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2024年05月14日

【弓立神社】 福岡県うきは市の神社




弓立(ゆだち)神社
由来によれば、景行天皇12年、
景行天皇が熊襲征伐のため筑紫親征なさったとき、
この地にこられ大石の上立たれ、
弓矢をかざされ祀られ
國乳別皇子を筑紫の重鎮となさいました。

後に武内宿禰が磐境神籠を造り、
景行天皇の例に習って弓を
大石に立て神祇を鎮祭され、
更に景行天皇を奉祀し
弓立大明神と進号しました。

これが弓立神社の起源といわれます。

またこの弓立神社の境内に
弓立神社古墳がありますが、
形状が変わりわかりにくくなっています。

旧社格は村社です。

御祭神
景行天皇、木樵明神

木樵(きこり)大明神
平安時代、天延三年(975年)
醍醐天皇の孫姫、小松女院(こまつにょいん)は、
弓立神社が鎮座する生葉郡大石の領主であった

清原正高公を慕い、
小松女院と11人の侍女は
京都から玖珠の三日月の滝までやって来た時、
一人の老樵と会い、正高公の消息を訪ねると、
既に結婚していると言うことを聞き、
絶望した小松女院は11人の侍女とともに
三日月の滝に身投げしてしまいます。

不要の言葉を発した老樵はそのことを知り、
身につまされ三日月の滝に入水します。

老樵の遺骨は筑後大石に流れ着き、
清原公は弓立大明神社内に
老樵を木樵大明神として祀りました。

鎮座地
福岡県うきは市浮羽町高見925−1


珍しい『狛うさぎ』がいる 【杷木神社】 福岡県朝倉市




第二十六代継体天皇の御代
筑紫の豪族磐井が反乱を起こした時に朝廷では、
鹿鹿火大連(あらかいのおおむらじ)に
命じて討伐を命じたが磐井があまりにも強力のため、
苦戦に陥った時、
この神社の前に幣帛を捧げ祈願されてからは、
草木の風になびくが如くに
平定することが出来たと言われています。 

珍しい行事として、
春秋二回行われる鎮祭があります。

日本の神々は
十月に出雲大社に神集いがあり行くが、
杷木神社の祭神はそれには参加せず
一年中氏子の安全と豊作を守って
働き続けているので、年二回は
ゆっくりと休まれることになっています。

これが鎮祭で
大きな声を出すことはもちろん
歌舞音曲を停止、下肥等のにおいをさせず、
生の木や竹を切ることも禁じられています。

旧社格は村社です。

御祭神
伊弉諾尊(いざなぎのみこと)
伊弉冉尊(いざなみのみこと)
大己貴命(おおなむちのみこと)
武甕槌命(たけかつちのみこと)

夫婦円満、子孫繁栄、長寿繁栄、厄除け、縁結び、
安産、子宝、家内安全、金運、商売繁昌、病気平癒、
武道守護、武道上達などの
御利益があるとおもわれます。

鎮座地
福岡県朝倉市杷木池田546


posted by kohchan at 22:41 | TrackBack(0) | 福岡県の神社

三の宮古墳の武装石人と下井手神社 【熊本県荒尾市の古墳・神社】




下井手神社は、荒尾市野原の野原八幡宮の三ノ宮です。
下井手八幡宮・三の宮神社ともいわれています。

天慶二年(939年)の創立。
国誌には『野原八幡宮と同時に勧請。
八幡三の宮と称した』とあります。
旧社格は村社です。

御祭神:神功皇后

三ノ宮四方仏(さんのみやしほうぶつ)
天正八年(1353年)筑後馬篭の石工、藤原助次(すけつぐ)の作品。
助次は助継・介継の名も用い、
三池普光寺、宮原・藤田の両天満宮、大川風浪神社などに
三重塔、五重塔、板碑類9塔を残しており、
そのほとんどが好塔として有名である。

塔身の一部に欠失部があるが
四面には重円の仏龕(ぶつがん)中に
蓮華座(れんげざ)にすわる
平肉浮彫の仏像が力強く彫られている。

阿弥陀如来・金剛界大日如来・薬師如来といわれ、
一体は不明である。

他の部石はもとからあったものではないが、
六角形状の笠石や塔身をうける敷茄子をつくり出して
八葉蓮弁を刻出した友花座(かえりばなざ)は後年の見事な
石造美術品である。

正平紀年号は南北朝時代の南朝方年号で、
北朝方にあった小岱氏・三池氏の
生きざまの一端がうかがい知れる。

正平紀年の石塔は浄業寺(じょうごうじ)、
平山地区に7基ある。

三の宮古墳(さんのみやこふん)
荒尾唯一の前方後円墳
主軸をほぼ東西にとる全長60m。
後円墳は直径23m、高さ6m、
南東斜面は彩土により削り取られているが、
比較的原形を保っている。

前方部は長さ37m、高さ2.3m、幅14m、
後円墳と接する部分はせまくくびれており、
神社建立の際、一部分が削り取られたが、
全体の形は帆立貝型をする未開口の古墳である。

古墳の北側にかすかな周溝の跡がある。

後円部に河原石の葺石や円筒埴輪の
破片が発見されたが全貌は明らかでない。

武装石人(ぶそうせきじん)
三の宮古墳のくびれ部にある石人は、
古墳を表飾する形衆石像で、
衝角付かぶとをかむり短甲をつけた
武装石人である。

阿蘇溶岩を材料とした、
高さ104cm、肩幅63cmのものであるが、
最近その脚部が発見された。

しかし三ノ宮古墳と石人との関係は明らかでない。

石人の分布は、筑後、北肥後の古墳に限られており、
磐井の勢力範囲につくられたと言われている。

保存状態がよく
昭和10年9月4日 
国指定重要美術品となる。

諏訪川をはさんで、
萩尾、宅ケ峰、潜塚、別当塚などの
有力な古墳であることから、
この地方は古代文化が
いち早く開けたものと思われる。

熊本県荒尾市下井手



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