2015年11月25日
わが庵は都の坤(ヒツジサル)
わたしの棲むまちは箱根連山の麓に拡がるなだらかな川辺に位置している。
三十数年前にこの地に移ってから、まだ疎らだった住居の数も増え、道は舗装されアスファルトとポリエチレンとコンクリートの目立つ、かしましく如何にも東京志向の風景と化した。風景は人工化し、行きかうのは時ではなく車の喧しさに入れ替わった。
それでも北を振り向けば、冬の凍てつく一日に、まといつく雲を東に払い、抜けるような青空に聳え立ち、血に燃えるマグマを地下に蓄えつつ、しっかりと重石となり拡がる霊峰富士の青白く荘厳な雄姿を仰ぎ見ることもできる。又書斎の窓からは、稔りの終えた田畑の向こうに、裏箱根の木々の枯れる兆しのなかに、一部を紅や黄に染めた翠がわたしを包んでくれている。黒緑の山裾から上方に向かうにつれ、薄紫の山肌に目線が移り、やがて霞とも山肌とも区別のつかない鼠の稜線が空に引かれる。あたかも東山魁夷の初期の傑作「残照」を思わせる。
(東京国立近代美術館)
また雨模様のあしたかに、昼すぎて雲が山裾から這い上がるころ、いつの間にか上空に向かって七色の橋がかかり、ほんのわずかしかない銀杏やもみじやケヤキの集まりに日の光が刺す時の鮮やかさは、常緑樹ばかりの深緑の森に幾重にも明りをさした艶な思いをもたらしてくれる。やがてその光もあたり一帯を、一日のをわりを告げるセピア色に変え、静かに山の稜線に落ちる。秋の夕日はつるべ落としという様に、その瞬間は速い。
夕日の影は、鮮やかだった山の斜面を駆け上がり、瞬く間に黒森に変え消えていく。いつの間にか白く彩色された月が上空に上がる。全てがゆっくりと動いている。山も動いている。金閣の屋根の頂にいる鳳凰も、不動の姿で動いているのだと、三島は言った。
与えられた生をその質(感覚)でではなく、物理的時間の長さの確保に価値を置くという信念で、生の長さ・広さの分捕り合戦が続けられている。死を恐れるあまり、遠くへ追いやり忘れ続けてきたことからの逆襲にあっているということだろう。残念ながら死についての理解は、現在のイスラムの連中の方が一枚も二枚も上手なのだ。「テロには屈しない。自由は我らに」と陶酔するマドンナの追悼公演は私達の涙を誘わずにいられない。しかしその「自由」はカッコ付きの自由なのであって、その中身は「(われわれと主義主張を同じくする既得権者の)自由」なのであって、(現実の社会生活の節々での差別・排除行為、例えば職を・食を・教育を得る行為に際しての差別などを行う「自由」に過ぎないことを思えば、独りよがりの自由を守る行為に堕していることに気づかねばならない。今やフランスは、嘗て日本人にエコノミックアニマルという呼称をかぶせた頃の誇りと、都市の象徴である石畳を剥がしてそこが嘗て未開の「浜辺」であった頃の砂を見せた学生たちの、パリ5月革命の頃の覚悟を、何処かに追いやり、あたふたと逃げまどい、政府は狂気じみた復讐の炎をぎらぎらと燃やしている。「違い」を受け留める余裕もなければ、反って誤解や思い込みの連鎖に憑かれ、かっこ付きの自由に凝り固まり思想の自由も奪われている体をなしている。そもそもモハメッドの風刺画がそうだった。
これが何で表現の自由なのだろう。人が嫌がっている、やめてくれと訴えていることをわざわざやることは、ペンの暴力では無いのか。明らかに「かっこ付きの自由」に酔っているだけでは無いのか。
