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第238回 評論家としての与謝野晶子 [2016/06/04 14:23]
文●ツルシカズヒコ
野枝は『新日本』三月号(第七巻第三号)に「評論家としての与謝野晶子氏」(『定本 伊藤野枝全集 第二巻』)を発表した。
作家としてはともかく、「評論家としての与謝野晶子」の批評であり、痛烈な批判だった。
婦人問題に関する発言において大御所的存在だっただろう晶子は当時、三十九歳。
『定本 伊藤野枝全集 第二巻』解題によれば、晶子は『太陽』一九一六年十二月号「婦人界評論」の「一人の女の手紙」で、大杉を..
第217回 キルク草履 [2016/05/26 19:44]
文●ツルシカズヒコ
神近市子が日蔭茶屋事件について言及している、以下の三つの資料に沿って、この事件に迫ってみたい。
●『引かれものの唄』
●「豚に投げた真珠」(『改造』1922年10月号/『神近市子文集1』)
●『神近市子自伝 わが愛わが闘争』
逗子の警察に自首した神近は横浜根岸監獄に収監されたが、一九一七(大正六)三月七日に保釈になった。
神近の控訴審判決が出たのは、同年六月十七日だった..
第206回 野狐さん [2016/05/22 17:34]
文●ツルシカズヒコ
……永代静雄のやつてゐるイーグルと云ふ月二回かの妙な雑誌があるね。
あれに面白い事が書いてある。
自由恋愛実行団と云ふ題の、ちよつとした六号ものだ。
『大杉は保子を慰め、神近を教育し、而して野枝と寝る』と云ふやうな文句だつた。
平民講演の帰りに、神近や青山と一緒に雑誌店で見たのだが、神近は『本当にさうなんですよ』と云つてゐた。
青山は、あなたが僕に進んで来て以来、僕等の問題に就いては..
第193回 パツシヨネエト [2016/05/19 14:26]
文●ツルシカズヒコ
一九一六(大正五)年五月三日、野枝は大杉から三通目の手紙を受け取った。
……三十日と一日の二通のお手紙が来ている。
本当にいい気持になつて了つた。
僕はまだ、あなたに、僕の持つてゐる理窟なり気持なりを、殆ど話した事がない。
それでも、あなたには、それがすつかり分つて了つたのだ。
二ケ月と云ふものは、非常な苦しさを無理に圧へつつ、全く沈黙してあなたの苦悶をよそながら眺めてゐた..
第188回 白山下 [2016/05/18 13:59]
文●ツルシカズヒコ
野枝はそのころの自分の感情や考えを、青山菊栄にもうまく話せていなかったようだ。
菊栄はこう書いている。
其頃(※一九一六年春ごろ)から例の大杉さんを中心に先妻と神近市子氏と野枝さんとが搦(から)み合つた恋の渦巻が捲き起こつたのであるが、私は大杉さんの野枝さんに対する強い愛情は知り抜いてゐたものの、野枝さんの方であゝ難なく応ずるとは思はなかつた。
そして大杉さんの傍若無人な態度を片腹痛く思つてゐた矢先、野枝..
第178回 欧州戦争 [2016/05/16 11:20]
文●ツルシカズヒコ
『青鞜』一九一六年二月号に野枝は「白山下より」を書いた。
地方在住の『青鞜』の読者が家出をして青鞜社社員の家に転がり込むケースがあったと、平塚らいてうも『元始、女性は太陽であった 平塚らいてう自伝(下巻)』(p572)に書いているが、「白山下より」によれば、野枝もそういうケースに遭遇していたことがわかる。
前年の秋ごろまで原田皐月を頼って家出をした女性がいた。
いろいろあって、その女性は皐月の家..