2016年05月16日
第178回 欧州戦争
文●ツルシカズヒコ
『青鞜』一九一六年二月号に野枝は「白山下より」を書いた。
地方在住の『青鞜』の読者が家出をして青鞜社社員の家に転がり込むケースがあったと、平塚らいてうも『元始、女性は太陽であった 平塚らいてう自伝(下巻)』(p572)に書いているが、「白山下より」によれば、野枝もそういうケースに遭遇していたことがわかる。
前年の秋ごろまで原田皐月を頼って家出をした女性がいた。
いろいろあって、その女性は皐月の家を出た。
今宿の実家に長期滞在することになった野枝は、辻の妹夫婦に留守宅のことを頼んだが、皐月の家を出た女性が野枝が断ったにもかかわらず、その留守宅に転がり込んできた。
野枝たちは前年十二月初旬に帰京したが、その女性はしばらく野枝たち一家と同居していた。
自身が出奔し辻の家に保護されたという体験があるので、野枝はそういう女性にできるだけ力になってやりたいとは思っていたが、他人の家を頼り「自分の標榜している生活と合はない」となると、引き受け先の家を出るといった彼女たちの安易さに釘を刺している。
私達はでもその人たちが多少物の道理の分つた人たちだと思ひますので出来る丈け寛大に遠慮しながら用事も頼み、一つの食物もわけて食べる位にしてゐるのです。
処がその人たちは、非常な傲慢なのです。
……少し用事が重なつたりすると直ぐに自分の自由を束縛されると云ふやうな不快な顔をして仕舞ひます……。
私はつく/″\さう云ふ人を置く事にこりました。
(「白山下より」/『青鞜』1916年2月号・第6巻第2号/『定本 伊藤野枝全集 第二巻』_p316)
実例を挙げて書いたのは、彼女個人の批判というより、野枝を頼って家出をし上京したいという手紙を野枝が多く受け取っていたので、そういう家出志願者への回答である。
『青鞜』同号に掲載された青山菊栄「更に論旨を明かにす」は、『青鞜』前号の野枝の「青山菊栄様へ」の反論である。
『青鞜』同号で野枝も「再び青山氏へ」を書き「更に論旨を明かにす」に反論した。
権力階級が造った社会制度は長い時を費やして今に到っているので、その革命もそれと同じ長さの努力の歴史なくしては成功しないと、野枝は書いた。
野枝は「時」を問題にしている。
私の「時」と云ひ、また運命と云ふのは恐らくあなたの考へてお出になるよりもつと広い意味であるらしく思はれます。
私の運命と云ふのは、人間のすべての営みと云ふものも皆ずつと高い或る意力によつて動かされてゐるのであるとしか思へません。
人間生活のすべての基調となつてゐる、真とか、美とか云ふ観念も実は私達に知れない目的の為めに働いてゐるより高い意力の働きではないかと私には思はれるのです。
私は与へられた「生」を与へられた意力によつて出来る丈け歩みつづけさせやうと思ひます。
であなたは私の運命論を徹底させれば努力が無意義になり意志と云ふものが無いも等しいのだと仰云います。
つまりはさうなります。
人間が或意思をもつてゐることは確かですが、更に高い意力がそれを支配してゐると云へば無いも同然です。
すると私は何の為めに生きてゐるかゞ分らなくなります。
かうやつて、そんな事を考へる事でさへ矢張りその支配下にあるのです。
それで私は不可抗力と云ひました。
私はそれを絶対と云ひます。
それで人間の意志と云ふやうなものを全然独立した働きだと見てそれですべてをしやうとしてこの考へにぶつかれば一度は信念と云ふものもぐらつきます。
併し都合のいゝ事には、人間は始終そんな根本問題ばかりに頭をなやましてゐる事が出来ないやうな生活状態にあります。
此処に、私とあなたとの考え方の根本の差異があります。
私は何時でもその絶対と云ふ力を後に自分の生活を出来るだけよくして行きたい思ふのです。
ですから、私は先づ自分の意力を出来る丈け自分の為めにのみ駆使したいと思ひます。
そうして……若し……自分の生活が自然に他人のそれを啓発することが出来れば私にはこれは立派な一つのよろこびであります。
私が自分の感想をーー貧しい、下らないーーでも発表すると云ふのは、その意に他ならないのであります。
私は現在の社会制度に対しては、あなたと同様に不平と不満と憤激をもつてゐます。
或はあなた以上にもつと反抗心を持つてゐるかもしれません。
幸か不幸か、私は人間の親になりました。
私は子供を出来る丈け、幸福に、立派に育てたいと云ふ本能の為めに、先づ自分と云ふものから省みて行かなければならなくなりました。
けれども私の頭の中から、全然その不平や不満が逃げた訳でなく……子供達の為めにまた社会制度にぶつからねばならないのです。
(「再び青山氏へ」/『青鞜』1916年2月号・第6巻第2号/『定本 伊藤野枝全集 第二巻』_p319~321)
『青鞜』同号の「新刊紹介」で野枝がピックアップした本は以下。