なぜなら、あなたたちは「個」と「個」の違いを認めたうえで互いに「契約」をし、それに見合う責任と引き換えに自由を勝ち取ったのではなかったのか。旧約聖書も新約聖書も、その「約」の意味するものは「契約」ではなかったのか。人と人は判りあえないという、深い孤独と真実を認めたたうえで、互いの契約を交わしたのではなかったのか。その契約をイスラムの連中と交わしたとでもいうのだろうか。契約の無い相手に「自由」を押し付ける行為は、グローバリズムを世界中に押し付けているアメリカと同様の傲慢と言うものではないのか。
しかも自由は抑圧からの自由であり、自分の考えを押し付けることではない。天井桟敷の人々の笑いやペーソスはどこに行ったのか。この「かっこ付き」自由に走ってきたつけは大きい。あわてて空爆に走って解決する様な根の浅い問題ではないだろう。世界の趨勢にいつの間にか巻き込まれて深い信念を薄っぺらなものに落としてきたおのれを振り返り、自国の知に道を求めよ。
「私は自分の信念を捻じ曲げて事態に奉仕するよりは、むしろ事態の方が折れるのを待つ」
(「エセー・・待つということ」モンテーニュ)
この戦いは長引く(100年で終わるだろうか)、テロを戦争と発想し続ける限り、(弱者の悲鳴と捉えた)己との戦いだと発想を改めぬ限りにおいて。いよいよ世界はざわめき立ち、「魔女狩り」ならぬ「魔人狩り」が、テロリスト撲滅の名のもとに行われるのだろうか
文化はもともと閉鎖的だ。それはイスラムもキリスト圏でも日本でも変わらない。文明(=力)がグローバル化しないうちはそれでよかった。文明は文化を侵食する。たかが「スマホ」(文明の一つの象徴)ひとつ採っても、世界の文化の機微をどれだけ破壊しているか考えれば明らかだろう。我々それぞれの文化が問われている時なのだ。文化も、グローバルに侵食する文明も両方おいしいとこだけ、いただこうという「ええとこどり」は通用しないとの警告が今のテロや無差別発砲ではないのか。高度で完成された個々の文化を考え直して一度破壊して、新たな世界文化(?)を目指すのか、それは即ち世界規模の文明に屈する、人類の幼稚化に向うことでもあるかもしれない。その世界は命が何よりも大切(ニヒリズムの裏返しに過ぎない)で、「自由と民主主義」という不可能な組み合わせを信じ、その為に争いが絶えないのは当然で、それでも省みようとしない冥の世界だろう。
それとも、「技術」の暴走にNO!を告げ、「手から生まれる技術」つまり抽象化されず全て人間の「身体に対応している技術」という枠を超えず、真剣に向き合うべきはコンピュータではなく人間同士であり、歴史的にも空間的にもそれぞれ違う時に・ところに生まれたその違い(偶然)を受け入れ、優劣を付けず(比較にとり憑かれず)、ずかずかと他人様の国に入り込まず(干渉せず=仲良いお付き合い)、きりの無い便利・豊か競争を捨て、余分な贅肉を諦め、一回きりの折角の人生を役割に応じて引き受け(比較して分捕り合戦のケンカをせず)、人と人の間に生きる(つながる)喜びに気づく、閉鎖的だが心が豊かな(争うのはこっちでしょ)文化を、技術文明から取り戻すのかが問われている。苦しく貧乏だが、人間らしさに誇りを持てる海に最初に飛び込む「ファーストペンギン」に皆が成れるだろうか。
我々日本とて同じだろう。いずれ「地球は江戸化する(養老孟司)」或いは「地球は島化する・島の智慧が必要となる(本川達雄著・生物多様性)」とはいえ、それは文化の「違い」や人と人との「すれ違い」を受入れ、地雷を踏まずにやり過せてこその話なのだ。今のように口先だけの日本の美や伝統をあげつらいながら、その何を意味するかを知りもせず、博物館にでもしまい込み、その実やっていることと言えば、正反対の欧米流「進歩」の観念にとり憑かれ、先進国などという名ばかりの美酒に浮きあがり、彼等と対等にやり合いたいと言うコンプレックスの裏返し外交を続け、実態を大きく乖離した暮らしや政治を行っているのが現実ではないのか。そのつけもいずれ大きく影を落とすだろう。
