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第355回 直接行動論 [2016/09/20 08:59]
文●ツルシカズヒコ
大杉豊『日録・大杉栄伝』によれば、一九二一(大正十)年十二月四日、大杉は赤瀾会本部で開かれた親睦会に出席した。
列席した秋田雨雀が、こう書いている。
寒い。
非常に寒い。
今日、元園町で赤瀾会の会合があって招待された。
赤飯をご馳走になり、みんなで赤飯会だなぞと洒落た。
野村女史の挨拶があった。
ぼくも何かしゃべらせれた。
この会の健全な発達を希望し..
第354回 暁民共産党事件 [2016/09/18 23:28]
文●ツルシカズヒコ
暁民共産党事件が起きていた、一九二一(大正十)年十一月十二日、大杉は朝早く大森の山川の家を訪ねた。
「やあ、どうだい」
「うん、相変わらずだ」
ふたりは、十幾年かの間、繰り返してきたこのお定まりの挨拶を交わした。
ベルトのついた茶色の外套を着た大杉は、バスケットを提げ、珍しく魔子を連れていなかった。
「ひとりなのかい?」
「なに、今日は奥山さんにお詣りだ」
「菊栄君にはず..
第350回 弾丸 [2016/09/15 23:01]
文●ツルシカズヒコ
一九二一(大正十)年九月九日、夜の十時、野枝は堺真柄とともに警視庁特別高等課に出頭させられた。
『東京朝日新聞』(九月十日)によれば、野枝と真柄は高津正道の妻・多代子とともに一時間ほどの取り調べを受け、多代子はそのまま検束され、帰宅を許された野枝と真柄は高津夫妻に差し入れをして引き取った。
そのころ『お目出度誌』という謄写版刷りの小冊子が出回っていたが、それには縦に読めばなんでもない文句を横に読むと不敬なも..
第349回 典獄面会 [2016/09/13 20:29]
文●ツルシカズヒコ
大杉栄「コズロフを送る」によれば、 一九二一(大正十)年七月三十日にラッセルを横浜埠頭で見送った大杉は、そこでイワン・コズロフと遭遇した。
ラッセルが神戸で日刊英字新聞『ジャパン・クロニクル』の主筆ロバート・ヤングを訪れた際、ヤングがラッセルに当時同紙の記者をしていたゴズロフを紹介し、彼がラッセル一行の案内役を務めることになったのである。
ラッセルは「この人のおかげで、私は東京に着く前に、すっかり日本..
文●ツルシカズヒコ
一九二一(大正十)年七月三十日、正午、カナディアン・パシフィック社のエンブレス・オブ・エーシア号が、横浜港からカナダのバンクーバーに向けて出港、同号でバートランド・ラッセルが帰国の途についた。
博士は愛人ブラック嬢…に助けられ徒歩で其疲れた身体を桟橋に現はしたが
見送り人には改造社の山本氏大杉栄氏其他二十余名で殊に大杉氏の無造作な浴衣姿が人目を惹き
大哲人ラツセル博士と東洋の社会主義者との最後の堅..
第346回 赤瀾会講習会 [2016/09/12 17:14]
文●ツルシカズヒコ
一九二一(大正十)年七月十八日から五日間、麹町区元園町の旧社会主義同盟本部で、赤瀾会夏期講習会が開催された。
岩佐作太郎、堺利彦、守田有秋、山川菊栄らの講師陣に交じり、野枝と大杉も講演した。
野枝は七月十九日、第二夜の講師を務めた。
大杉豊『日録・大杉栄伝』によれば、演題は「職業婦人について」。
「女房としては実にけしからぬ」と云はれても、立派な女房である野枝氏が矯羞を含んだ調子で、産業..