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第156回 同窓会 [2016/05/09 20:30]
文●ツルシカズヒコ
一九一五(大正四)年四月ごろ、野枝は上野高女の同総会に出席した。
上野高女は校舎移転改築のため銀行から資金を借り、校舎の外観が整い入学者が増えるにつれて、資本主の干渉が始まった。
その対立の末「創立十周年の記念日を期し」て多くの教職員とともに佐藤政次郎(まさじろう)教頭と野枝のクラス担任だった西原和治も上野高女を辞職した。
同窓会も母校と絶縁し、佐藤を中心とする温旧会を結成した。
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第112回 妙義神社 [2016/04/23 20:07]
文●ツルシカズヒコ
一九一四(大正三)年六月、らいてうと奥村は北豊島郡巣鴨町一一六三番地から、北豊島郡巣鴨町上駒込四一一番地に引っ越した。
青鞜社の事務所の住所もここに移ったことになる。
野枝の家とは道路ひとつ隔てた妙義神社前の貸家だった。
野枝が家事の苦手ならいてうに、炊事を引き受けてもよいと申し出たからである。
らいてうが月十円の実費を持ち、野枝のところに昼と夜の食事をしに行くことになった。
そのころ..
第35回 出奔(七) [2016/03/21 21:33]
文●ツルシカズヒコ
野枝が出奔したのは一九一二(明治四十五)年四月だったが、その二年後『青鞜』に「S先生に」を寄稿し、出奔したころの上野高女の教頭・佐藤政次郎(まさじろう)の言動を痛烈に批判している。
佐藤に対する批判の要点を現代の口語風にまとめてみた。
先生は倫社の講義中、興奮すると腐敗した社会を罵倒しました。
先生の講義によって、半眠状態だった私の習俗に対する反抗心が目覚めました。
私は先生に教わった..
第34回 出奔(六) [2016/03/21 19:12]
文●ツルシカズヒコ
野枝は上野高女のクラス担任だった西原和治が送ってくれた、電報為替で旅費を工面し上京した。
上京したのは「十五日夜」に辻が書いた手紙が福岡についた後であるから、一九一二(明治四十五)年四月二十日ころだろうか。
とにかく、野枝としてはぐずぐずしていると拘束されてしまうので、できるだけ迅速に東京に旅立ちたかっただろう。
上京した野枝は北豊島郡巣鴨町上駒込四一一番地の辻潤宅に入った。
辻はその家で..
第16回 上野高女 [2016/03/17 14:10]
文●ツルシカズヒコ
野枝が私立・上野高等女学校に在籍していたのは、一九一〇(明治四十三)年四月から一九一二(明治四十五)年三月である。
当時の上野高女はどんな学校だったのか、そして野枝はどんな生徒だったのだろうか。
『定本 伊藤野枝全集 第二巻』「月報2」に、野枝と同級生だったOGふたりの文章が載っている。
一九六七(昭和四十二)年一月に発行された、「温旧会」という上野高女同窓会の冊子『残照』に掲載された寄稿を..