「世界は人間無しに始まったし、人間無しに終わるだろう(悲しき熱帯)」とのレヴィ=ストロースの言葉を、認識論としてではなく歴史観として真摯に受け止める覚悟が求められている。
窓辺の一輪の大きな桐の葉がゆっくりと風に舞いながら地に降りる。その向こうに実もたわわにつけ黄色鮮やかなゆずの木が動いている。
感慨にふけるのは、翻って夕日の沈んだ後のねずみ色の雲を散りばめ夕焼けた空の、頭から足もとにジンと引っ張られるような闇の前の重力感の下での、取り返しのきかない淋しさと自然の大きな流れに乗っているという信頼感の混じったような不思議な落ち着きに浸る時だ。「時」に触れるのはこんなひとときだ。
九鬼周造は、林芙美子と成瀬無極が彼の自宅を訪ねてきたおり、小唄のレコードをかけて三人で聴いた時の事を随筆に綴っている。「林芙美子女史が、“小唄を聴いていると何にもどうでもかまわないという気になってしまう”というと、(九鬼は)“私も本当にそのとおりに思う。こういうものを聴くとなにもどうでもよくなる”と返す。無極氏は“あなたは今迄そういうことを言わなかったではないか”と詰る。(そして九鬼は)私達三人はみな無の深淵の上に壊れやすい仮小屋を建てて住んでいる人間達なのだと感じた。・・・・私は小唄を聴いていると、自分に属して価値あるように思われていたあれだのこれだのを悉く失ってもいささかも惜しくないという気持ちになる。ただ情感の世界にだけ住みたいという気持ちになる」と。これは滅亡の美学などでは無い。
「イスラム原理主義の過激な行動の底に在るのは『声』である・・・・『眼』は人と人を隔て、人を共同体から引き離し、合理化・近代化・効率化を進め、モノ・カネと引き換えに、人を孤独にする。反対に人の声、いい音は、心と心を結び合わせ、結束と安心を生む。・・コンピュータが入り込み、近代化・合理化が進めば、もともと農耕民族的結束を知らぬ彼らの世界はたちまち瓦解し、欧米の支配に屈するだろう。この苛立ちが一部を非合法な行動に走らせる。・・それは人間の孤独を増産する現代文明への痛烈な批判」となっている。(木村尚三郎著「歴史の風景」より)
思わぬ廻り道をしたが、月も高くなり、辺りが闇に変わるにつれますますその光がくっきりとしてきた。
振り返れば、リタイアして7年を重ねる。家族を初めとして多くの人に支えられながら、あちこちぶつかりながらようやく「ものがわかる」という事の歓びを判りかけてきた。
「面影」の字の如く、おもてと影とを、今と過去とを同時に見ることの深さを知った。
今の境遇に感謝し、良く生きなければならないのだろう。良く生きるとは良く死ぬことでもある。しかしそこには計算された合理の美は在っても、やりかけの人間らしさはみえない。どちらでも良いし、どちらでも心残りとなるものなのだろう。未だこころが若造の私にとって、風景に親しみ、古臭い古典の音楽と書物とに心の拠りどころを探り(未だ西洋の古典が多く、DNAの求める我が国の古典に親しむ力量の無いのを歯がゆくも思っている)、唯淡々と年齢からくる生理的睡魔と戦いながらも、わかり続けることを己に課し、よたよたと、老いの支度もそこそこに、滑稽な中途半端に生きている。あと何回の晩餐かも知らずに。
やがてそのけじめもつかぬまま、通過点はやってくるのかもしれない、もちろん誰の身にも。
身の闇の頭巾も通る月見かな 蕪村
(明るい名月の夜だというのに、月も見ずに、頭巾眉深(づきんまぶか)に忍びゆく人もある。世は様々だ)
