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冬の紳士
定年前に会社を辞めて、仕事を探したり、面影を探したり、中途半端な老人です。 でも今が一番充実しているような気がします。日々の発見を上手に皆さんに提供できたら嬉しいなと考えています。
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2016年05月26日
第2回 歴史第2部 4
(続き)

【農耕による変化】〜分裂気質者と執着性格者
宗教の始まりは、恐らく狩猟民族の、自らの移動(狩り)に対する対象(獲物)の出現の不確実性を埋めるための呪術に頼る、シャーマ二ズムによる政教一致に始まるだろう。
それは自然のリズムと宇宙の呼吸に合わせた、対立意識のない人間の全体性を保つものだったろう。その意味で呪術とは、レヴィ・ストロースの言うように「人間行動の自然化(野生思考)」であると思います。
やがて農耕民族は、その収穫の安定化に伴い、呪術への依存度は低下する。徐々に自然との並立を意識するに従い、逆に「自然法則の人間化・擬人化(4 )」である宗教に向かう。それは「信仰」という形をとって、耕し傷つけた大地に両手を合わせ、こうべを垂れさせる。作物を奪い取るために、傷つけた大地の穀物神の怒りを収めるための、「浄め(お祓い)の儀式が必要となる。浄化は強迫症の代表である(8)」わけで、執着性格者の持つ特性の大きな部分です。
また以前(野生思考時)は、全体性の中で部分として果たすべき役割が備わっていたものが、自然から独立(と言っても部分独立に過ぎないが)して食物を生産できるようになった今、役割(生きる意味)がなくなり、むなしさが始まり、それを探し出すようになる。それで自然と「来し方」を見て、頭を垂れて、想い起そうとするわけです。そこで得たひらめきを教義として、他の人に押し付ける(布教)。こうして宗教は広まるわけですね。

(宗教という観念の助けを借りないにしても、既に自然から独立してしまった人間は、本能的な世界の外に出てしまった、つまりそれから離れて「意識」するようになり、「見る」ようになり(今までは本能に従っていれば何の不安もなく、自然との一体感を生きることができていたのが)、全ての行動から動機から道具まで、作り直さなければならず、その為の行為の主体たる自我を持たねばならなくなった。岸田秀さんは、このことを「人間は本能が壊れた動物」と言う。その通りだと思います。行動している自分を見る目を持ってしまったんですね。その目は時間差を理解するので(今の自分(=常に過去となっていく自分)とそれを見る自分(=永遠の現在)の両方を比較できるので)、本能に従って生きるものに対し行動上のアドバンテージを持つ。
半面で生きることの一体感・現実感は消え去った。たとえ戦いに勝とうが、食物連鎖の頂点に立とうが、この喪失感は残ったままとなる。その隙間を埋めたいと考えた方法の一つに信仰がある。これは、最終回にも話しますが、人間の心の誕生のきっかけですね。)

その信仰が対象とする「聖なる場所」が、そこに聖性が発見された場所(例えば、アッティカ街道沿いに古代ローマよりも古い先住民のエトルリア人の崇めていた神殿跡がある。これは彼らの町に持ち込んだ神殿ではなく、火山岩の生成過程でできる「柱状節理」に神の力を感じて、そこを神聖な場所として祀った)や、聖なる農耕の場でなく、都市に(人間の都合のいい場所に)持ってこられるのは時間の問題だった。「聖堂や神殿」の建設です。こうなると、宗教が世俗化し、政治が宗教化する(神がかりになる)わけですね。ここに「宗教と国家の起源が同一視される歴史的根拠が出現(5 )」しました。招いた「神々との契約(5 )」が起こったのです。つまり、神への服従と見返り・報酬の関係です。権力装置の発生ですね。
もともと宗教と政治は相似形で相性がいいんです。というより両者は一体だった。それを人間の都市の方にひきよせたわけですね(擬人化から始まって、神殿となり、祭壇となり、持ち運べる書物(聖典)となり、終いにはタブレットの中のアイコンになるわけです。現代の子どもたちの神殿は、スマホの中にあるわけです)。

