新規記事の投稿を行うことで、非表示にすることが可能です。
2016年09月05日
第343回 花札
文●ツルシカズヒコ
「男女品行問題号」である『女の世界』六月号は、アンケートへの回答も掲載した。
「良人が不品行をした場合、妻は如何なる態度を採るべきでせうか? その場合妻も亦良人と共に不品行をする事を許されるでせうか?」という質問を葉書で出し、その回答を求めたのである。
四十七名が回答を寄せているが、野枝も回答している。
野枝の肩書きは「社会主義者 大杉栄氏同棲者」である。
不品行といふのが、どんな事をさすのか知りませんが、一緒にゐる人間が自分の気に入らない不愉快な行為をし、それがどうしても我まんが出来なければ、早速別れることです。
いろんな事情で別れる事が出来なければ、我まんする事です。
その二つより他にしかたはないようですね。
こんな問題の返事をハガキで取るなどは大間違ひです。
(「良人がもし不品行をしたなら……?」/『女の世界』1921年6月号・第7巻第6号/『定本 伊藤野枝全集 第三巻』p_275)
野枝は『女の世界』(実業之世界社)編集部の安易な「葉書アンケート」を叱責しているが、同誌の名編集者だった安成二郎は二年ほど前に実業之世界社を退社し、読売新聞社に転じていた。
♬わたしゃ水草 風吹くままに
♪流れ流れて 果て知らず
♩昼は旅して 夜は夜で踊り
♫末はいずくで 果てるやら
これは北原白秋・作詞、中山晋平・作曲、『さすらいの唄』の四番の歌詞だが、矢野寛治『伊藤野枝と代準介』によれば、野枝はよくこの歌詞を口ずさんでいたという。
一九一七(大正六)年、島村抱月の芸術座がトルストイ『生ける屍』を上演したが、『さすらいの唄』はヒロインを演じた松井須磨子が歌った劇中歌だった。
『さすらいの唄』はレコード化されヒットした。
大杉一家が鎌倉に住んでいたころのある思い出を、近藤憲二が書き記している。
大杉と野枝は夫婦仲がよかった。
いつも、オシドリのように一緒だったが、たまには喧嘩もした。
喧嘩になるきっかけは、たいてい根も葉もないつまらぬことだった。
ある日のことだった。
そのときは、みんなで花札を引いていた。
「あら、あなた、いま菊をうつ手はないでしょう」
「いいじゃないか」
「いいじゃあじゃ(ママ/筆者註/「いいじゃないかじゃ」の誤記であろう)ありません。あちらに青ができかかっているんですよ」
「知ってるよ」
「知っててうてる訳ないじゃありませんか」
「いいんだよ。それッ! あッ、しくじった! 僕にも野心があったんだがなア……」
「あなたはいつでも、そんな無茶ばかりする」
「無茶じゃないよ、計画がはずれただけさ。そこがおもしろいんだ」
「おもしろいもないもんだ。第一そんなルールってありゃしない」
「ルールもヘチマもあるもんか」
「あなたはエゴイストだ」
なおも二こと三ことを言い争っていたが、
「じゃやめりゃいいだろう」といって、大杉が花札を片づけてしまった。
まあこういった、つまらないきっかけからだ。
(近藤憲二『一無政府主義者の回想』_p122~123)
喧嘩になると、ふたりとも口をきかなくなった。
一日でも、ときには二日でも三日でも口をきかない。
食事のときなど、二人ともほかの者とは普通に話すが、お互いは黙っている。
大杉が野枝さんをからかい半分に、私たちにわざと面白おかしい話をする。
野枝さんは笑いたくも、じっと我慢して、一層むずかしい顔をする。
結局、二日目か三日目には大杉の方が負けて、先に口をきく。
そういう点では野枝さんの方がねばった(おかしな話をして、ご免なさい)。
(近藤憲二『一無政府主義者の回想』_p123)
「おかしな話をして、ご免なさい」と近藤は書いているが、喧嘩をして口をきかなくなるなんて、まるで子供みたいで、なんとも微笑ましい逸話ではないか。
おそらく花札の才は野枝の方が大杉より数段上だったのであろう。
高い手を仕込んでいた野枝さんは、大杉の「場を読めない」下手さにカッとなったのであろう。