と訳してしまうと深い味わいが逃げて行ってしまいますね。見ているのは「おのが身の闇」でもあるのですから。
三十数年前にこの地に移ってから、まだ疎らだった住居の数も増え、道は舗装されアスファルトとポリエチレンとコンクリートの目立つ、かしましく如何にも東京志向の風景と化した。風景は人工化し、行きかうのは時ではなく車の喧しさに入れ替わった。
それでも北を振り向けば、冬の凍てつく一日に、まといつく雲を東に払い、抜けるような青空に聳え立ち、血に燃えるマグマを地下に蓄えつつ、しっかりと重石となり拡がる霊峰富士の青白く荘厳な雄姿を仰ぎ見ることもできる。又書斎の窓からは、稔りの終えた田畑の向こうに、裏箱根の木々の枯れる兆しのなかに、一部を紅や黄に染めた翠がわたしを包んでくれている。黒緑の山裾から上方に向かうにつれ、薄紫の山肌に目線が移り、やがて霞とも山肌とも区別のつかない鼠の稜線が空に引かれる。あたかも東山魁夷の初期の傑作「残照」を思わせる。
(東京国立近代美術館)
また雨模様のあしたかに、昼すぎて雲が山裾から這い上がるころ、いつの間にか上空に向かって七色の橋がかかり、ほんのわずかしかない銀杏やもみじやケヤキの集まりに日の光が刺す時の鮮やかさは、常緑樹ばかりの深緑の森に幾重にも明りをさした艶な思いをもたらしてくれる。やがてその光もあたり一帯を、一日のをわりを告げるセピア色に変え、静かに山の稜線に落ちる。秋の夕日はつるべ落としという様に、その瞬間は速い。
夕日の影は、鮮やかだった山の斜面を駆け上がり、瞬く間に黒森に変え消えていく。いつの間にか白く彩色された月が上空に上がる。全てがゆっくりと動いている。山も動いている。金閣の屋根の頂にいる鳳凰も、不動の姿で動いているのだと、三島は言った。
与えられた生をその質(感覚)でではなく、物理的時間の長さの確保に価値を置くという信念で、生の長さ・広さの分捕り合戦が続けられている。死を恐れるあまり、遠くへ追いやり忘れ続けてきたことからの逆襲にあっているということだろう。残念ながら死についての理解は、現在のイスラムの連中の方が一枚も二枚も上手なのだ。「テロには屈しない。自由は我らに」と陶酔するマドンナの追悼公演は私達の涙を誘わずにいられない。しかしその「自由」はカッコ付きの自由なのであって、その中身は「(われわれと主義主張を同じくする既得権者の)自由」なのであって、(現実の社会生活の節々での差別・排除行為、例えば職を・食を・教育を得る行為に際しての差別などを行う「自由」に過ぎないことを思えば、独りよがりの自由を守る行為に堕していることに気づかねばならない。今やフランスは、嘗て日本人にエコノミックアニマルという呼称をかぶせた頃の誇りと、都市の象徴である石畳を剥がしてそこが嘗て未開の「浜辺」であった頃の砂を見せた学生たちの、パリ5月革命の頃の覚悟を、何処かに追いやり、あたふたと逃げまどい、政府は狂気じみた復讐の炎をぎらぎらと燃やしている。「違い」を受け留める余裕もなければ、反って誤解や思い込みの連鎖に憑かれ、かっこ付きの自由に凝り固まり思想の自由も奪われている体をなしている。そもそもモハメッドの風刺画がそうだった。
これが何で表現の自由なのだろう。人が嫌がっている、やめてくれと訴えていることをわざわざやることは、ペンの暴力では無いのか。明らかに「かっこ付きの自由」に酔っているだけでは無いのか。
なぜなら、あなたたちは「個」と「個」の違いを認めたうえで互いに「契約」をし、それに見合う責任と引き換えに自由を勝ち取ったのではなかったのか。旧約聖書も新約聖書も、その「約」の意味するものは「契約」ではなかったのか。人と人は判りあえないという、深い孤独と真実を認めたたうえで、互いの契約を交わしたのではなかったのか。その契約をイスラムの連中と交わしたとでもいうのだろうか。契約の無い相手に「自由」を押し付ける行為は、グローバリズムを世界中に押し付けているアメリカと同様の傲慢と言うものではないのか。