ウルク都市群には、日干し煉瓦を積み上げたジッグラト(聖塔)と呼ばれる、神が降臨する人工の山が作られ、最上部に神殿が設けられました。バベルの塔は、バビロンにあったジッグラトが伝説化されたものだろうといわれます。
ウルク原文字は最初は絵文字(表意文字)で、徐々に変化し楔形文字となり、紀元前1700年バビロン王朝のころには横書きに変化し簡略化されていった。後にシュメル文字は、セム語化され、メソポタミア全体の公用文字となります。「不思議なことにセム語系の文字は子音文字ばかりで、母音を表す文字がない。ということは、読む者が母音を補って読んでいたと推測されています。これに対し、後のフェニキア語やアルファベットは母音を文字システムで表すことにした。つまり完全に音声を表記してしまうようにした。デリック・ド・カークホーブという学者は、そのせいで左脳が刺激され神経生理学的にも抽象的で分析的な思考がしやすくなったと推理している(6)」そうです。
採るものがあれば必ず捨てるものもあります。そこで得たものが抽象思考なら、フェニキアやギリシャ人たちが、母音も含めた、「全てを見せてしまう」方を選択したことで失ったものは何なんでしょうか。それは今の西欧諸国に限らず我々の失っている何物かかもしれませんね。アナログがある日突然デジタル化された時の喪失感のような何かですね。レコードがCDに代わった時の何か大きな支えを失ったときのような。耳には聞こえないが、全体を包んでいた圧倒的な幸福感のような何か。
そうはいっても、アルファベットが俗人や一般人に開放された功績は認めなければなりません。象形文字や楔形文字は複雑で子供たちに覚えさせるのは無理だった。その教育が放置されてあった。宗教上の目的には使われたが、日常の事柄には、発祥地シリアからすぐに広がり、学問の大衆化を実現した。鉄(犂(すき)の発明)とアルファベットは文明の基盤を、参加者を格段に大きく広げたわけです。

話を戻しますが、神官だけではありませんが、秀でた能力を持つものは、尊敬されるとともに、恐れられ一つ間違えれば賤民扱いされる。いじめにあうのは、ちょっと変わった能力の持ち主で、優しくて、心はアナザーワールドを向いていそうな子が多いですね (7)。
神が死んだ現代では、分裂気質者には「世に隠れて棲む」ことが多いのです。しかし時代は変わる。新たな脅威はいつの世にも現れる。彼らの出番はいずれまたやってくるでしょう。こうして「土地に執着する農耕文化」がしばらく幅を利かせます。

これは先の話ですが、次に来るのが、土地に執着しない流動的な文化・商業の文化ですね。血の繋がらない者たちの「都市の文化」です。宗教もお人好しの血族で成り立ち、文字も不要な「多神教」から、被害民の、被差別民の現状打破の方法としての戦争の神、厳格且つ非寛容な「一神教」の登場です。そうです、流浪の民「ユダヤ教」の文化です。都市は地元を追い出された人間たちの集まりです。宗教が、血縁を越えて、シンボル化してくるわけです。ディアスポーラ(離散)した、遠くの民にも伝わる「文字の宗教」になってきます。持ち運び自由な信仰にもなるわけです。「初めに言葉ありき」ですね。
外部からの侵略・収奪が一段落し、社会が安定すると、自己主張・権勢誇示の一方的な贈与が始まり、もらった方も負い目を感じお返しをせずには、世間から外される。そういった経済行為が始まります。
「見える化」の象徴、時計の「時間」・「商人の時間」も登場します。持ち運べる、価値のシンボルである貨幣も広まってきます。経済行為は、血族や知人への「贈与」「交換」から、貨幣を使った、赤の他人への「見せびらかし」の購買(自己主張)や食料調達に変化していきます。先走りはこのくらいで。

この時代、日本が眠りから覚めるのが遅かった(競争となると不利なだけで、ちっとも悪いわけじゃないんですが)原因は、恐らくこの1万5千年に及ぶ長い、厳しい乾燥から解放された、恵みの雨のある湿潤気候と、侵略のない島国という環境が関係していたのだと思います。


注4)自然法則の擬人化
 自然法則の擬人化とは、自然の現象に何か見えない法則のようなものを感じ、それを何か意志を持ったも のが動かしていると考えることだろうが、私に言わせれば、その考えは後の自然科学の考え方そのものだろう。「神」と呼ぶか「法則」と呼ぶかの違いに過ぎない。それは現象には必ず原因と結果があり自然も人工の世界もこの原則に貫かれているという考えです。
だが、それが人間的な発想であり、それを絶対と考えることが傲慢ではないのか。しつこいようですが、我々は部分しか考えられないのであって、絶対を・普遍を考えられるわけがない。だから、わからないものは必ずあるとしてそれを神と呼ぶならまだわかるが、法則というコントロールできるもの(都合のいいもの)に置き換えてしまって、「原因と結果」などと自然現象を「擬人化」して都合よいところだけ見て、他は無いものとして目をつぶって世界観を作り上げて、我が物顔にふるまってはいけないでしょう。「原因と結果がある」のではなく、ただ「繋がっている」んです。