★『定本 伊藤野枝全集 第三巻』(學藝書林・2000年9月30日)
★矢野寛治『伊藤野枝と代準介』(弦書房・2012年10月30日)
★近藤憲二『一無政府主義者の回想』(平凡社・1965年6月30日)
●あきらめない生き方 詳伝・伊藤野枝 index
第342回 男女品行問題号
文●ツルシカズヒコ
一九二一(大正十)年五月九日、神田区美土代(みとしろ)町の東京基督教青年会館で、日本社会主義同盟の第二回大会が開催された。
五月十日『東京朝日新聞』によれば、官憲の厳重な警戒の中、午後五時半に開場、場内は三千の聴衆で埋まった。
午後六時、司会の高津正道が二言三言口にすると、錦町署長から中止解散命令が発せられ、検束者は四十名を超えた。
神田区北甲賀町の駿台倶楽部内の労働運動社は、官憲に厳重に警戒され、大杉、和田久太郎、中名生幸力(なかのみょう-こうりょく)らは、社会主義同盟第二回大会に駆けつけることができないでいた。
大杉の「主義のために勇ましく繰り出せ」のひと声で強行突破を図ったが、すぐに警官に包囲され西神田署に検束された。
鎌田慧『大杉榮 自由への疾走』(岩波現代文庫_p384)によれば、二年後に「虎ノ門事件」を起こす難波大助が、この日本社会主義同盟第二回大会を傍聴、警官たちの横暴に「憤慨の絶頂に達し」たという。
五月十九日、大杉は宮嶋資夫宛てに手紙を書いているが、その中に「先日岩田富美夫と云ふ人が訪ねて来た。どう云ふ人か君知らないか。神近を知つてゐるやうな口ぶりであつた」という一文がある。
『大杉栄 伊藤野枝選集 第十四巻 大杉栄書簡集』によれば、岩田は北一輝が創立した猶存(ゆうぞん)社同人、同社解散後には大化会を主宰したが、大杉の葬儀の際に遺骨を奪ったのは大化会の岩田の配下の者だった。
『女の世界』六月号は「男女品行問題号」だったが、野枝は「貞操観念の変遷と経済的価値」(『定本 伊藤野枝全集 第三巻』)を寄稿した。
〈二〉以下はシャルル・ルトゥルノー『男女関係の進化』引用をもとに論が進められている。
シャルル・ルトゥルノー『男女関係の進化』は、大杉が翻訳し一九一六年十一月に春陽堂から刊行されたが、日蔭茶屋事件の直後の出版だったので訳者は「社会学研究会」となっている(大杉豊『日録・大杉栄伝』)。
以下、抜粋要約。
〈一〉
●なぜ貞操が婦人の根本道徳なのか? 誰にでもすぐ答えられそうでなかなか答えられないのです。
●婦人の貞操が神聖なものだと朝から晩まで教えている人たちでも、結婚の一大資格であり、結婚後は夫に対する重大義務であるとしか答えられないのです。
●たとえば、貞操というものそれ自体にはなんの神聖な意味はないという主張に対しても、彼らは明確な反対意見を述べることはできないのです。
●結婚は女にとって一生の生活の保証を得ることですが、貞操はその結婚という経済的契約に第一に問題にされます。
●かつて女は男の一財産でしたが、現在までに発達してきた財産私有制の経済も、やはり女という財産を管理するのに抜け目のない仕組みになっているのです。
●女が財産として取り扱われてきた歴史的な証拠はたくさんあり、現在もなおその習慣が残されていますが、それが現在でも顕著に残されている野蛮人の例を挙げて実証してみたいと思います。
〈二〉
●シャルル・ルトゥルノー『男女関係の進化』は、蒙昧(もうまい)人も文明人も一様に持っている男女関係のさまざまな風習を集め、興味深い事実をたくさん紹介しています。
●婦人が財産視された最も適切な例、原始社会の掠奪結婚から始めて服役結婚、売買結婚についても多くの事実を挙げています。
※野枝は『男女関係の進化』からその実例を引用している。
〈三〉
●これらのむき出しな事実に対して、現代の教養ある婦人たちはあり得ないことと考え、眉をひそめることでしょう。
●しかし、今日ですら、私たちの眼前で行なわれている結婚の中にどれほど多くの売買結婚があるでしょう。
●結納というのは何を意味するのでしょうか?
