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第305回 出獄 [2016/07/25 11:03]
文●ツルシカズヒコ
一九二〇(大正九)年三月十五日、日本では株価が三分の一に大暴落し、欧州大戦後の戦後恐慌が始まった。
三月二十三日、大杉が三ヶ月の刑期を終えて豊多摩監獄から出獄した。
『読売新聞』は「昨朝 大杉栄氏 出獄す」という見出しで、こう報じている。
……昨日朝七時、伊藤野枝氏を始め同士廿数名に迎へられ革命歌に擁せられて出獄せり。
同氏は頤髭(あごひげ)蓬々(ぼうぼう)たれども極めて元気なりしと。
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第304回 ロシアの婦人運動 [2016/07/25 10:49]
文●ツルシカズヒコ
野枝は『改造』一九二〇(大正九)年三月号に「クロポトキンの自叙伝に現はれたるロシアの婦人運動」を書いた。
「クロポトキン思想批判」特集の中の一文であり、同特集には他に昇曙夢、片上伸、室伏高信、井箆節三が執筆している。
クロポトキン著、大杉栄訳『一革命家の思出』(春陽堂書店/一九二〇年五月)の第六節を中心にした紹介である。
クロポトキンの回想記『一革命家の思出』は、野枝に深い感激を与えたが、特に一八六..
第303回 豊多摩監獄(四) [2016/07/23 15:17]
文●ツルシカズヒコ
豊多摩監獄に入獄中の大杉が野枝に手紙を書いたこの日、一九二〇(大正九)年二月二十九日、野枝も大杉に手紙を書いた。
このころ野枝はツルゲーネフの『その前夜』『父と子』『ルージン』を読んでいた。
『その前夜』『ルージン』は田中潤訳、『父と子』は谷崎精二訳で新潮社から出ていた(いずれも重訳)。
ロープシン の『蒼ざめたる馬』(青野季吉訳/冬夏社)も読んだ。
先達(せんだつて)はツルゲネ..
第302回 豊多摩監獄(三) [2016/07/23 15:16]
文●ツルシカズヒコ
一九二〇(大正九)年二月八日、野枝は大杉に手紙を書いた。
いやなものが降り出して来ました。
監獄はさぞ冷えるでせう。
和田さんは先月末大阪に帰りましたが、どうも例の病気がよくないので弱つてゐます。
あの飛びまわりやさんが、歩く事がまるで出来ないのですから。
久板さんは相変らずコツ/\歩いてゐます。
皆んなまだウチにゐます。
もう半分すみましたね。
ずいぶ..
第301回 下婢 [2016/07/21 11:55]
文●ツルシカズヒコ
野枝は『労働運動』一九二〇年二月号(一次四号)に、「堺利彦論」の前編、および八面(婦人欄)に「争議二件」「閑却されたる下婢(かひ)」「友愛会婦人部独立」「消息其他」を書いた。
「争議二件」は富士瓦斯(がす)紡績押上工場の争議、相州平塚町の相模紡績の争議の短信である。
相模紡績について野枝は「女工虐待では有名な」と書いている。
「閑却されたる下婢(かひ)」の冒頭で、野枝はこう書いている。
婦人の労働..
第300回 教誨師 [2016/07/21 10:05]
文●ツルシカズヒコ
一九二〇(大正九)年一月二十二日、前年夏に豊多摩監獄に下獄した吉田一が出獄した。
行く先のない吉田は労働運動社に寄食することになった。
おしゃべりな吉田が獄中で唯一おしゃべりができるのが、教誨師の訪問を受けるときだった。
「だけんど、俺がたったひとつ困ったことがあったんだ」
吉田は博学な教誨師を無学な自分が論破した話を野枝にした。
あるとき教誨師が吉田に言ったという。
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