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2016年09月08日

第344回 百円札






文●ツルシカズヒコ




 野枝は『労働運動』二次十二号(一九二一年六月四日)の外国時事欄に「英国炭坑罷業形勢一転す」を書いた。

 一九二一(大正十)年六月十一日、神田区美土代(みとしろ)町の東京基督教青年会館で、赤瀾会主催の婦人問題講演会が開催された。

堺真柄嬢演壇に立ち 警官の眼物凄い 久津見秋田石川氏の演説に 目を瞑つてゐた官憲も」という見出しで、 『読売新聞』が報じている。

 講演会は午後一時から始まったが、聴衆は学生が主で婦人は七百名ほど、満場立錐の余地もないほどの盛況だった。

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 久津見房子嬢先づ開会の辞を述べ、藤森成吉氏の演説に次いで堺真柄嬢が『旗持(はたもち)の役』と題して旗持をして難関の先駆(せんく)をやると云つただけで拍手を浴びる、

 曽根貞代子は中止を喰つたので平林初之輔君が起(た)つ頃から聴衆が弥次戦をやり喧騒を極め始めた

 伊藤野枝子は『婦人問題の難関』で手際よく終り

 守田有秋の後に起(た)つた山川菊栄女史は『各国資本家はロシアに資金を送り革命を一層盛んに勃発させんとした』と迄話を進めた時中止を命ぜられ警官横暴の叫びと万歳の声の中に四時五十分無事閉会した


(『読売新聞』1921年6月12日)


「曽根貞代子」は「仲宗根貞代」の誤記だろうか。





 六月二十二日、中国基督教青年会館でコスモ倶楽部主催の留日学生を対象にした講演会が開催され、野枝も講演をした(大杉豊『日録・大杉栄伝』)。

 六月二十五日、第二次『労働運動』が十三号をもって終刊になった。

 大杉の代わりに上海に行った近藤栄蔵が帰途、下関で警官に捕まる失態を演じ、かつ堺と山川らは大杉に内密でコミンテルンと接触し始めたことが判明、加えて『労働運動』の発行・編集人である近藤憲二が入獄したからである。

 これによりアナ・ボルの共同戦線は崩壊した。

 近藤憲二『一無政府主義者の回想』によれば、近藤は第二回メーデーで槍のついた旗竿で巡査の目を突いたという、デタラメの言いがかりでまず市ヶ谷監獄に引っ張られ、傷害罪は不起訴になったが、そのかわりにチラシまきの出版法違反で起訴された。

 近藤は五月九日に保釈になったが、六月二十六日に保釈が取り消され、東京監獄に入獄した。

 禁固三ヶ月だった。





 大杉が週刊(第二次)『労働運動』を出していたころの思い出を、加藤一夫が書いている。

 当時、加藤一家は小田原在の網一色に住んでいた。

 大杉一家は鎌倉に住んでいたが、大杉と野枝が魔子と辻一(まこと)を連れて、加藤の家に遊びに来たことがあったという。

 加藤は一(まこと)のことを「まあちゃん」と書いている。

 仕事を離れた大杉は、まったく人の好いお父さんだったという。


 僕等は僕のあばら家の二階で、(しかしそれは素敵に見晴しのいゝ、気持のいゝ二階だつた)サイダアやビールを飲みながら話し合つた。

 大杉君はサイダア、僕と野枝さんと僕の妻はビール、そして子供達には花火をあてがつておいた。

 僕は東京の家を若い主義者達にあらされたこと、大杉君は労運の事務所をさうした人々に襲撃されて弁当代だけでも並大抵でない、それはまだよいとして、泊り込まれるのが一番閉口だと云つたやうなことを話し合つたことくらいが思ひ出される。


(加藤一夫「大杉も知らずに死んだこと」/『自由と祖国』1925年9月号)





 当時、大杉と野枝は景気がよかった。

 ふたりとも売れっ子の物書きだったのである。

 小田原駅から加藤の家まで自動車でやって来て、帰りも自動車で帰って行った。

 大杉が自動車賃を払うのに百円札を出したというようなことが、新聞に載り、湘南地方の人々にも大杉と野枝はなかなかの有名人だったようだ。

 加藤の尾行も「大杉君はずいぶん金まわりがいいんですね」と感心していたという。

 加藤にはいつか大杉に会ったら話して聞かせようと思っていたことがあったが、それを果たす前に大杉は虐殺されてしまった。


 それは、後から僕の専属になつた尾行の一人が、その時、自動車の運転手になりすまして、ナポレオン帽みた様な帽子を被つて運転台に乗り込んで、ひそかに大杉夫妻の談話を盗みぎゝして居たことだ。

 それは僕も知らなかつたのだ、後からその尾行からきいた話だ。

『あのとき運転台に背の高い男が居たでせう、あれが私でした』と彼は云つた。

 大杉君も恐らくそれには気がつかなかつたらう。


(加藤一夫「大杉も知らずに死んだこと」/『自由と祖国』1925年9月号)





 野枝は『中央法律新報』七月号の「婦人の法律観」アンケートに回答している。


 私は法律と云ふものにまるで信用をおきません。

 したがつてあなたの方のお尋ねに対してはお答えするものを持ちません。


(「婦人の法律観」/『中央法律新報』1921年7月1日・第1年第11号/『定本 伊藤野枝全集 第三巻』_p295)


『改造』夏期臨時号(一九二一年七月十五日・第三巻第八号)は「社会講談」特集だったが、野枝は「火つけ彦七」を寄稿した。



★大杉豊『日録・大杉栄伝』(社会評論社・2009年9月16日)

★近藤憲二『一無政府主義者の回想』(平凡社・1965年6月30日)

★『定本 伊藤野枝全集 第三巻』(學藝書林・2000年9月30日)



●あきらめない生き方 詳伝・伊藤野枝 index



posted by kazuhikotsurushi2 at 21:29| 本文
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1955年生まれ。早稲田大学法学部卒業。『週刊SPA!』などの編集をへてフリーランスに。著書は『「週刊SPA!」黄金伝説 1988〜1995 おたくの時代を作った男』(朝日新聞出版)『秩父事件再発見』(新日本出版社)など。
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