※野枝は『男女関係の進化』を引用し、一夫多妻は階級社会になると富者と権力者の特権になるーーなどの分析を紹介している。
〈四〉
●夫婦関係の様式は、蒙昧野蛮な一夫多妻から法律や宗教で認められた一夫多妻になり、さらに進んで一夫一婦制になりましたが、女の地位は低いままです。
●一夫一婦制になるまでには、蒙昧人の間のような家畜と同じような扱いではなくなり、少しは自由になりましたが、女が自活できずに結婚によって一生の生活の保証を得なければならない間は、結婚は経済的取り引きなのです。
●淫売は女の体が経済的物品であることの露骨な証拠です。
●教養ある上中流婦人たちは淫売婦を賎しみ憐れみますが、しかし、多くの夫ある婦人たちと淫売婦との差異は五十歩百歩なのではないでしょうか。
●誰が教養ある貴婦人になり、誰が淫売婦になるのでしょう? ただ不平等な境遇の差異のみではないでしょうか。
〈五〉
●人類の文明が進むにつれ、平等だった人間と人間の間に階級ができ、権力が生まれ、道徳ができ、法律ができ、宗教が生まれて、風俗や習慣に大きな変動が起きました。
●社会が規則立てられ、第一に規則立てられたのは財産に対する権利、所有権です。男の所有物である女も所有権の対象になりました。
●姦通は所有者の許可を得ずに女という物を使用する窃盗、すなわち泥棒ですが、姦通罪は盗まれた物である女にだけ科せられた、社会的な強者である男に都合の好いだけのまことにおかしな刑罰です。
●合理的な一夫一婦制が一般的になった社会では、露骨に女を財産視することはなくなりましたが、やはり妻に盗難の手がおよばないうような企てを男は怠らなかったのです。
●男は輿論と法律を味方にしました。
●女に守らせる道徳を作り、それに無上の権威を持たせたのが輿論です。そしてそれを宗教が味方します。
●こうした男が身勝手に構築した制度に何も不満を言わず屈従するのが、女の大事な道徳なのです。
●そして、これが貞操の正体なのです。
●男にとって大切な女に守らせなければならない道徳が貞操であり、女にとっては男の保護を得るためには、ぜひ守らなければならない道徳なのです。
〈六〉
●私は人間社会のあらゆる人為的な差別が撤廃され、人間の持つあらゆる奴隷根性が根こそぎにされなければならないという理想を持っています。
●婦人たちの心から、貞操という奴隷根性を引き抜かねばならぬと主張する者です。
●もう野蛮な時代ではなくなりました。進化は休みなく歩み続けています。
●私たち先祖の野蛮な習慣や風俗は、現在の法律や道徳に痕跡を残していますが、進歩した理知や感情は不合理を残すところなく駆逐しようと努力し、私たちの生活は一日一日向上しています。
●少数の勇敢な婦人たちは、女の隷属的地位から逃れようと努力しています。
●世界の文明国の婦人たちは、ほぼ男子と同等の地位にまで近づいて来ました。
●結婚も奴隷契約ではありませんし、娘たちの選択もだいぶ自由になってきました。
●貞操は必要ないと私が主張するのは、結婚は当人同士の自由合意のものだということを前提にしているからです。
●貞操という道徳がなぜ生まれたのか、それがどんな役目を果たしてきたのか。それを理解するならば、私のこの主張は当然のことなのです。
●貞操という規範がなくなっても、男が不自由するわけでもなく、女が放縦になるわけでもありません。
●私のこの主張に憤慨する人は、守銭奴が金を大事にしまっておくように、女をしっかりとしまっておきたい人です。
〈七〉
●世界の文明国では多数の婦人が男子と同様に働いて自分を養っています。しかし、彼女たちのどれほどが「完全にひとりの力」で暮らしているでしょう?
●そしてその職業婦人が世界中の妻君の何割りに当たるでしょう?
●男の庇護の下に一生の保証を得るのが、さしあたっての利巧な方法だということに帰結します。
●たまたま親や男の庇護を受けることのできない娘たちが、働こうすれば、ちょうど蒙昧人が家畜のように姉妹をひと束にして買ったように、資本家によって牝牛一匹の半値くらいで買い取られるのです。
●文明も進歩も、弱者にはなんの変化ももたらしませんでした。
●どれほど立派な技量を持った職業婦人でも、男の気紛れを峻拒する気概を持った人には充分な報酬は与えられないのです。
●人類は蒙昧時代から現在の恐るべき文明まで、非常な進歩発展をしてきました。女の地位もそれにつれて向上はしてきましたが、男が女に対して持つ力にはなんの変わりもないのです。
●そして女は思想の向上から、思想と現実の矛盾に悩みます。最も苦しむのは自覚した職業婦人です。
●すべての婦人が男の庇護を受けず、自分の正しい働きによって生きることができるようになるには、どうすればよいのでしょう?
●私の答えはひとつしかありません。
●少数の人々が多数の人間の労力を絞りとって財産を作る、そしてその財産の独占が権力を築くという不当な事実がある間は、男にも女にも自由は来ません。
〈八〉
●繰り返して言います。道徳も法律も宗教もない混沌とした蒙昧野蛮な時代から、男が主人で女は奴隷でした。
●男が所有主で女は財産でした。
●今日の文明でも、女は従属的、屈辱的な地位であることに変わりはありません。
●今でも女は体を提供して、男からの生活の保証を得るより生きる道はないのです。ひとりの男に一生を捧げるか、そうではないかの差異はありますが。
●文明国の法律や道徳や宗教や哲学などが、女の地位を弁護していることは事実です。
●しかし、政治、法律、道徳、宗教、哲学、その他のあらゆる知識がすべて資本主義のために働き、それに都合のいい基礎を作り上げたのです。
●この仕組みを根底から変えなければ、人間の真の解放はあり得ません。
★鎌田慧『大杉榮 自由への疾走』(岩波現代文庫・2003年3月14日)
★『大杉栄 伊藤野枝選集 第十四巻 大杉栄書簡集』(黒色戦線社・1989年5月10日)
★大杉豊『日録・大杉栄伝』(社会評論社・2009年9月16日)
★『定本 伊藤野枝全集 第三巻』(學藝書林・2000年9月30日)
●あきらめない生き方 詳伝・伊藤野枝 index