●大杉栄『社会的個人主義』
●福田正夫詩集『農民の言葉』
●吉江狐雁『神秘主義者の思想と生活』
●『女性中心説』(レスター・ウォード著/堺利彦解説)
●山崎俊夫『童貞』
●厨川白村(くりやがわ・はくそん)『狂犬』
『青鞜』同号「編輯室より」から野枝の言葉を拾ってみる。
●欧州戦争の為めに洋紙の価が非常に高くなりまして此の頃では以前の倍高くなりましたので情ない私の経済状態では思ふやうな紙も使ひきれなくなりましたので今月からはずつと質をおとしましたけれども、その価の点では以上(ママ)のいゝ紙よりまだ高い位です。
●大阪毎日新聞へ「雑音」として今書いてゐますのは私としては非常に自分でもいやでたまらないものです。
もつともつと書けるつもりで居りましたのですが十分の一もかけません。
●野上さんがこれから本号にお出し下すつた題で続けていろ/\なものを書いて下さるさうで御座います。
来月号は哥津ちやんも久しぶりで書いて下さることになつてゐます。
(「編輯室より」/『青鞜』1916年2月号・第6巻第2号/『定本 伊藤野枝全集 第二巻』_p322~323)
と、野枝は「編輯室より」に書いたが、『青鞜』はこの一九一六年二月号(第六巻二号)をもって終刊になった。
終刊号は一九一一年九月創刊号から通算して五十二冊目の『青鞜』だった。
『青鞜』の終刊と入れ替わるように『婦人公論』が一月に創刊された。
野枝は『婦人公論』二月号に「男性に対する主張と要求」を書いた。
「今後の婦人問題」について書いてほしいという原稿依頼だったようだ。
野枝はこんなふうな論旨の原稿を書いた。
男の奴隷にされてしまった女が、男と同等の地位や自由を得るために行動を起こしたのが『青鞜』であり、「婦人問題」の始まりである。
そこに既得権を侵されるのではないかという危機を抱いた男側からの反動が生じた。
さらに「男と同等の地位や自由を得る」をはき違えた女が出現したために、新聞がそれを面白可笑しく報道するなどして、男側からの反動がさらに強くなった。
男の機嫌をとって生きるのが一番と考える女たちからは、『青鞜』を仇敵視されることにもなった。
今まで女は男に依存し男の言いなりに従って生きてきたので、今の女の不自由は必然なのです。
男が女を支配するために駆使する理屈の最終兵器が「習俗因習」です。
女がそれに反すると周りに多大な不利を生じさせ、結局は本人が不幸になるという理屈です。
しかし、そもそも人は自分の都合しか考えないものです。
釈迦もキリストもそうです。
「習俗因習」に従えという人は、それに従うことが自分にとって都合がいいからにすぎません。
自分の境遇に不満があっても、世間を敵に回す苦痛よりも、悧巧な人は現在の生活の安穏を選択する、それが日本の婦人の多数派です。
中には不満が募りそれが反抗心になり、家出をする女もいます。
しかし、たいていは自分の力を盲信していて、現実認識が不足していて、挫折を味わい、家出する前よりも苦痛が増します。
世間からは嘲笑され、「習俗因習」に従って生きた方がよいという例証になるだけです。
解放を叫んだ私たちが結婚をして子供を産んだことにより、世間は私たちが平凡は女に返ったと冷笑していますが、私たちは一歩一歩進むべき道を歩いて来たのです。
私たちは結婚や出産を忌避するというような表面的な解放を主張していたのではありません。
男や「習俗因習」の支配する結婚や出産や育児や家事を忌避し、自分の考えや意志でそれらをする当然の権利を要求したのです。
「今後」についてですが、私は未来予想などしてもあまり意味がないと思います。
過去の経過、現状を分析して、先はこうなると断言できるほど、世の中はロジカルではないと思います。
私は現在の生活の隅々にまで考えをめぐらせ、目前の問題をひとつひとつ解決していく中で、自然に新しい発見をしていきたいと思います。
固定した理論を持って誇っている人には不埒に見えるかもしれませんが、真実な歩み方、生き方をしょうとすれば当然のことです。
さて今後はどうなるかと云ふ問題ですが……。
私は未来に就いて深く考える事はしませんからこの位の処にしておきます。
何時でも未来に憧れる頭を現在にぢつとおちつける事は何の場合にも必要だと云ふことを繰り返して筆を擱(お)きます。
(五、一、一二)
(「男性に対する主張と要求」/『婦人公論』1916年2月号・第1年第2号/『定本 伊藤野枝全集 第二巻』_p336)
★『元始、女性は太陽であった 平塚らいてう自伝(下巻)』(大月書店・1971年9月6日)
★『定本 伊藤野枝全集 第二巻』(學藝書林・2000年5月31日)
●あきらめない生き方 詳伝・伊藤野枝 index
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