などで「あの人はこれこれこうだった」などと思いだして話題にしてやることが供養だと言われます。

最初はその様に弔っても、時間の経過とともに、気持ちは薄れ我々の認識から消えていくものです。
私はもうそれっきりで何年も法事も墓参りもしていませんという方もおられます。でも私は言いたい。たとえ何十年忘れていようとも、思いだせば、弔えばたちまち故人は花咲くものです。何も罪悪感を持つ必要はさらさらないのです。何十億年の悠久の時の刻みに比べれば、30年なんて一瞬です。
だからこそ愛する人に先立たれようと、その先だった人は後からくる愛する人と逢えるんです。30年あとなんて一瞬なんですね。(12月22日「細部に神は宿る」参照)

こうして何回忌などという決まりにこだわることなく、あちらが必要な時に思い出し思いだした時に「訪ねる」。それでも全く忘れてしまわないように カレンダーの印しや、お墓や、仏壇など、アイコンとしての道具が揃っています。

私は今日、そのアイコンの一つである先祖の墓に参り心をクリックして、覚えている一人一人を思い出し、話してきました。相談もしてきました。あなただったらどうしていただろうか、落ち着いて考えてみました。過去の過ちを謝っても来ましたし、笑顔を思い出して暖かい気持ちにもなってきました。大変清々しい思いでした。

遠くてお墓に行けない人は、頭の中で、思いだして訪ねてやるだけでもいいんです。 浄土の模型である仏壇があればそれでも良し。その前に座って明りをつけ、香をたき、目をつぶれば、たちまち、パソコンのアイコンをクリックしたと同じ様に、新しい世界が開きますよ。
泣きたいなら思い切り泣けばいい。(女々しいなんていうのは、何か人を働く機械のようにしか思っていない人の言う言葉です。)

如何に人の心は繋がっているか(縁)、守られているかが感じられて、新しいパワーが貰えますよ。

2012年03月05日
エポケーという方法
エポケー=保留、判断中止と書かれている。

正宗白鳥という大正から昭和にかけて活躍した、自然主義の作家がいた。
彼はその膨大な著作の全体を通して「死」と対話した。自然主義と言えば、そんなものは文学ではないとか否定されたものだった。わたしもそう思っていた。しかしその彼がそんな何とか主義などというお決まりの名でくくられるほど、小さな人間ではないということがわかった。

正宗の晩年の著書の中にこんな文章がある。
「どの方面においても真実に徹して知りつくすことは人間の幸福であろうか?今日この爽やかな秋びよりに浸りながら快く生きているのも、明日を知らない為であるとも言われよう。「明日のことを思い患うなかれ。一日の苦労は一日にて足れり」という聖書の言葉も消極的な処世態度であるが、この言葉も意味深長である。(秋風記)

彼がなぜこのような境地に至ったか、或いは境地でとどまったか。
そのきっかけは、彼と同様に、生涯を賭けて2つのJ(イエスとJAPAN)に引き裂かれながら日本の将来を守ろうと頑張った内村鑑三が重病に伏した時のエピソードだったという。

大先生は人生のことは全てご存じだから、我々如き凡人が、妙な慰めなど言うのは無礼であると誰一人慰めてくれるものがいなかったところ、何も知らないある老姉妹が訪問して慰めてくれた。それが本当にうれしかった、と日記に書きつけてあったのを知ってからだった。

世界の「内村にして、古稀の年までこういう平凡な真理に気付かなかったのであるか?」
と書かれているが、気付かなかったのは正宗の方で、内村にはそんなことはとっくに判っていた筈であり真実などという物は、そういう類のもので、人から離れて意味をもつものではない。

そこから先にまで「真実、真実」と行きたがるのは、思想の為の思想で、「所詮さかしら事、傲慢なこと」に過ぎない。その先は全くフェーズ(「相」)が違う世界なのだ。

私は別にクリスチャンではないが、この「明日のことを思い患うなかれ。一日の苦労は一日にて足れり」という聖書の言葉を消極的な処世態度だとは、微塵も思わない。これこそ人間にふさわしい知恵だと思う。

「真実に徹して知りつくすことが人間の幸福である」かどうかについてエポケー(保留)されているのです。

日本にも、これと同様にすばらしい思想が詰められた言葉があります。それは「さようなら」です。

横浜の港でお互いに別れる人々の間で、「私には意味の判らない呼びかけが船と岸の間の距離を行き来していた」が、、それが「サヨナラ」という言葉だった。
「サヨナラ」を文字どおりに訳すと、「そうならなければならないならば」という意味だという。これまで耳にした別れの言葉のうちで、このように美しい言葉を私はしらない。
Auf WiedersechenやAu revoirやTill we meet again(また逢いましょう)のように、別れの痛みを再開の希望で紛らそうという試みをしていない。また目を瞬いて涙を健気に抑えて告げるFarewell(うまくやってください)のように、別離の苦い味わいを避けてもいない。(リンドバーグ・「翼よ北に」)

彼女はこうも述べています。
「サヨナラ」は言いすぎもせず、言い足りなくもない。それは事実をありのままに受け入れている。人生の理解の全てがその四音のうちにこもっている。ひそかにくすぶっているものを含めて全ての感情が埋み火のようにこもっているが、それ自体は何も語らない。言葉にしないGood-byであり、心を込めて手を握る暖かさなのだ。

エッセイストの須賀敦子が、「自国の言葉を外から見る外国文学者・イタリア文学者」になる勇気を与えてくれたのが、アン(リンドバーク)の「あなたの国には「さようなら」がある。」という励ましだった、と「遠い朝の本たち」に記している。

この小文を書くもとになった竹内整一先生によると、先生は十数年前に胃がんで父君を無くされたとのことですが、ガンを告知しないという方針を決めた為、結局は最後の別れを「さようなら」という挨拶を回避したまま別れてしまったことを強く思っておられます。それはそれで一つの別れ方ではあるけれど、「あるもやもやとした、悔恨のようなものが残されている」と述べられています。

お別れとは、この人生にはっきりと区切りをつけることであり、そうであればこそ「始まり」と「終わり」の二点で物語は完結する。
「物語」というものを軽く見るなかれ。「言葉」を使うこと自体が、物語ることであり、もしそうでなければただの記号の羅列にすぎないのだから・・・。
我々が「人生の意味」というものを求めるなら、それは「物語」という形をとらざるを得ない。「意味」とは本来その様なものだ。

「意識を失っても病院で点滴を受け、延命治療を強要され、親しい人に別れを告げる時もなく死んでいく現代の死に比べ、こうして意識のはっきりしているうちに、互いにあい見て別れを告げる死の、何と人間的なことかと思う。しかし何千年来人間の死とはこういうものであったのだ。」(中野孝次)

死は医学のものではありませんね。

別れや死を追求する過程で発見された「さよなら」の思想の核心は、追求という欲望から勇気を持って飛び移るエポケーという決断にある。

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