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第354回 暁民共産党事件 [2016/09/18 23:28]
文●ツルシカズヒコ
暁民共産党事件が起きていた、一九二一(大正十)年十一月十二日、大杉は朝早く大森の山川の家を訪ねた。
「やあ、どうだい」
「うん、相変わらずだ」
ふたりは、十幾年かの間、繰り返してきたこのお定まりの挨拶を交わした。
ベルトのついた茶色の外套を着た大杉は、バスケットを提げ、珍しく魔子を連れていなかった。
「ひとりなのかい?」
「なに、今日は奥山さんにお詣りだ」
「菊栄君にはず..
第342回 男女品行問題号 [2016/09/05 19:56]
文●ツルシカズヒコ
一九二一(大正十)年五月九日、神田区美土代(みとしろ)町の東京基督教青年会館で、日本社会主義同盟の第二回大会が開催された。
五月十日『東京朝日新聞』によれば、官憲の厳重な警戒の中、午後五時半に開場、場内は三千の聴衆で埋まった。
午後六時、司会の高津正道が二言三言口にすると、錦町署長から中止解散命令が発せられ、検束者は四十名を超えた。
神田区北甲賀町の駿台倶楽部内の労働運動社は、官憲に厳重に警戒..
第330回 チブス [2016/08/22 14:16]
文●ツルシカズヒコ
伊藤野枝「大杉栄の死を救う」によれば、一九二一(大正十)年二月九日、大杉は有楽町の「病室」から午前中に鎌倉に行き、その晩は自宅に泊まった。
翌二月十日、天気がよかったので野枝、大杉、魔子、そして遊びに来ていた労働運動社の和田久太郎の四人は、馬車で金沢に遊びに出かけた。
金沢は当時、神奈川県久良岐郡(くらきぐん)金沢町、現在の横浜市金沢区である。
その日は馬車の窓を開けていても、ポカポカするような暖..
第327回 日本の運命 [2016/08/20 14:26]
文●ツルシカズヒコ
一九二一(大正十)年一月二十五日、週刊『労働運動』(二次一号)が発行された(日付は二十九日)。
タブロイド版、十頁(次号からは八頁)、定価は十銭、年間購読料は五円。
大杉豊『日録・大杉栄伝』によれば、発行部数は二千〜四千部。
一面トップには大杉が書いた社説「日本の運命」と約四千字の英文欄「THE RODO UNDO」があり、「THE RODO UNDO」は日本の労働運動を海外に紹介するためのも..
第326回 駿台倶楽部 [2016/08/18 11:49]
文●ツルシカズヒコ
一九二一(大正十)年一月中旬ころ、有楽町の労働運動社の仮事務所に、林倭衛と広津和郎が突然、訪ねて来た(大杉豊『日録・大杉栄伝』)。
ふたりはその日の夜、雨が降る中、銀座を散歩していたが突然、義太夫を聞きたくなった。
食わず嫌いだった林に、義太夫の魅力を伝授したのは広津だった。
林は西洋音楽に対してかなりの熱情をもっていた。
そんなに豊であるはずがない西洋画家生活の間に、ビクタア..
第325回 週刊『労働運動』 [2016/08/18 11:26]
文●ツルシカズヒコ
大杉豊『日録・大杉栄伝』によれば、一九二一(大正十)年一月八日、大杉は神田の多賀羅亭で開催されたコスモ倶楽部の懇親会で講演した。
一月十一日、大杉が借りた有楽町の病室兼仮事務所で、週刊『労働運動』(第二次)の編集方針の協議が行なわれた(『日録・大杉栄伝』)。
『近藤栄蔵自伝』によれば、栄蔵は靴店の仕事を妻に任せ上京した。
事務所は有楽町の数寄屋橋と省線ガードとの中ほど、日本劇場の筋向かいに建つ木造四階建..