しかも自由は抑圧からの自由であり、自分の考えを押し付けることではない。天井桟敷の人々の笑いやペーソスはどこに行ったのか。この「かっこ付き」自由に走ってきたつけは大きい。あわてて空爆に走って解決する様な根の浅い問題ではないだろう。世界の趨勢にいつの間にか巻き込まれて深い信念を薄っぺらなものに落としてきたおのれを振り返り、自国の知に道を求めよ。
「私は自分の信念を捻じ曲げて事態に奉仕するよりは、むしろ事態の方が折れるのを待つ」
(「エセー・・待つということ」モンテーニュ)
この戦いは長引く(100年で終わるだろうか)、テロを戦争と発想し続ける限り、(弱者の悲鳴と捉えた)己との戦いだと発想を改めぬ限りにおいて。いよいよ世界はざわめき立ち、「魔女狩り」ならぬ「魔人狩り」が、テロリスト撲滅の名のもとに行われるのだろうか
文化はもともと閉鎖的だ。それはイスラムもキリスト圏でも日本でも変わらない。文明(=力)がグローバル化しないうちはそれでよかった。文明は文化を侵食する。たかが「スマホ」(文明の一つの象徴)ひとつ採っても、世界の文化の機微をどれだけ破壊しているか考えれば明らかだろう。我々それぞれの文化が問われている時なのだ。文化も、グローバルに侵食する文明も両方おいしいとこだけ、いただこうという「ええとこどり」は通用しないとの警告が今のテロや無差別発砲ではないのか。高度で完成された個々の文化を考え直して一度破壊して、新たな世界文化(?)を目指すのか、それは即ち世界規模の文明に屈する、人類の幼稚化に向うことでもあるかもしれない。その世界は命が何よりも大切(ニヒリズムの裏返しに過ぎない)で、「自由と民主主義」という不可能な組み合わせを信じ、その為に争いが絶えないのは当然で、それでも省みようとしない冥の世界だろう。
それとも、「技術」の暴走にNO!を告げ、「手から生まれる技術」つまり抽象化されず全て人間の「身体に対応している技術」という枠を超えず、真剣に向き合うべきはコンピュータではなく人間同士であり、歴史的にも空間的にもそれぞれ違う時に・ところに生まれたその違い(偶然)を受け入れ、優劣を付けず(比較にとり憑かれず)、ずかずかと他人様の国に入り込まず(干渉せず=仲良いお付き合い)、きりの無い便利・豊か競争を捨て、余分な贅肉を諦め、一回きりの折角の人生を役割に応じて引き受け(比較して分捕り合戦のケンカをせず)、人と人の間に生きる(つながる)喜びに気づく、閉鎖的だが心が豊かな(争うのはこっちでしょ)文化を、技術文明から取り戻すのかが問われている。苦しく貧乏だが、人間らしさに誇りを持てる海に最初に飛び込む「ファーストペンギン」に皆が成れるだろうか。
我々日本とて同じだろう。いずれ「地球は江戸化する(養老孟司)」或いは「地球は島化する・島の智慧が必要となる(本川達雄著・生物多様性)」とはいえ、それは文化の「違い」や人と人との「すれ違い」を受入れ、地雷を踏まずにやり過せてこその話なのだ。今のように口先だけの日本の美や伝統をあげつらいながら、その何を意味するかを知りもせず、博物館にでもしまい込み、その実やっていることと言えば、正反対の欧米流「進歩」の観念にとり憑かれ、先進国などという名ばかりの美酒に浮きあがり、彼等と対等にやり合いたいと言うコンプレックスの裏返し外交を続け、実態を大きく乖離した暮らしや政治を行っているのが現実ではないのか。そのつけもいずれ大きく影を落とすだろう。
