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2019年12月13日

『古事記』『日本書紀』に記載がない【応神天皇の曾孫】都紀女加王の墓/目達原古墳群 佐賀県上峰町



都紀女加王の墓 目達原古墳群
佐賀県上峰町坊所一帯の丘陵地には
目達原古墳群(めたばるこふんぐん)として、
大塚古墳・古稲荷塚古墳・稲荷塚古墳・塚山古墳
瓢箪塚古墳・無名塚古墳・横田南古墳等が存在していた。

しかし昭和17年-18年(1942年-1943年)の
目達原飛行場(目達原駐屯地)建設に伴って破壊され、
古墳群のうち主な5基が、7分の1の大きさの墳丘模型で
ここに改葬されている。

都紀女加王墓(つきめかのみこのはか)。
遺跡名は、上のびゅう塚古墳(かみのびゅうづかこふん)という。

昭和18年(1943年)に宮内省(現・宮内庁)によって
都紀女加王の墓に治定された。

都紀女加王は、『先代旧事本紀』に伝わる古代日本の皇族。

第15代応神天皇の曾孫(三世孫)で、
筑志米多国造の始祖とされる。

『日本書紀』『古事記』に記載はない。

『先代旧事本紀』「国造本紀」では、
次の国造が後裔として記載されている。

【竺志米多国造(筑志米多国造)】
志賀高穴穂朝(第13代成務天皇)の御世に息長公同祖の
稚沼毛二俣命孫の都紀女加を国造に定める、という。

のちの肥前国三根郡米多郷(佐賀県上峰町一帯)
または筑前国夜須郡馬田郷・下坐郡馬田郷周辺
(福岡県朝倉市一帯)に推定される。

都紀女加は安康天皇(第20代)・雄略天皇(第21代)の
従兄弟にあたるため、「志賀高穴穂朝」とは
安康天皇(和風諡号は穴穂天皇)を指すとも推測される。

古墳は前方後円墳で、前方部を西に向ける。

墳丘長は49メートルで5世紀の築造と推定されるが、
埋葬施設は明らかでない。

墳丘表面からは埴輪・葺石が見つかっているほか、
墳丘周囲に周溝が巡らされたことが明らかとなっている。

佐賀県三養基郡上峰町坊所



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