注5) 松岡正剛「情報の歴史を読む」P120
 私たち日本人も、無宗教と言われながら、神や神々とは別に、先祖を対象とした墓や、それを携帯できる位牌や仏壇を持っている。それを家の中に持ち込んで、自分の都合に合わせて先祖との繋がり(共生関係)を確認している。戦国武将は僧を連れ仏壇を持ち歩いた。これは先ほどのアイコンと同じことで、そこをクリックすれば、たちどころに、アナザーワールド・ご先祖との「共生の世界」が出現するわけです。このアイデンティティの確認作業は農耕の出現とともに、境界で「土地を区切り所有する」(空いている時でも他のものに使わせない)という構造を作り出した。それは先祖から未来に渡った時間的所有概念も伴った。墓はその執着の象徴だった(狩猟民や遊牧民は墓を持たない部族が多い。分裂気質者は墓にあまりこだわらない)。
神棚は、先祖とは別の、ワンランク広い、民族の「共同体的共生」を出現させるアイコン(簡易模型)なわけです。私たちは神様のような共同体的・民族的共生の確認を持ち出すほど、世界からひどい目にあってこなかったのでしょう、文字を使って、空想を働かせ、共同の幻想の力を借りて戦うまでの、民族の悲願達成を鼓舞しなければならないような、被侵略の体験も少なかったからでしょう。従ってそれはやがて、個人の家に神棚を置くという小さな意識形態に、更には非戦闘的で携帯可能な「お守り」に収縮していったのでしょう。「神との契約」などという強烈な自我までは持たなかった。
(それでもここ二千年の歴史で、日本も何度かそのような経験をしていますね。ペリー来航による屈辱などです。唯他の国々のように、負けることが判っていても、自らのアイデンティティの方を大切にして、占領を受け止めるような屈辱のしかたではなく、開国して表面だけ従い、内面では「この野郎」という「和魂洋才」の、分裂した精神状態で物理的実害を避けた。こうして抱え込んだアメリカ人に対するコンプレックスを解消しようとしたのが、「尊王攘夷」であり「富国強兵策」であり「真珠湾攻撃」だったのでしょう。ここは精神分析学者の岸田秀さんの受け売りですが、理にかなった説明だと思います。コンプレックスだから、敵対心とともに憧れもあったし、今もあるのは判りますよね。

注6) 松岡正剛「情報の歴史を読む」P100

注7)いじめ
 いじめはほっとけば起きるものなんです。異なるものをつぶし、群れを維持しようとする当然の人間の心理なんです。それをやめさせたかったら、普通にほっといたらダメなんです。日常以上の注意力と手をかけなければ、「通常でない世界(高度なバランス)」を維持できるわけがないでしょう。愛と同じです。手をかけなければ死に向かうんです。それを先生にお任せで、何かあれば、学校の責任と当然のように主張する。先生にだって、そんな能力はありません。だって、採用に当たって教育(役に立たないこと=心のコントロール)に力を注ぐことを喜ぶ人間なんか、めったに選ばれていませんから。そういう「分裂気質者」はふるい落とされて、現実的な、責任感の強い、統制を好むコーチする人たち(役に立つことを教える人)「執着性格者」が多く選ばれているわけですから。何とかしろといわれても無理です。じゃー、どうすれば解決するの?と聞いてくること事体がマニュアル世代の発想で、最初から間違ってるんです。解決する答えがあるということは、それを見ている神のような存在(設計者)がなければおかしい。その神にみんながなってしまっているんです。そんな「参加しないで済む」正解なんてない。ないから、自分が飛び込んで部分になるんです。「手入れ」に参加するしかないんです。「見る人」が考えるように、環境とやらをいくら整えたって駄目なんです。手入れし続けなければいけないんです。「頭をひねって作った内容で、実行しやすい」解決策(マニュアル)をいくら見せても、絵に描いた餅です。そうではなく、「簡単なことで、実行・続けることが難しい(時間を必要とする)」手入れしかないんです。見る人になっちゃいけません。テレビの弊害は異様にはびこっていますね。なにしろ最近のスマホやタブレットに至るまで、自分を部外者に仕立てる装置はいっこうに衰えを知りませんからね。(マニュアルが通用するのは、相手がロボットのときだけで、それであしらわれるということは、その部外者の目に、馬鹿にされている・操られているということだということに、もういい加減気付いてますよね。)



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