「世界は人間無しに始まったし、人間無しに終わるだろう(悲しき熱帯)」とのレヴィ=ストロースの言葉を、認識論としてではなく歴史観として真摯に受け止める覚悟が求められている。
窓辺の一輪の大きな桐の葉がゆっくりと風に舞いながら地に降りる。その向こうに実もたわわにつけ黄色鮮やかなゆずの木が動いている。
感慨にふけるのは、翻って夕日の沈んだ後のねずみ色の雲を散りばめ夕焼けた空の、頭から足もとにジンと引っ張られるような闇の前の重力感の下での、取り返しのきかない淋しさと自然の大きな流れに乗っているという信頼感の混じったような不思議な落ち着きに浸る時だ。「時」に触れるのはこんなひとときだ。
九鬼周造は、林芙美子と成瀬無極が彼の自宅を訪ねてきたおり、小唄のレコードをかけて三人で聴いた時の事を随筆に綴っている。「林芙美子女史が、“小唄を聴いていると何にもどうでもかまわないという気になってしまう”というと、(九鬼は)“私も本当にそのとおりに思う。こういうものを聴くとなにもどうでもよくなる”と返す。無極氏は“あなたは今迄そういうことを言わなかったではないか”と詰る。(そして九鬼は)私達三人はみな無の深淵の上に壊れやすい仮小屋を建てて住んでいる人間達なのだと感じた。・・・・私は小唄を聴いていると、自分に属して価値あるように思われていたあれだのこれだのを悉く失ってもいささかも惜しくないという気持ちになる。ただ情感の世界にだけ住みたいという気持ちになる」と。これは滅亡の美学などでは無い。
「イスラム原理主義の過激な行動の底に在るのは『声』である・・・・『眼』は人と人を隔て、人を共同体から引き離し、合理化・近代化・効率化を進め、モノ・カネと引き換えに、人を孤独にする。反対に人の声、いい音は、心と心を結び合わせ、結束と安心を生む。・・コンピュータが入り込み、近代化・合理化が進めば、もともと農耕民族的結束を知らぬ彼らの世界はたちまち瓦解し、欧米の支配に屈するだろう。この苛立ちが一部を非合法な行動に走らせる。・・それは人間の孤独を増産する現代文明への痛烈な批判」となっている。(木村尚三郎著「歴史の風景」より)
思わぬ廻り道をしたが、月も高くなり、辺りが闇に変わるにつれますますその光がくっきりとしてきた。
振り返れば、リタイアして7年を重ねる。家族を初めとして多くの人に支えられながら、あちこちぶつかりながらようやく「ものがわかる」という事の歓びを判りかけてきた。
「面影」の字の如く、おもてと影とを、今と過去とを同時に見ることの深さを知った。
今の境遇に感謝し、良く生きなければならないのだろう。良く生きるとは良く死ぬことでもある。しかしそこには計算された合理の美は在っても、やりかけの人間らしさはみえない。どちらでも良いし、どちらでも心残りとなるものなのだろう。未だこころが若造の私にとって、風景に親しみ、古臭い古典の音楽と書物とに心の拠りどころを探り(未だ西洋の古典が多く、DNAの求める我が国の古典に親しむ力量の無いのを歯がゆくも思っている)、唯淡々と年齢からくる生理的睡魔と戦いながらも、わかり続けることを己に課し、よたよたと、老いの支度もそこそこに、滑稽な中途半端に生きている。あと何回の晩餐かも知らずに。
やがてそのけじめもつかぬまま、通過点はやってくるのかもしれない、もちろん誰の身にも。
身の闇の頭巾も通る月見かな 蕪村
(明るい名月の夜だというのに、月も見ずに、頭巾眉深(づきんまぶか)に忍びゆく人もある。世は様々だ)
と訳してしまうと深い味わいが逃げて行ってしまいますね。見ているのは「おのが身の闇」でもあるのですから。