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第186回 謡い会 [2016/05/17 18:49]
文●ツルシカズヒコ
野上弥生子「彼女」によれば、野枝が突然、弥生子に会いに来たのは一九一六(大正五)年の四月下旬のある日だった。
『女性改造』一九二三年十一月号に掲載された、野上弥生子の口述筆記「野枝さんのこと」では、野枝が訪れたこの日を弥生子は「大正五年の三月」(p158)と語っているが、ひとまずここではこの「彼女」の記述に沿ってみたい。
「彼女」の記述から推定すると、この日は四月二十三日と思われる。
そのころ、野..
第185回 別居について [2016/05/17 18:38]
文●ツルシカズヒコ
一九一六(大正五)年二月から四月にかけての野枝の心境はどうだったのか。
野枝が辻の家を出て別居を決行するのは四月末であるが、野枝はそこに到るまでの自分の心中を「申訳丈けに」に書いている。
五年間の結婚生活は自分に無理を強いるものだったと、まず野枝は書いている。
辻とふたりだけの生活ではなく、姑と小姑が同居している家庭は、たとえ彼女たちが寛大な人間であっても、野枝にとって忍従を強いるものだった。
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第177回 ねんねこおんぶ [2016/05/15 17:04]
文●ツルシカズヒコ
大杉と堀保子は前年一九一五(大正四)年十二月、小石川から逗子の桜山の貸別荘に引っ越していた。
『近代思想』(第二次)一月号(第三巻第四号)が発禁になったので、大杉は一九一六(大正五)年一月二日にその対策のために逗子から上京し、翌一月三日に吉川守圀の家に同人たちが集まり、協議した。
大杉が大塚坂下町の宮嶋資夫宅を訪れたのは、その夜十二時近くだった。
「今夜は一寸報告にやつて来た。それは神近と僕とのことだ..
第175回 婦人矯風会 [2016/05/15 11:12]
文●ツルシカズヒコ
「死灰の中から」によれば、大杉は七月末に野枝が出産のために帰郷したことは知っていた。
大杉は忙しかったので、野枝が帰郷する一ヶ月ほど前から彼女に会う機会はなかった。
十月、大杉は第二次『近代思想』を復活号として発刊した。
大杉豊『日録・大杉栄伝』によれば、宮嶋資夫が調布に移転して発行人となり、編集人・大杉、印刷人・荒畑である。
しかし、『近代思想』は十一月号、十二月号と連続して発禁になっ..
第172回 早良(さわら)炭田 [2016/05/14 18:14]
文●ツルシカズヒコ
野枝と辻はなぜ今宿に四ヶ月もの長逗留をしたのかーー。
野枝は第二子を出産するころ、ある「決心」をしていたと書いている。
……私はとう/\決心したのです。
……母に一時だけ子供をつれて田舎にひとりで行かして貰ひたいと切り出したのです。
そしてTには自分の生活をもつと正しくするために少し考へたいから、とにかく暫(しばら)く別れてみたいと云つたのでした。
そして双方から承諾を..
第170回 千代の松原 [2016/05/14 12:58]
文●ツルシカズヒコ
一九一五(大正四)年七月二十日、辻と野枝は婚姻届を出した。
七月二十四日朝、野枝と辻と一(まこと)は今宿に出発した。
この帰郷は出産のためで、十二月初旬まで今宿に滞在した。
野枝が次男・流二を出産したのは十一月四日だった。
今月号から日月社の安藤枯山(こざん)氏の御好意で私の留守中丈(だ)け雑務をとつて下さることになりました。
多事ながら面倒なことをお引きうけ下すつた御厚意を深..
第163回 ロンブローゾ [2016/05/12 16:41]
文●ツルシカズヒコ
野枝が物書きとして順調にステップアップしていく一方で、辻の評判は芳しくなかった。
辻は、前年一九一四年の十二月、ロンブローゾ「『天才論』の訳著を植竹書院から植竹文庫第二篇として出版した。
英訳本『Man of Genius』の重訳である。
出版にこぎつけるまでには佐藤政次郎、生田長江、岩野泡鳴、小倉清三郎らの協力があった。
そもそも一九一二年の秋には訳し終わっていたのだが、佐藤政次郎に紹介され..
第159回 伊藤野枝オタク [2016/05/10 15:19]
文●ツルシカズヒコ
その頃、野枝は彼女に異様に注目し接近してくる青年に閉口していた。
「伊藤野枝オタク」の中村狐月である。
芥川龍之介は井川恭に宛てた書簡で、狐月を酷評している。
批評家は大がい莫迦だよ
中では小宮豊隆が一番利巧だがね
ぼくのこの知識はぼく自身の個人的経験に立脚してゐるんだから確だ
中村狐月の如きは脳味噌の代りにほんとうの味噌のはいつてゐるやうな頭を持つてゐる
(井川..
第158回『エロス+虐殺』 [2016/05/10 15:10]
文●ツルシカズヒコ
野枝にとってショッキングな事件が起きたのは、一九一五(大正四)年五月ごろだった。
辻はこう書いている。
……僕らの結婚生活ははなはだ弛緩してゐた。
加ふるに僕はわがままで無能でとても一家の主人たるだけの資格のない人間になつてしまつた。
酒の味を次第に覚えた。
野枝さんの従妹に惚れたりした。
従妹は野枝さんが僕に対して冷淡だと云ふ理由から僕に同情して僕の身のまはりの世..
第157回 マックス・シュティルナー [2016/05/09 21:42]
文●ツルシカズヒコ
大杉は野枝からの手紙に返事を書かねばならぬという、義務感に責められていた。
しかし、どうしても書けない。
書くならば、野枝への沸騰した情熱をストレートに表明した文面にならざるを得ないが、それもできない。
大杉は野枝とふたりだけで会いたいと思ったが、会ったときの自分の情熱も恐かった。
辻がいてもよし悪し、いなくてもよし悪しーーとにかく、彼女の家で会おうと大杉は思った。
月..
第150回 革命のお婆さん [2016/05/08 14:14]
文●ツルシカズヒコ
一九一五(大正四)年、三月二十六日、葉山の日蔭茶屋に到着した大杉は、風邪気味だったのですぐ床についた。
鼻水が出る。
少し熱加減だ。
汽車の中でもさうであつたが、妙に興奮してゐて、床に就いても眠られない。
彼女の事ばかりが思ひ出される。
其の翌日も、翌々日も、ほんのちよつとではあるが熱が出て、仕事は少しも手につかない。
矢張り、妙に興奮してゐて、彼女の事ばかりが思い出さ..
第148回 新貞操論 [2016/05/07 21:03]
文●ツルシカズヒコ
『新公論』四月号が「性欲問題(其壱)新貞操論」を特集したが、大杉は「処女と貞操と羞恥とーー野枝さんに与えて傍らバ華山を罵る」という原稿を書いた。
大杉は貞操に関する持論を展開、生田花世、原田皐月、野枝、らいてうらの貞操論に参入したが、それは野枝に話しかけるスタイルの公開状だった。
野枝さん。
僕はまだ、あなたとお互いに友人とよび得るほどに、少なくとも外的には親しくなっていませぬ。
も..