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第292回 東京監獄八王子分監 [2016/07/13 11:17]
文●ツルシカズヒコ
一九一九(大正八)年十月三日、懲役二年の刑を終えた神近市子が東京監獄八王子分監から出所した。
『読売新聞』が「淋しい笑顔を見せつゝ 神近市子出獄す」「好物のバナナを携へて露国の盲目文学者などが出迎へ」という見出しで報じている。
風呂敷き包みを抱えた彼女の写真も掲載されている。
「露国の盲目文学者」とはワシリー・エロシェンコで、秋田雨雀らとともに自動車で迎えに行ったのである。
市子は朝五時五十分に起..
第279回 トスキナ(二) [2016/07/06 13:26]
文●ツルシカズヒコ
ピアノ独奏の沢田柳吉はベートーヴェンの「ムーンライト・ソナタ」(月光曲)を弾いた。
沢田は天才と称され、当時ショパンを弾くピアニストは楽壇では彼一人だと言われていた。
清水金太郎、山田耕筰、竹内平吉は東京音楽学校の同期生である。
天才だったが、酒好きでズボラで酔っぱらいのピアニストでもあった。
『高田保著作集 第二巻』によれば、問題が起きたのは、沢田のピアノ独奏「ムーンライト・ソ..
第278回 トスキナ(一) [2016/07/06 12:55]
文●ツルシカズヒコ
一九一九(大正八)年は浅草オペラ、オペレッタの全盛期であった。
観音劇場でオペレッタ『トスキナア』が上演されたのは、この年の五月だった。
「トスキナア」とは「アナキスト」の逆さ読みであるが、プログラムや台本には検閲に引っかからないように「トスキナ」と刷った。
作は獏与太平(ばく-よたへい)、作曲は竹内平吉、装置は小生夢坊(こいけ-むぼう)。
浅草の伝法院の裏にあったカフェー・パウリスタ、その二番..
第276回 おうら山吹 [2016/07/04 20:28]
文●ツルシカズヒコ
一九一九(大正八)年三月五日、久板が満期出獄し、大杉&野枝の家に帰って来た。
このころ、大杉は黒瀬春吉が設けた「労働問題引受所」の顧問を引き受けるが、結局、大杉はその顧問を辞退した。
しかし、大杉豊『日録・大杉栄伝』によれば、このころ大杉は黒瀬などとの関係を通じて、浅草オペラの楽屋に出入りするようになったという。
浅草十二階下にあった黒瀬の店「グリル茶目」は、伊庭孝、沢田柳吉、石井漠などオペラ関係者..
第266回 野枝さん野枝さん [2016/06/29 18:58]
文●ツルシカズヒコ
野枝の叔母・代キチは、瀬戸内晴美の取材にこう答えている。
大体、主人と申す男が、金を貯めることよりも、人間を育てることが好きに出来ておりまして、敵味方もなく、これという人物には惚れこむたちのようでござりました。
後になって、大杉のことなども、自分は右翼の玄洋社にいながら、ずいぶんと面倒をみるような気になったのも、主義主張より、大杉の人間に惚れこんだのかと存ぜられます。
大杉のことでござります..
第243回 第二の結婚 [2016/06/07 11:38]
文●ツルシカズヒコ
辻と野枝の協議離婚が成立したのは一九一七(大正六)年九月十八日だった。
戸籍上、野枝は伊藤家に復籍することになったが、野枝は『婦人公論』九月号に、辻との離婚の経緯を書いた。
その冒頭にはこう記されている。
破滅と云ふ事は否定ではない。
否定の理由にもならない。
私は最初にこの事を断つて置きたい。
不純と不潔を湛へた沈滞の完全よりは遥かに清く、完全に導く。
(「..
第240回 百姓愛道場 [2016/06/04 17:49]
文●ツルシカズヒコ
日蔭茶屋事件後、半年くらいの間、大杉は「神近の怨霊」をよく見たという。
……夜の三時頃、眠つてゐる僕の咽喉を刺して、今にも其の室を出て行かうとする彼女が、僕に呼びとめられて、ちよつと立ちとまつて振り返つて見た、その瞬間の彼女の姿だ。
毎晩ではない、が時々、夜ふと目がさめる。
すると其の目は同時にもう前の壁に釘づけにされてゐて、そこには彼女の其の姿が立つてゐるのだ。
そして、其のいづれの..
第209回 霊南坂 [2016/05/23 14:05]
文●ツルシカズヒコ
一九一六年七月十九日午後の列車で大阪から帰京した野枝は、七月二十五日に大杉と一緒に横浜に行き、大杉の同志である中村勇次郎、伊藤公敬、吉田万太郎、小池潔、磯部雅美らと会った(大杉豊『日録・大杉栄伝』)。
野枝と別れた辻は一時、下谷(したや)区の寺に寄寓していた。
野枝が第一福四万館で大杉と同棲していたころである。
ある日、野枝が寺を訪れ辻に面会したときのことを、宮嶋資夫は書き記している。
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第200回 福岡日日新聞 [2016/05/20 20:07]
文●ツルシカズヒコ
一九一六(大正五)年五月二十日、野枝は『福岡日日新聞』に掲載された「この頃の妾」を脱稿した。
叔父・代準介に宛てた手紙形式の原稿である。
『定本 伊藤野枝全集 第二巻』「この頃の妾」解題によれば、『福岡日日新聞』のはしがきには、こうある。
「新しい女として知られた雑誌『青鞜』伊藤野枝は五年間の結婚生活を弊履の如く棄て其夫辻潤と二人の子を棄てゝいよ/\新しい女に成り澄ましました。
斯して彼は..
第195回 青鉛筆 [2016/05/19 16:10]
文●ツルシカズヒコ
大杉からの五月六日の手紙に、野枝はこう返信した。
停車場を出ると、前の支店でしばらく休んで、それから宿に帰へりました。
帰つてからも室(へや)にゆくのが何んだかいやなので、帳場で話をして、それから室にはいると直ぐあの新聞を読んで、中央公論を読んで仕舞ひました。
思つたほど何んでもなかつたので、すつかりつまらなくなつて室中を見まはしました。
何も彼も出かけた時のままになつてゐます。
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第188回 白山下 [2016/05/18 13:59]
文●ツルシカズヒコ
野枝はそのころの自分の感情や考えを、青山菊栄にもうまく話せていなかったようだ。
菊栄はこう書いている。
其頃(※一九一六年春ごろ)から例の大杉さんを中心に先妻と神近市子氏と野枝さんとが搦(から)み合つた恋の渦巻が捲き起こつたのであるが、私は大杉さんの野枝さんに対する強い愛情は知り抜いてゐたものの、野枝さんの方であゝ難なく応ずるとは思はなかつた。
そして大杉さんの傍若無人な態度を片腹痛く思つてゐた矢先、野枝..
第187回 桜川 [2016/05/17 21:44]
文●ツルシカズヒコ
そして、弥生子はふとあることを思い出した。
それはつい二、三日前、弥生子の耳に入った野枝が大杉と親密な関係だという噂だった。
そんなことはありえないと考えていた弥生子は、冗談のつもりで言った。
「あなたはM(※大杉)さんと大層仲のいゝお友達だつてことを聞いてよ。本統ですか。」
「何を云つてるのですかね。下らないこと。」
一言の許に斯う笑ひ捨てられるのを予期しながら。
ー..